第3回 手塚治虫文化賞 1999

マンガ大賞

マンガ大賞MONSTER浦沢直樹さん

MONSTER

あらすじ

 ドイツの病院に勤務する日本人脳外科医天馬賢三は、危機的状況で運び込まれた少年ヨハンの命を天才的な手腕を振るって救う。しかし、ヨハンは悪魔的超人となるべく運命づけられた「怪物」だった。ヨハンの行く先々で繰り返される殺人。犯人の嫌疑をかけられた天馬は、警察の追跡を逃れながらヨハンを追う。自らの手で悪の根源を絶つために。

受賞コメント

 突然の受賞の知らせに、しばし呆然(ぼうぜん)とし、そして徐々にその喜びが湧きあがり、同時にその賞の大きさに戸惑いを感じています。

 手塚治虫、幼い頃から憧れ、必死に絵を模写し、新作を夢に見たほど私にとってあまりにも特別な氏の名を冠した賞を受賞とは……。これもまた夢かしらと思ってしまうほどです。

 『MONSTER』は、私の他の作品同様、偉大な先達の遺産なくしては成立し得なかった作品だと思っています。膨大なその遺産が、まだまだ発展途上ですが、自分という触媒を通過することで、いかに時代に新しい響きをもって鳴らせるか。そんなことを試行錯誤しながら、日々描き続けています。

 二人三脚のように作り続けてきた担当編集氏、そしてハードな仕事をこなし続けるスタッフに心から感謝します。まだ未完のこの作品ですが、この受賞の喜びを支えに、よりドキドキ、ワクワクする作品にしていきたいと思いを新たにしています。

(1999年の贈賞式小冊子から)

作者に聞く

 賞の知らせを聞いて、正直「何でぼくが」と思いましたね。いや、謙遜でも何でもなくて、自分が最高のマンガを描いているとは思えないから。例えばぼくの好きなすぎむらしんいちさんや、いましろたかしさん、その他何人もの素晴らしい作家の描くマンガと比べて、自分の作品がどこまでいってるか、と考えてしまうと。

 みなさんに評価していただけたとしたら、バランスが良かったということなのかもしれない。ぼくの中には、既成のものを壊したいという本能のような欲求と、読者に広く受け入れられるようにまとめていかなければというプロ作家としての意識のかっとうが常にあるんです。「MONSTER」は、そのバランスがうまくいったのかなあ。

 描き始めた時は、こんなに読者の当たりがいいとは予想していなかった。もちろん、自分じゃ「面白い」と感じてはいるんですよ。それにしてもこれだけ多くの人に受け入れられるとは思ってなかった。意図的なひっかけも多いしね。実際、開始当初は「今時『白い巨塔』なんか、ハヤらないよ」なんて思い通りの反応をしてくれる人もいて。

 ぼくの作品は掲載誌によって、色合いが違って見られるんです。「ビッグコミックスピリッツ」で連載し、大化けした「YAWARA!」やその後の「Happy!」の系列と「ビッグコミックオリジナル」で手がけてきた「パイナップルARMY」や「MASTERキートン」、それにこの「MONSTER」などの系列。

 一般的なイメージからすると「YAWARA!」の系列の方が「表」というか、浦沢の持ち味と見られてると思うんですよ。ワッと人気が出たのもこっちからでしたからね。でも、実はぼくにとっては「表」系のほうが創作の幅を広げる実験作だったんです。

 世間からは「裏」とみられている話の込み入った作品群は、むしろ子どものころからの自分の感覚の近くで描いてる。

 「MONSTER」は、特にわき役を描くのが楽しいですね。主人公は物語を背負う責任がありますが、わき役はそれぞれ自己主張して、てんでんバラバラに振る舞ってもいいでしょう。そもそも一致団結してない人間たちが好きなんですよ。

 欧米的? よく指摘されるんですけど、ちっちゃいころのテレビの影響なんじゃないかな。ぼくらの世代は「奥様は魔女」とか「宇宙家族ロビンソン」とか、アメリカからの輸入ドラマが多かった。ゴールデンタイムはずっと見てました。マンガだと、ベルギーやフランスのバンドデシネ(欧州独特の芸術的マンガ本)の絵の方が好み、今でもよく買っては眺めてます。

 両親は図面を引く仕事をしていたんですよ。だから紙やペンは小さいころからふんだんにあった。これは後付けの理屈になっちゃうんですけど、紙にすーっと描く一本の線の快感が自分がマンガを描こうとした動機なのかもしれませんね。実際線を描くのは面白いですしね。

 マンガ家も年を重ねると線も変わるんです。手塚治虫さんは「ブラックジャック」のころ、口をすっとした線で描かなくなってる。口って、すごく難しいんです。ブラックジャックは震えた口をしている。だけど、それがかえってかっこいい。よくマネしました。

 医師が主人公のせいなのか、この「MONSTER」は、手塚作品へのオマージュ(献辞)のようだとよく言われる。自分でも手塚趣味が強く出てるなあとは思うんです。高校生のころにぼくの描いたマンガを今みると、まったく手塚さんなんですよ。

 それに飽き足りなくなって大友克洋さんらに傾倒し、プロになってさらにオリジナリティーを求めた。より新しい観点で、新しい切り口でと求め続けて、その結果また、手塚さんに戻ってしまったのかもしれないですね。

(1999年6月4日付、朝日新聞朝刊)

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MONSTER©浦沢直樹・スタジオナッツ/小学館全18巻

浦沢直樹浦沢直樹さん1960年東京都生まれ。明星大学経済学部卒。大学時代はロックバンドに熱中。就職活動の一環として小学館を訪問したことがマンガ家への道を開いた。83年「BETA!!」でデビュー。西欧的な洗練を感じさせる画力と、巧みなストーリー展開で幅広いファンを持つ。社会現象ともなった「YAWARA!」で90年に小学館漫画賞受賞。(1999年6月4日付、朝日新聞朝刊)

マンガ優秀賞

マンガ優秀賞神童さそうあきらさん

神童

あらすじ

 音楽大学を目指して浪人中の菊名和音は、小学生成瀬うたと出あう。うたは和音の平凡なピアノで、風景を一変させてしまうような音を出した。神童だったのだ。和音にひかれ、何かとつきまとううただったが、やがて天才ピアニストとして世に出ていく。しかし、うたの体に、ある時異変が起こった。

受賞コメント

 音楽はそれ自体が計れないほど大きな力を持った表現です。

 しかし、発信された音楽にむかって傾けられた耳がないとその表現は死んでしまいます。『神童』の中で僕は音楽を耳の問題として表現しようと思いました。

 どういうふうに耳を傾ければ音楽が音楽として聞こえてくるのか?

 音楽を音だけではなく、絵だけでもなく、エピソードとして表現すること。それが僕の考えた方法でした。

 しかし、僕は音楽について何かを人に語るほど音楽を大切に扱ってきたわけではありません。描き進むにしたがって、僕の中には今まで散々無駄にしてきた音たちが後悔の念とともによみがえってきました。

 主人公=うたに教わることは、作者である僕にとっても少ないものではなかったのです。

 うた、そしてこの作品を支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。

(1999年の贈賞式小冊子から)

作者に聞く

 ともかく人間を描くのが好きなんですね。

 人間はなんて変な生き物なのだろう。でもそういう、いとしくておかしい、人間の変なところをもっともっと描いていきたい、という思いは常にあります。今までセックスのことをいろいろ描いてきたのも、町内会のような狭い狭い世界の権力闘争みたいなのをマンガにしたのも、そういうテーマに沿ったものだったんですよ。

 「神童」は最初「芸術大学物語」みたいなイメージで考えてました。音大出身者に話を聞くと、同じ楽器を学ぶ人の間では、すぐ序列が決まってしまうような厳しい実力の世界なのに、妙に世間知らずな人がいたり、せこい足の引っ張り合いがあったり。「人間て変だよな」というテーマに当てはまる世界だったからです。

 でも、音楽をマンガ化するということを考えているうち、音そのものを正面から取り上げようと思い始めた。最近、ぼくは「人間はどういうふうに世界を認識していくのか」に特に興味があるんです。それを音にしぼり込んでやってみたくなった。

 音楽はもともと好きで、10年ほどガムラン(インドネシアの民族音楽)をやってるんですけど、そこで知り合った先生や多くの人に、音楽の奥深さ楽しさを教えてもらったことも大きかったですね。

 小さいころは「どんなことがあってもマンガ家に」とかは考えなかったんです。高校までは授業中、先生の似顔絵を描いて喜んでるくらいで。早稲田大学で漫画研究会に入らなければマンガ家になるようなことはなかったでしょう。

 当時の漫研には、やくみつるさん、けらえいこさんをはじめ後にプロになった人も何人かいましたし、マンガ家にならなかったメンバーにも才能ある人がいっぱいいて、僕はそういう人たちに育ててもらったようなものです。

 大学時代は、ちょうど高野文子さんや大友克洋さんがマンガのニューウェーブで「ああ、こういうふうに描いてもいいんだ」と、目を開かされた思いがしましたね。

 デビューしてからは大島弓子さんや、岩館真理子さん、くらもちふさこさんといった少女マンガ家に多く影響を受けました。そのせいか、ぼくも最初は「ハートウォーミングな叙情派」と言われてたんですけどね。

 「神童」は、連載当初はまったく反響なくて。単行本になってから「絶対音感」のブームなどもあったんですが、やっぱり売れなくて。でもこの賞でやっと増刷がかかりました。

(1999年6月4日付、朝日新聞朝刊)

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神童©さそうあきら/双葉社全4巻

さそうあきらさそうあきらさん1961年兵庫県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。84年「シロイシロイナツヤネン」でデビュー。「神童」が評判となるまでは、日常の中で淡々と起こるセックスや殺人を描く異色のマンガ家として評価されていた。著作に「俺たちに明日はないッス」「愛がいそがしい」「タマキトヨヒコ君殺人事件」など。(1999年6月4日付、朝日新聞朝刊)

特別賞

特別賞夏目房之介さん

マンガ批評の優れた業績に対して

夏目房之介さん 夏目房之介さん

受賞コメント

 受賞には因縁を感じます。父が今年2月に亡くなって、直後の受賞でしょ。手塚さんはぼくの心の父だったんだなあという思いにとらわれました。それに、今回賞をいただくことになった一連のマンガ表現論の最初の著書が、1992年に出した『手塚治虫はどこにいる』なんです。

 60年代以降の手塚さんについて言えば、マンガ家としては「ワン・オブ・ゼム(絶対的な存在ではないことの意)」だと今でも思っています。神話化すべきじゃない。本人でさえ、自分が死んだら自分のマンガは売れなくなると考えていたフシがあるくらいですから。けれど、その象徴性、存在感の大きさはだれにもとって代われなかった。

 ぼくはあの本で、手塚さんの線とコマ割りを分析し、「アニメを手がけて以後、手塚マンガは変容した」と結論づけました。ただ、変容の評価について言えば、これは世代的な違いが大きい。例えば私よりちょっと上の映画監督の大林宣彦さんは、手塚マンガを「アニキが教えてくれる不良の読み物」として読んだ世代です。ぼくが好きな『鉄腕アトム』など、いい子ちゃんへと堕落したマンガと見ているのです。半面、ぼくより下の世代なんかだと、ぼくがどうかなあと思う作品に感動しちゃう。

 これはいいんです。この出あいの違いこそ愛の在り方だと思うんです。そして手塚マンガがそれだけの広がりと時代性を持っているから起こるズレでもある。

 表現論としてのマンガ批評をやらねばという思いは、70年代からありました。けれど、いよいよ腹を決めなきゃならんなと感じたのは、手塚さんが亡くなった時ですね。「自分がこのまま死んで、悔いが残るとしたら、マンガの表現論を正面からやってないことだ」と感じたんです。それまでは「理屈っぽい表現論なんかに足を突っ込んじゃ、食えなくなるんじゃないか」という不安の方が強かった。

 結果ですか? マンガ表現論に手を染めて以降、批評の仕事の引き合いは多くなりましたよ。マンガがそれだけ成熟し、体系的なマンガ論を必要とする段階に来ていたのでしょう。最近は海外からの取材が急激に増えています。ところが、マンガの本家であるはずのこの国には海外向けの資料の整備どころか、まともな英語版の情報発信さえありゃしない。マンガ表現論の山を越えても、まだ先に自分のやるべきことは多そうな気がしてきました。

(1999年6月4日付、朝日新聞朝刊)

  • 手塚治虫の冒険

手塚治虫の冒険

夏目房之介夏目房之介さん1950年東京都生まれ。青山学院大学文学部卒。82年から91年にかけて週刊朝日にマンガコラム「學問」を連載。実作者ならではの視点を生かしたマンガ批評家としての活動は長いが、初期は面白エッセー的な色彩がつよかった。この時期の著作に「夏目房之介の漫画学」「消えた魔球」など。92年以降は線やコマの分析による新しいマンガ表現論の旗手としての活動に力点が移る。この分野の著作に「手塚治虫はどこにいる」「手塚治虫の冒険」「マンガはなぜ面白いのか」など。マンガ評論テレビ番組「マンガ夜話」のレギュラーも務めている。文豪夏目漱石は祖父。(1999年6月4日付、朝日新聞朝刊)