小池昌代

春の泥水を浴びて生きる

馬の首が乾いていた

米のなかに

祖母の泣き顔

一粒一粒拾って食べる

また、漬物、つくってください

重い鉄鍋、洗わせてください

小鳥に餌、やってください

春の泥水を浴びて生きる

馬の腹に家並み見えた

白髪はもう、染めないでください

五キロの米は、持たせてください

涙は崖をくだってください

春の泥水を浴びて生きる

馬の耳に歌を注いだ

もりあがる丘に陽がさしている

言葉はもう消えてください

ここから空を見上げましょう

目覚ましよりも前に

関節の痛みで朝が始まる

長く寒い冬だった

エビみたいにわたしは

丸まってねむった エビみたいに

丸まってねむっている人の姿が

一個一個

発芽する前の種のように

夜のなかに浮かんでいる

浅いところ

      深いところ

一年後の春

    二十年後の春

春をやぶって芽を出すんだ

共振する 無音の携帯電話のように

種は念じる 

一個から無数へ

さざなみとなって

土をほぐし

地表へ伝播(でんぱ)し

痛みをちらし

空へと広がるのを

わたしは感じていた

もう五十年も泥のなかで

表現を萎縮させる社会の空気

小池昌代さんインタビュー

二〇一二年三月一日掲載

 ――被災地は訪ねましたか。

 「直後に宮城県の石巻港に仕事で行きました。枠組みだけのがらんどうの建物、それから衝撃的なにおい。ちょっとずつ土が盛られた臨時のお墓がありました。看板の漢字が壊れ、船が陸に乗り上げている。私たちが言葉で書いてきたもの、私がへらへらと詩の中で書いてきたシュール(超現実的)なものがそのまま現実にあった。表現と現実の拮抗(きっこう)する関係について、いろいろ考えることになりました」

 ――震災後のいま、詩の力についてどう考えていますか。

 「詩の短い言葉には、読む人がいろんな思いや意味を重ねていける。しかもスピードがある。小説はストーリーを作って、そこに読者が参加する。詩は読者が自分のほうに引きつけて読む。ただ、たくさんの人がふっと吸い寄せられて危険な状態になることもある。詩の言葉は、人間の感情を瞬時に揺らしてしまう。リズムがあるから。感情をどこかに連れ去ってしまう。それが詩の強さであり、怖さだと思います」

 ――怖さといえば、震災後の詩は「日本復興」という大きな物語に加担している、との批判もありました。

 「私もすごくよく考える問題です。詩は、現実をすぐに反映しやすい。小説は整理してから言葉を出す。詩人は社会がガッと動いているときに、そこに乗って浮ついた言葉を出しちゃうことがある。今回、私も、直後に何編か書いた」

 「そういう震災後の詩に対して、『安易だ』とか、『昔、戦争詩を詩人たちが書いたように極端な言葉で人々の心をあおり立てている』という批判。その批判もよく理解できる。でも、そういう批判もじつはまたステレオタイプの反応では、と思うんです」

 「詩人の和合亮一さんがツイッターを通じて詩を福島から発信しつづけた。その言葉にすがった人もいたはずで、そういう言葉を簡単に批判していいのか。私は両者の中間地点に立って、粘り強く考えたい。震災後の世界では放射能の影響が長く続くし、なんらかの傷が残り続けていく。戦争とは違うけれども、似ている部分がある。戦争協力詩のことも含めて、詩を書く人間の一人として、今も考えつづけています」

 ――和合亮一さんはインタビューで「傷ついた」と話していました。震災後に詩人が新しいメディアを使って試行錯誤することがなぜ批判されてしまうのでしょうか。

 「社会全体に窮屈な感じがある。駅の自動改札でピッとやらないといけないように、機械化されたシステムに私たちの身体が合わせないといけない。(インターネットの発達もあって)誰かに見られている、監視されている感覚が社会全体にある」

 「言葉は生きているものだから、そういう社会の空気の影響を受ける。結果として、詩人の世界では表現の萎縮が起きる。『思い切ってやってみな』という声が出てこなくなる。震災直後の発信だから、ぶざまになるかもしれない。でも、いいじゃないですか、多少はみっともなくたって、と。和合さん自身だって、そんなこと(必ずしも十分に表現を練れていないこと)は織り込み済みだったはずですよ」

 「和合さんはすごく傷ついたと思いますよ。詩人が行動すると、すぐこういうことになってしまう。いまの詩人の多くは、いつも見ている人たち。じっと見ていて、しばらくしてから書く。きちっと対象と距離を測ってから書くんです。自分はそうしておいて、和合さんを批判する。『じゃあ、あなたが書いてみなさいよ』って、そういう声が出てこないんですよね」

 ――詩を朗読することを批判する人もいますが。

 「ひらがな、漢字、カタカナが朗読されると、違いがなくなり、平坦なものになる。でも、漢字には音読みと訓読みがあるように、日本語は、音をとって音読しても、意味をとって黙読してもよい、両面から成り立っている言語。音読によって開けてくる世界もある。たとえば、樋口一葉の文章は擬古文で難しい。でも、10回声に出して読むと、生理食塩水のように体にすーっと入ってくる。声と結びついている文学なんです」

 ――朗読した詩2編の解説をお願いします。

 「『丘』という詩は、私が誰かのために何かしたいという思いが出ている作品です。鉄鍋をたまたま自分で洗っていたら、『自分が70歳くらいになったら、こんな重い鉄鍋洗えないなあ』とふと思った。誰か、おばあちゃんのために鉄鍋を洗ってあげたい、という思いです。5キロのコメもそう。女にとってはすごく重いもの。なんとか私が持てるうちに、他の女の代わりに持ってあげたいと。『重い鉄鍋洗わせてください』というのは、そんな私の本心から出てきた1行です」

 「『種』は、関節の痛みに耐えつつ、えびみたいに丸まって眠っている人のイメージがもと。そのイメージがえびから種に変化し、種の発芽しようとしているイメージと、(バイブモードの)携帯電話が震える様子とが重なって、『共振する無音の携帯電話のように種は念じる』という詩句になった」

 「私も年を重ねてきて朝起きると関節が痛い。そんな実感から、この詩を書きました。同じように、痛くて苦しんでいる人はいっぱいいると思うので、言葉が少しでも広がりをもって届いたら、という気持ちがあった。『丘』も他者を意識した作品。現代詩は、他者を考えず、自分のために書き、自分の中で完結してしまうという傾向があるんですが、今回の震災を受けて他人のために何かする、ということが意識の中に入ってきたのだと思います」

(聞き手・赤田康和)

小池昌代

こいけ・まさよ 1959年東京都生まれ。詩集「もっとも官能的な部屋」で高見順賞、詩集「ババ、バサラ、サラバ」で小野十三郎賞、「コルカタ」で萩原朔太郎賞。小説も多数執筆しており、「タタド」で川端康成文学賞。「たまもの」で泉鏡花文学賞を受賞