詩の傍(cotes)で

吉増剛造

アーリス、アイリス、赤馬、赤城、――

イシス、イシ、リス、石狩乃香、――

兎! 巨大ナ静カサノ、宇!

ルー、白狼、遠くから、かすかに、本当の声が、聞こえて来て居た、、、

兎!、、、、兎!

乃、仄-香-奈、囁き乃聲、、、、

歌!多!緒!ウタフナ!

      、、、、、

〝黄泉、

   を、

    折りたゝム、…… 〟

            イシカリ、、、、

ルー、白狼、遠くから、かすかに、本当の声が、聞こえて来て居た、、、

リクゼンタカタノ砂山ノ蔭、、、

、、、巨キ倶、掻ク手ガ、ハタライテ

テキゼン、ジョーリクガ、宇!ッ、ッ、ッ

噛ンダ、、、兎!巨大ナ静カサノ、宇!

アーリス、アイリス、赤馬、赤城、――

イシス、イシ、リス、石狩乃香、――

兎!巨大な静カサノ、宇!

ルー、白狼、遠くから、かすかに、本当の声が、聞こえて来て居た、、、

萱窪、萱窪、……

萱窪、萱窪、……

萱窪、萱窪、……

萱窪、萱窪、……

籠手とも、コティ、……とも、聞こえるcotes乃〝s〟=ム、音に、耳を澄ます、、、、

兎!ハ、

〝黄泉、

   を、

    折りたゝム、……〟

イシカリ、、、、

テンテンテンマリテンテマリ(、)テンテンテマリノテガトレテ乃テ

〝s〟の不思議な心のかたち仁、左、環、ル(、)ところ、仁、までわたくしは歩いてきていた、、、

ル、、、白狼、ルー

光ノ川原、

    ノ方ニ、

       、激つ

         、ヲ、

           縫ッてル、

               ……白狼、ルー

〝灰青色ノ狼乃目尾(、)ミテイタ、、、ハ、ハ、ハ、ハ、、ハ、ハ、ハ、、、

黄泉、

  を、

   折りたゝム、……

           狼、ルー

              、イシカリ、、、、、ルー

ルー、白狼、遠くから、かすかに、本当の声が、聞こえて来て居た、、、

その荒涼たる地に何度も何度も行く

吉増剛造さんインタビュー

二〇一二年二月二四日掲載

 ――――なぜこの石狩川河口での朗読を選んだのですか。

 「何十年も前のことだけど、北海道で朗読会を開いた縁で、友人に連れられてここに来た。川が凍っていて何も見えなかった。船が捨ててあり、バスもたくさん置き去り。流木にサッカーボール。なんとも不思議な、洪水のたびに水をかぶる平地、氾濫原(はんらんげん)のような、荒涼とした風景でした。その風景の中にじーっとしていると、深い時間がどこかから自分の中に入り込んでくる気がした。もう一人の自分が歩き出していた。しばらく後に、いろいろと悩んでいたときに、この地にわらをもすがるような気持ちで戻ってきた。そして、『石狩シーツ』という作品を書いた」

 ――世界の果てのような風景が詩人としての心象風景とも重なるということですか。

 「創作をする人はみな、そうだと思うけど、素手で立ち向かうのは難しいことで、作家も絵描きも創作にあたっては、絶望的な気分の中に自分を置かざるをえない。死んじゃった方が楽だというような気分、そのときに荒涼たる風景がみえてくる。そこを通らないと創作はできない。その荒涼たる地に何度も何度も行く。被災された方たちの経験とは、遠く及ばないけれども」

 ――被災地には行きましたか。

 「岩手県陸前高田市や大槌町にいきました。コンビニ店の看板の青が違うところにあり、畳が変なところにあるし、年賀状も落ちている。がれきなんていってはいけない。名付けられないような状態だった。これ以上先にも行ってはいけない、見てもいけない、感じてもいけない、撮影してもいけない、という声を聞いた気がした」

 ――震災後の世界で詩を書くことについてどう考えていますか。

 「津波に襲われた学生さんの話を聞いて、ぼくの中で立ち上がった映像がある。部屋のなかにちゃぶだいがあって、そのちゃぶだいが学生に、ささやきかけるように、『私のそばに来て』『私と一緒に逃げろ』といっている。そのちゃぶ台と一緒に、学生さんは橋げたのところまで流されていった。そういう若い人から聞いた話を、ぼくは大事にしている。テレビで流れる映像や学者先生方の言説とはまったくちがう」

 「おまえの詩はどうなのか。そう言われたら、ぼくもまた、長い時間をかけて、彼の出した声に、夢の中でも責任を持って触っていくような、そういうプロセスを経ないといけないと思った。だれもが、夢をみたり、幻想をみたり、つらい思いを抱いたりする。そうした夢に見たことや、感じたことを歌にして口ずさんだり、詩にしたりする。そういう営みは、実は、(詩人だけでなく)人間に課せられている責任なんですよね。アイルランドの詩人W・B・イエーツはその責任について、『責任は夢の中で始まる』といった」

 「ぼくは詩を書くにあたって、自分の言葉を粉々に打ち砕いて、まったく別の言葉の声を出させたいと、思い続けてきた。そうして破砕された言葉のそばで、ほんとうの声を聞く作業が必要だった。すると、突然、光がやってくる。きらきらした甘い香りもするし、予測もつかない不意打ちのこともある。それが詩なんだよね」

 「今回でいえば、被災したある学生さんの声に夢の中で触っていく。それは、夢の中のおぼろげな風景の中で、かすかに聞こえてくる細い声、おぼれる人がわらをもつかむように、その声にすがりついていく。そういう営みが必要だった。震災後、読み直している『遠野物語』の影響もおそらくあって、『ルー、白狼、遠くから、かすかに、本当の声が、聞こえて来て居た』という詩句になった」

 ――「詩の傍で」というタイトルは?

 「いま異国で住む妻のマリリアさんから、『親しかった人が死んだ』というメールが来た。死んでいく人のそばには、一人の人がいたという。妻の言葉はフランス語と英語の両方が混じっていて、『そば』はフランス語では『コテ』という。cotesとつづるけれども、最後のsは発音しないという。このsも、発音されないのに発音される文字のそばにつけられていて、まるで言語のそばにいる精霊のようなものにも思えてくる」

 ――今回の作品、「ア」、「イ」、「ウ」で始まる3行が繰り返し出てきますね。

 「ポール・ヴァレリーがいった『詩とは意味と音との間の逡巡(しゅんじゅん)である』という定義がぼくは好きなんですけどね。音韻の箱をつくろうとおもってね、幼い子でもわかるとおもうんだけど、ア、イ、ウのそれぞれで始まる、きらきらした音の箱、音韻の真珠の箱をつくった。言葉には、底深い、音の精霊が潜んでいる。毎回、異なる光が寄せてくる。きらきらした甘い香りがすることもあるし、突然の不意打ちもある。精霊の細い声を僕が音にして、その音のそばに出てくる新しい意味を追いかけ、音と意味とを交錯させる。言語のそばにいる精霊に触れるということ。それは詩にしかできない仕事なんです」

 ――「ッ」という音を表記し、朗読でも「っ」と無音を無理にでも表現するように、しゃべっていました。沈黙をも言語化しようとしているのですか。

 「絶句した状態にいる自分がいて、それが『うっ』という呼吸になっている。いわば、『どもり』。どもりながらこぼれ落ちる涙のように、沈黙の状態も紙の上に出さないといけない。『うかんだ』という言葉も、『浮上した』なんて書けない。う、と、かんだ、というのが離れちゃって、そこに沈黙も入り込んできた。そこに、途方もない静かさ、が生じている。こういうふうに、説明しちゃうと、違う衝撃を受けた人に、マイナスになるかもしれない。できれば、いったんこれらの説明を忘れていただいて、白い紙に変なものが浮かんでくるように、詩の言葉を読み、聞いてほしいですね」

(聞き手・赤田康和)

吉増剛造

よします・ごうぞう 1939年東京都生まれ。慶応大学文学部卒。「黄金詩篇(しへん)」で高見順賞。「『雪の島』あるいは『エミリーの幽霊』」で芸術選奨文部大臣賞。『表紙』で毎日芸術賞。作品は難解とも言われるが、現代詩の最前線を走り続けてきた