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エチオピアの首都アディスアベバからひと山越えると、緑の高原だった。タンザニア、マラウイ、ザンビアと冬枯れのような風景ばかり見てきたので、心にまでしみてくるような鮮やかな緑だった。
エチオピアでは、筋骨の隆々とした人や、太った人をあまり見かけない。アディスアベバの北の方では道を歩く人たちの服の色は穏やかで熱帯アフリカの刺すような色彩はない。
タンザニアでもマラウイでもザンビアでも、道ばたでおびただしい量の炭が売られ、森林破壊のすさまじさを考えさせられた。それもこのあたりではあまり見かけない。もっとも、ここの高原も森林を切り開いた末の緑だけど。
標高2500〜3000メートルを走る道沿いに牧場と畑が続く。その高原に鋭い峡谷をうがって、青ナイルが茶色の流れをみせた。崖の上のメイズは高さが30センチほどなのに、谷底では人の丈より高い。1400メートルの落差があって、谷底は温室のように暑い。
その青ナイルに日本の援助で橋がかかっている。付近の道路も、日本の援助で舗装が進められている。
タナ湖に源を発し、青ナイルはいったん南へ向かってから西へ北へと進路を変える。このナイルに建設が進む巨大ダムをめぐって、下流のエジプトとエチオピアの関係が悪化している。流量が大きく変化するとエジプトは文句を言う。
谷を再び登りきったあたりから、雲に包まれた。川の上は晴れているのだが、強い上昇気流に乗った水蒸気が急に冷やされるからだろう、ちょうど崖のあたりに雲がかかる。
霧ではなく、雲の中を進む。周りは灰色の世界になり、カメラを向けても焦点が合わずにシャッターが下りなくなった。
道をそろそろとなぞるように進み、20分ぐらいたっただろうか。ふいに雲を抜けた。色なき世界からの復活だった。かつてみた映画「ベルリン・天使の詩」で天使が地上に降りて世界が彩られるよりも鮮やかに。ああ、緑とは命の色だと感じる。
というように、エチオピアの旅を続けようと思っていたのだけれど、風は色んなところから思いがけずに吹く。このあたりで旅をひとまず終えようと考えた。行き当たりばったりは、いつもの通りだ。
5月にアフリカに戻り、コラムを一定の行数に収まるように変えて、どうも話のトーンが似通ってきた。前のようなだらだらとした感じは減ったけれど、行数を一定にしようとすると、どうしても書く時にまとめようとしてしまう。
遊びがなくなって、彩りが減る。まるで雲の中を走るように。マンネリという谷間で、風が吹き抜けなくなるというか。その一方で、とても重いテーマを、軽く扱い過ぎているとも感じる。
ちょうど、色々と見直すにはいい時かもしれないと思った。日本に戻って、考え直そう。もし、アフリカに戻ってくることがあるとしたら、全く違った形で戻ることにしよう。
最初に日本を離れて10カ月、皆様に支えられて、旅を続けてきました。たどたどしく、もどかしい旅の道連れになっていただき、ありがとうございました。別の形でまたお会いできたらと思います。
61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。