廃炉詩篇

和合亮一

「廃炉まで四十年」(現時点)

 ところでわたしの言葉の

  原子炉を廃炉にするには

   何年かかる

のだろう

 この地球を この虹を この雲を 

  この指先の棘を

   廃炉にするには どれぐらいか

エネルギーのささやきを耳にしながら惑うばかりだ

ああ

今日の言葉を廃炉にするには

 何十年かかるのだろうか

  水平線はいつも真っ直ぐなままだ

    しだいに明るくなる

  夜の廃炉が終わったのだ

  *

狂った水平線はいつも在る

ある日のわたしが思い浮べる想像の果てに

ある日のわたしがわたしであることの運命の隣に

ある日のわたしの親友が帳面にすっと線を引いた そこに

ある日のわたしが知る何億光年も先の乾いた星の感情に

ある日のわたしが箸でつまみそこねた豆粒の先に

ある日のわたしがくしゃくしゃに丸めた白い地図の裏に

ある日のわたしが泣きながら髪を洗って目を閉じている時 その無垢な背中のどこかに

ある日のわたしが笑ったあとの 一抹の寂しさの中に 真っ直ぐに真横に

さっき 青空に 稲妻が走ったが そこに

ある日のわたしは激怒して本を破き 壁に何枚もの紙片をそこに投げつけて

泣きわめいていたが その時に気狂いに 何頁にもそこに

ある日のわたしは腕時計を一分だけ早めたがそこに

ある日のわたしはわたしであることの意味をわたしに問い直しているうちに

ある日のわたしはわたしをすっかりと愛してしまった うなずくとそこに

ある日のわたしは全てを奪われたまま 遠くのやりきれなさを

海岸線を行く一台のトラックの影に見ているが その向こうに

狂った水平線はいつも在る

狂った水平線はいつも真っ直ぐである

 わたしたちの記憶の奥底で海亀が反転している 指

を無くしたわたしの猿は

 足跡を黄金色にして歯を剥き出しにして 英語を忘れている

  わたしの脳髄

で燃え盛る電信柱をどうにかしたまえ 蛸の影がわたしを

 追い抜いていくのだ 

  恐ろしい荒海

の三月某日に 真っ青なポップコーンが

 思想の奥で弾けていたことを思い出すのだ 許

されない宇宙の待合室の闇で

 飛行機の飛ばない思想の滑走路をどうにかしたまえ

そこを船と車と津波がやっ

 て来たあの日       ところで地図の表に地図のな

い日がやって来た

 無意味な言葉の太平洋に

狂った水平線はいつも在る

 燃えあがる紙コップのイメージを

  わたしたちは消し潰すことなど出来ないのだ

   ある日は 飴を嘗めながら馬が溶けていくのだ

  だから忘却を忘れてしまえ 

   タンカーの給油は停止 ある日は雲と霰とが歩いてきた

    わたしたちの中にはまだはっきりと震災がある

   あの日から起立し続けている紫色の電信柱の影に

無言の電気の進軍を恐怖する

 狂ったわたしが顔中に太陽を貼り

  ああ たったいま静かに朝日に沈んでゆくのか

   大粒の岩塩を左目の尻からこぼして

    拳で拭うしかないのか

     巨大な平目

がはるかな生命からやって来る

 独り言は沈黙に満潮と干潮とを与え

るのだろうか

 狂った水平線はいつも在る  真っ直ぐに ある

  見たまえ 感性の暴力的な 岩場を

しぶきをあげている 非在なる地球の影を

 残酷なわたしたちの頭脳を白い川が流れていく

  近所の真っ赤な屋根をどうすればいいのか

   午前四時はどうしようもない姿で午前五

時になるのか

 頭の中でそびえ立つ野原の鉄塔

  記憶の真ん中で奪い去られる堅牢な日常

靴の中で遊ぶ何千もの子どもたちの影

 誰もいない湾岸道路のまばらな林で

  火だるまになったフクロウの影が

   ヌレネズミになったミミズクの影を追い抜くと

    かつて煙

をあげた発電所ではイメージの廃炉がさらに進まなくなっていく 二十キロ

 圏内で

  誰かが狂った扇風機を修理したからだ

   朝焼けが迫ってくるぞ 逃げなくていいのか

    黄金虫の夢で無人の大型バスは横転している

     感覚の未明に

      生まれたばかりの浅蜊に砂を吐かせ

ると

 真実は港の電信柱の長い柔らかな影になって

  二匹の九官鳥は三匹になったまま八匹にな

り九匹

片方の靴を無くした少年が

 背負っているものは

  巨大な平目の影だ

   はるかな生命からやって

来たのだ

 狂った一直線はいつも在る

  狂った一直線はいつも真っ直ぐにある

   頭の後ろで

   南半球の風車が

 燃えながら回っているから

  回っているから  もうじき朝が来るのだ

   光の波

  わたしたちの言葉の洪水が襲うのは わたしたちの言葉の街路 言葉の港湾 言葉の

国道 言葉の横腹 水しぶきに泣き叫ぶ人々の声と 車と家と電信柱と火星とボールペン

と金星と 前世に無くした手袋が 観念の春の浜辺へと打ち上げられているのが分かった

のか

  そして水平線は

   真っ直ぐのまま

    折れ曲がるのだ

そしてあるいは

 折れ曲がらない

  夜明けの廃炉へ

不条理の現実、言葉で描き続けたい

和合亮一さんインタビュー

二〇一二年二月二五日掲載

 ――なぜ、この地、松川浦(福島県相馬市)を朗読の舞台に選んだのですか。

 「小学校の頃から大学生ごろまで、夏には、ここに遊びに来て、魚釣りや海水浴をしていました。ここは、とても思い出深い浜辺。震災後、ここに来たときは、生々しく津波の跡があって、あちこちに船や家や車などが壊れて存在していて、非常に胸がつぶれる思いがいたしました。今日訪ねて、ずいぶんきれいになっていて、昔の浜辺に戻ったところもあるかなというところもあるし、一方で、なんともいいえない寂しさがあるなあとも感じました」

 ――福島についてどう思っていますか。

 「原発の事故後、福島がふたをして、この国から切り離され捨てられていく、という印象をもっています。福島県民には何の罪も無いのに罪をかぶせられてしまった、集団的冤罪とでもいうべき気分なんです」

 「福島は、親友、あるいは兄弟のような存在と思っていましたが、自分の母親、自分を育ててくれた場所でもある。自分の体も心も福島でできていると思っています。こういう美しい浜辺をどんどん取り戻していきたいと、いつも海に来ると、そう思います」

 「かつての福島を取り戻すために、どんなことができるのか。わたしは言葉で、それを考えていきたいと、福島のみなさんと一緒に心のよりどころを探していけるような、そういう詩、言葉をたくさんつくっていきたい」

 ――ツイッターを通じて詩を書き続け、詩集も出版し、詩集としては異例の部数が売れました。

 「たくさんの読者の方から、いろんなメッセージをいただきました。自分の言葉がいろんな方の心に届いたんだ、と。そういう気持ちを大事にして1年間やってきました。(ツイッターなどで直接届く)読者の皆さんからの反応によって、自分の作品も変わっていき、言葉も詩も形や、言葉を通じて伝えたい思いというものも、どんどん変わっていった。震災と一緒に詩を書き続けた一年でした」

 「まだまだ、言葉で表せないことがたくさんあります。でも、言い表せないということで目を背けるのでなく、積極的に言い表せない自分と向かい合いたい。そして、皆さんと一緒に今までたどりつけなかった未来の岸辺にたどり着けるように、未来の浜辺を皆さんと一緒に歩けるよう、そういう言葉で言葉の海を一緒に泳ぐような、そういう時間をもっとたくさん持ちたいと思っています。まだまだ勉強不足だし、やりたいこともたくさんあるんですけど、つねに、言葉から始まって、言葉で分かち合いたいという気持ちをずっと持っていたいと思っています」

 ――震災後、原発事故後、という異常事態の中での詩の力についてはどう思いましたか。

 「求められているのは、ボリューム(量)とスピード(速さ)だとぼくは思っていました。ずっと詩を書いてきたから、日常の言葉であっても、語順を変えたり、体言止めにしたり、より強い言葉にすることができる。詩は、短いフレーズで表現できるので、小説と比べて、起こったことに短時間で対応できる。ツイッターというメディアの特性とも重なりあった。次々と発信される言葉をリアルタイムに読むこともできるし、自分の好きな言葉だけを取り出して読んだり、人に紹介したりできる。ツイッターを使ったことで、詩のことばをあまり読んだことのない人たちにも言葉を投げかけることできた」

 「震災後、原発事故後の非日常の空間の中で、ある種の演歌というか、感情、情感に触れる言葉にみんな飢えていた。現代詩からは叙情が奪われていったが、中原中也の詩が読み直されている。この1年の経験を通じて、感情の世界は理屈の世界を超えるということを実感しました」

 ――多数の読者を得る一方、厳しい批判も浴びました。

 「いろいろ考えた一年でした。ずっと詩を書き続けてきましたけど、傷ついたこともたくさんあって、これまで受けたことのない傷も受けました。自分も迷いながら、詩を書いていたが、非常に孤立感を抱いた1年でもあった。改めて感じたのは、僕は詩を愛しているんだ、ということ。詩というものを心のまんなかにすえて、生き方や考え方をもっと深めていきたい。詩のために、詩を愛して、詩を書くという原点につねに返っていきながら、詩の中心に大事な私たちの生きる鍵が眠っているとしたら、その鍵をみんなで一緒に拾ってみたい」

 ――震災後の福島で詩を書き続ける意味とは?

 「福島という土地をどうしたらいいのか。我々はここで暮らし続けたいが、子どもたちもここに住み続けていいのか。震災、原発事故という現実のなかで、答えなんか見つからない。言葉によって、この不条理を描けるかぎり、描いていきたいと思っています」

(聞き手・赤田康和)

和合亮一

わごう・りょういち 1968年福島市生まれ。福島県立高校の国語教諭。99年に「After」で中原中也賞。「地球頭脳詩篇」で晩翠賞。震災後の福島をツイッターで発信した作品を「詩の礫(つぶて)」などにまとめた。「福島県教育復興大使」も務める