急停車するまで

佐々木幹郎

ガラス窓を見つめていると

「電車が急停車するときがありますので

吊り革や手すりにおつかまりください」

という注意書きのシールが貼られていて

わたしは いま吊り革につかまっているのだが

わたしのこころは 何につかまっているのだろう

揺れながら 足元から浮いているわたしがいて

 

こころには つかまるものがない

こころは この世にあることを たえず疑い

ふと よそ見をすると 消えていて

吐く息 吸う息のように

正体がないけれど 

そこにあることを 誰かに知ってほしいと願っている

死んだ人にも 生きている人にも

 

たった一人の誰かに

そうであれば 大きな臼のような絶望にも

時が過ぎていくばかりの希望にも 耐えられる

この夕暮れに 一本の三味線の糸のように

こころは 聴こえないもののなかで

ひそかに爪弾かれ

見えない糸となって 揺れている

言葉はがされた体で声を探す

佐々木幹郎さんインタビュー

二〇一二年三月二日掲載

 ――詩人として、震災でどんな影響を受けましたか。

 「震災の瞬間は自宅の書斎にいた。万年筆に入れようとしていたインクが飛び散った。いったん家の外に出て、また部屋に戻った。自分の手がものすごい勢いで震えていた。体の底から恐怖感がわき上がってきた」

 「震災後、ぼくは、言葉にすがっている自分自身という存在を見つけてしまった。ぼくの体から言葉がはぎ取られている。詩を書くが、書くたびに絶望する。ぼくの手持ちの言葉では無理だ、自分の詩の文体を壊したい、と思う。でも、壊しきれない。文体を壊すくらいでは対応できない」

 「被災者に言葉を届けるのは難しい。ものすごく過酷な体験をされている。慰められるとか、慰められないとか、そういう問題ではない。ぼくたちは、原発事故の被害という遺産を未来の子どもたちに残してしまう。未来の人たちが過去のことを懸命に調べると思う。そのときに、どんな言葉が残っているかが大事。ぼくは100年後の子どもたちに届けるつもりで書いている」

 ――震災後、津軽三味線の2代目高橋竹山さんと被災地をまわる活動をされました。

 「震災後、ぼくは無性に東北弁が聞きたくなった。ニュースで紹介される声ではなく、一人ひとりの声。録音された斎藤茂吉の声や気仙沼の方言で読まれた聖書の言葉を聞いた。ぼくが欲したのは、テレビやラジオで放送される言葉でなく、本当の言葉だった。被災者一人ひとりが持っている声や物語。それを集めようと思った」

 「津軽三味線奏者の高橋竹山さんと一緒に被災地に行って、『ぼくはこういう詩を書いているものです。皆さんの体験を聞かせてほしい』とお願いした。集めた物語をもとに津軽三味線による口説き節をつくり、何年か後に竹山さんに被災地で演奏してもらうつもりです」

 ――震災後に書かれた詩には詩壇の中から厳しい批判が出ました。

 「詩の世界は視野が狭くなっている。『あほか』というくらいに。『これをやってはいけない』『何をすべきだ』とかいうけど、何をやっているんだ、といいたい。詩の業界誌でしか通じない言葉を使っているのに詩人だ、といっているのではないか。そんな詩人のあり方が通用するのは日本だけ。詩の言葉は、もっともっと豊かなもの。3・11後、既成の概念がどんどん壊れていっているのに、既成の概念の延長の中で言っている。どうして、そんな高みの見物ができるのかと」

 「言葉を扱い続けてきた人間として、自分の根拠が失われてしまったときに、もう一度深く掘ろうと思うのは当然のこと。そのためにはどんなスコップも使う。個人の想像力やオリジナリティー、人間が頭で作り上げるものには限界がある。ぼくはヒマラヤなどを旅したり、湾岸戦争後にアラビア湾にいったりした。その土地の風景や土地で生きている人々が、いとも簡単にぼくを砕き、独自性や想像力なんてものを壊してしまう。その後に再び構築をしなおす。ものをつくるというのは、そういうことではないか」

 ――活字で書かれた詩を朗読する意義は。

 「方言やアクセントに間合い、身ぶりや手ぶりや目配せも、すべて言葉。そういう広い意味での『言葉』の世界のうち、文字で表せるものは3割くらい、とぼくは考えている。文字化されることで、7割くらいはそぎ落とされてしまう。朗読すると、そういう振り落とされたものがよみがえってくる」

 「昔はそれぞれの土地に霊がいた。土地に名を付けるということは、土地の霊に名付けるということ。いったん言葉を与えると、霊がよみがえってくると人々が信じた時代が長くあった。我々は、そういう信仰を失った。しかし、かすかに、残っているものがある。好きな恋人ができたときには、何度も恋人の名前をつぶやく。つぶやいているうちに、その言葉に寄り添ってくる何かがある。お父さんが亡くなれば、仏壇の前で父の名を何度も呼ぶ。そのうちに、その名が輪郭をもち、形をもってくる。これが言葉のマジカルパワー。この言葉の力を我々は感受できるんです」

(聞き手・赤田康和)

佐々木幹郎

ささき・みきろう 1947年奈良県生まれ。12年、東日本大震災の被災地を訪ねての思いなどを平易な言葉でしなやかにつづった詩集「明日」で萩原朔太郎賞。詩集「蜂蜜採り」で高見順賞。紀行文も多く、「アジア海道紀行」で読売文学賞随筆・紀行賞