第1回 手塚治虫文化賞 1997

マンガ大賞

マンガ大賞ドラえもん藤子・F・不二雄さん

ドラえもん

あらすじ

 さえない少年、野比のび太の部屋に、ある日22世紀からタイムマシンに乗ってネコ型ロボット「ドラえもん」がやってくる。のび太の子孫が彼のドジのおかげで大迷惑をしており、未来を変えるべく送り込まれたのだという。ドラえもんは頼りないのび太のために、四次元ポケットからさまざまな秘密道具を取り出す。そのどれもが、目をむくような効果をあげるのだが……。

受賞コメント/藤子・F・不二雄氏の妻・正子さん

 漫画を一生の仕事とした藤本にとって、人生の一番多感ないい時期に手塚作品に出あい、今、先生の名前の付いた賞を頂くことは最高の喜びだと思います。先生の尽きる事ない創作意欲、ジャンルの広さに感嘆し、尊敬してやまなかった藤本でした。

 ここ数年“ドラえもん”を書く事が生きる事でした。案の出ない時の辛そうな顔、書き上げた時のあのいい笑顔を思い出します。1970年に連載が始まり、今なお、“ドラえもん”をこんなに皆様が読んで下さるのは、雑誌、テレビ、映画の効果はもちろん、彼の夢と真摯(しんし)な創作態度があったからではないかと思っています。

 毎年、今頃長編ドラえもんを書き始める時期です。「今年はドラえもんは何処(どこ)へ行くの?」「まだ決まっていない!」

 素っ気ない決まった会話がありました。今年は寂しいです。

(1997年6月の贈賞式小冊子から)

藤子・F・不二雄氏の妻・正子さんに聞く

 手塚先生を尊敬し、目標にしていた藤本にとって、先生の名前のついた賞をいただくことは、最高の喜びだと思います。

 1986年に胃の手術をして以来、藤本は「ドラえもん」を自分のライフワークと決めたようです。その意味で、彼の晩年のすべてでした。アイデアはほとんど一人で考えておりましたから。案が出ない時のつらい顔、かき上げたときのすがすがしい笑顔。浮かんできますね。

 亡くなる2年ほど前からは家で仕事をする機会が多くなり、たいていは、自分の仕事部屋で過ごしていました。ただ、夕方3時から6時までは居間へ下りてきて、レーザーディスクの映画を見るのが日課でした。黒澤明さん、小津安二郎、チャプリン、ワイラーなど好きでしたね。娯楽大作といわれるものも好きでしたよ。それから落語。映画と落語は、結婚前のデートコースにも欠かせないものでしたね。

 何につけても自分の流儀を崩せない人で、色紙一枚でさえ机の前で鉛筆で下書きしてからでないと満足しないんです。子どもさんだと頼んだまま取りに来るのを忘れちゃうこともあって。うちには、そんなドラえもんがまだ残っております。

(1997年6月3日付、朝日新聞朝刊)

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ドラえもん©藤子プロ・小学館全45巻

藤子・F・不二雄藤子・F・不二雄さん本名、藤本弘。1933年12月1日、富山県生まれ。51年、『天使の玉ちゃん』でデビュー。安孫子素雄氏と2人で、“藤子不二雄”名義の作品を発表。87年にコンビ解消後、“藤子・F・不二雄”として児童漫画の新時代を築く。代表作は『ドラえもん』『オバケのQ太郎(共著)』『パーマン』などヒット作多数。

マンガ優秀賞

マンガ優秀賞残酷な神が支配する萩尾望都さん

残酷な神が支配する

あらすじ

 米国の高校生ジェルミの平和な生活は、母サンドラの再婚によって破られた。資産家の義父グレッグは、実子イアンの前では堂々たる英国紳士だったが、邪悪なサディストというもう一つの顔を持っていた。義父の奸計(かんけい)に落ち、エスカレートする性的虐待に追いつめられたジェルミの胸に、やがて暗い計画が芽生える。

受賞コメント

 驚いています。また、嬉(うれ)しく思います。私は小学校の頃から手塚マンガのファンで、マンガ家になろうと決心したのは、手塚治虫の『新選組』を読んで感動したからでした。ですから“手塚治虫”という名前のついた賞をいただいて、亡き手塚先生から励ましていただいたような気持ちです。

 マンガ優秀賞をいただいた『残酷な神が支配する』は、小学館の「プチフラワー」誌に連載中のもので、これから終章へ向けてのまとめに入ります。なんとかうまく完結させたいと思っています。

 長期の連載なのですが、この作品を発表する場をくださった、プチフラワー誌の山本順也編集長に、また、さまざまな形でこの作品に協力していただいたかたがたに、心からお礼をのべたいと思います。作品を読んでくださった読者のかたがたにも、どうも、ありがとうございました。完結までもうすこし、おつきあい下さい。

(1997年の贈賞式小冊子から)

作者に聞く

 受賞のお知らせをいただいた時、「エエーッ、どうしよう、連載途中なのに」って思いました。このマンガは最初、特急列車のつもりで始めたのですが、描いてみると登場人物が細かく動き、各駅停車の展開になってしまって。先の長さ、私にもよく読めないんです。

 実は、私がプロのマンガ家になりたいと思ったのは、手塚先生の「新選組」を読んだことが直接のきっかけなんです。新選組隊士が、敵方のスパイと分かった親友を切らざるを得ない状況に追い込まれていくストーリー。主人公は解答のない葛藤(かっとう)の中で苦しむ。その緊張感と緊迫感に、ガーンとショックを受けた。本当に、一週間くらい「新選組」のことばかり考えていました。そして、自分もだれかを「ガーン」とさせるマンガをかいてみたい、と。

 ええ、そういう葛藤は自分の中にもある。「残酷な神が支配する」や「イグアナの娘」は二十代後半に心理学に興味を持ってしまい、それで生まれた作品ですけれど、心理学に引かれたそもそものきっかけは、自分と親との考え方のギャップにつまずいたことなんです。

 私たちは男女平等であるとか、戦後教育の洗礼を受けて育った世代でしょう。両親は「女はこうあるべきだ」という社会的制約を当たり前として生きている人たちでしたから。分かってもらうとか、そういうレベルじゃないんですね。ギャップを埋めようとすればするほど外れていく。

 そんなことで、心理学の本を読んでいくうち、子どもの虐待の問題にぶつかって。理不尽な暴力に遭った心をどうやって救うか、どうすれば自分の人生を納得できるか。このマンガの登場人物たちもその難問の中にいる。ジェルミやイアンが自分の人生を受け止められるのか。簡単には答えの出ない問題なんですよ。

 ですが、そういう、どちらとも選択しがたい堂々めぐりの状態を自分の手で設定していくのが、きっと私は好きなんでしょうね。グレッグですか? 実をいうと作者としては、描いてて楽しい人物でしたね。

(1997年6月3日付、朝日新聞朝刊)

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残酷な神が支配する©萩尾望都/小学館全17巻、(小学館文庫全10巻)

萩尾望都萩尾望都さん1949年、福岡県大牟田市生まれ。69年に「ルルとミミ」でデビュー。70年代に入り、「ポーの一族」「トーマの心臓」「11人いる!」など従来の少女マンガの枠を打ち破る作品を次々と発表。同世代の大島弓子、山岸凉子らと「花の24年組」と称揚された。96年には、児童虐待を描いた「イグアナの娘」がテレビドラマ化され、社会的な話題を呼んだ。(1997年6月3日付、朝日新聞朝刊)

特別賞

特別賞内記稔夫さん

現代マンガ図書館の設立と運営に対して

内記稔夫さん 内記稔夫さん

受賞コメント

 うれしいですねえ。これまで何度投げ出そうと思ったか。父はテナントを入れるつもりで建てたビルの2階と3階を、マンガで不法占拠しているようなものですからね。でもやめなくて本当に良かった。

 高校生の時に、自分で思うところがあって貸本屋を始めたんです。その前にちょっとマンガ家になるための講座を受けてまして、ひそかにプロを夢見てた。貸本屋なら好きなマンガを思う存分仕入れられるし、商売の合間にマンガの勉強も出来るだろうともくろんだんです。ところが、いざやってみると、忙しくてとうていムリ。それに商売が面白くなっちゃって。

 好きだったマンガですか、手塚先生の「ロストワールド」。ウサギ人間のミイちゃんの長靴だけが残ってるシーン、強烈でした。このナンバー1は今も不動ですね。

 昭和も40年代に入ると、貸本屋がどんどん減っていき、マンガの散逸も進んでいったんです。私はプロになるのはあきらめたけど好きなマンガを売らずにとっといたから、蔵書は膨らんでいった。石子順造先生たちといつか資料館をやろうと話し合っていたんですがなかなか難しくて。

 いろんな方の協力でやっと開館して、数日目に手塚先生がふらりとおみえになったんです。「よくやりましたねー」と言われそりゃもう感激しました。そして「こんど、ここにない赤本マンガあげましょう」と。でも「下さい」なんて言えませんよね。

 目指すのは「マンガ版大宅文庫」ですけど、悩みは増え続ける本の保管場所とデータ管理ですね。あと、古い本の傷み。「資料の保存か公開か、どっちかにはっきり決めた方がいいよ」とよく言われるんですけど、そこは根が貸本屋なんですね。多くの人に見てもらいたい。当面、この態勢でがんばります。

(1997年6月3日付、朝日新聞朝刊)

現代マンガ図書館の概要

 貸本業を営んでいた内記氏が自らのコレクション約2万7千冊と、協力者から集めた約3千冊をもとに1978年11月、東京都新宿区早稲田鶴巻町にオープンした国内初の本格的なマンガ資料館。昭和20年代の貴重な作品群をはじめ、マンガ単行本、マンガ論、雑誌などを網羅。蔵書は現在、約14万タイトルに及び、他に類をみない貴重な施設となっている。利用者は年間約6千人。

(1997年6月3日付、朝日新聞朝刊)

内記稔夫内記稔夫さん1937年、東京都千代田区生まれ。18歳で貸本店を開業。現在「現代マンガ図書館」の館長であると同時に、全国貸本組合連合会理事長でもある。(1997年6月3日付、朝日新聞朝刊から。内記氏は2012年に死去)