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アフリカに来て、行く先々で「チャイナ」「チノ」と呼ばれることは、さんざんみんなが書いている。そう呼ばれることには、何も感じない。こちらだって、ケニア人とタンザニア人の見分けがつかないのだから。時々は「中国人じゃないよ」と言うけれど。
考えると、この声は「中国人としての自分」にかけられている。その呼びかけには、個人というより中国の人たちに対するアフリカの人たちの思い、感情がにじんでいるに違いない。ならば、呼びかけられてどのように感じるのか。
呼ばれ方を振り返ってみると、親しみが込められていることはある。「ニーハオ」とくるような時にそう感じる。中国に関心の高い人もいて「ジャン・ジーミン」などと声がかかる。江沢民。「惜しい、君、ちょっと古いよ」と声を返す。
残念なことに、軽んじられていると感じることも多い。「チョンチン」「チンチャン」などと、すれ違いざまに投げかけられるときだ。そもそも「チャイナ」という呼びかけにも、あまり尊敬の念がこもっているとは思えない。
ンドラから100キロほど西に行ったところにチャンビシという銅鉱山で有名な町がある。ここの鉱山は、500万トンの銅、12万トンのコバルトの埋蔵量があり、中国の企業CNMCが運営している。同社のホームページによると、中国企業が海外で初めて取得した非鉄金属鉱山で、中国・アフリカ関係の象徴的な存在だ。
閉鎖されていた銅山の採掘権を取得したのが1998年で、03年から生産を開始した。05年から08年にかけて急成長した。
この鉱山では何度か、中国人の管理職とザンビア人の労働者が衝突し、死者も出ている。給料や労働条件への不満が労働者の間で高まったのが衝突の原因だ。ちょうど中国がすさまじい勢いでアフリカに進出し、「新たな植民地主義」などと欧米の人たちが警鐘を鳴らしたころだ。
06年、いまのサタ大統領が初めて大統領選に打って出たとき、激しい中国批判で注目を集めた。このときも、次の大統領選も敗れたが、批判は変わることがなかった。これまで「全天候型友情」の蜜月関係が続いた中国とアフリカに、亀裂が走り始めたと見るむきもあった。結局、サタ氏は姿勢を変えることなく11年には当選し、中国は警戒感を強めたようだ。
だが、当選後のサタ氏は中国批判を弱め、むしろ歓迎を口にすることが増えた。地元新聞の編集幹部は「中国は銅鉱山だけではなく、インフラ、農業とザンビアの主要産業に深く食い込んでいる。結局は中国なしではやっていけないことに気づいたのだろう」という。
サタ氏を後押しする中国批判の背後にいた鉱山労働者らは、はしごを外された形になった。でも、こちらも結局は雇用という形でザンビアを支える中国企業を排斥できず、噴出しかけた悪感情は一応は収まった形になっている。
ンドラからチャンビシに向かうと、中国企業が建てたサッカー場、中国の金属製品の宣伝看板などを目にする。チャンビシの鉱山に近づくと、道路に漢字で安全操業を訴える横断幕がかかっていた。
61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。