第4回 手塚治虫文化賞 2000

マンガ大賞

マンガ大賞西遊妖猿伝諸星大二郎さん

西遊妖猿伝

あらすじ

 妖怪・無支奇から斉天大聖の称号と金環を与えられた少年・孫悟空は、山賊や唐軍の戦いに巻き込まれる中、学僧・玄奘や、破戒僧・猪八戒らと出会う。悟空は、大聖の呪縛から逃れるため、玄奘と共に天竺(てんじく)を目指す決心を固める。

 1983年に始まった連載は3誌にまたがって続けられ、97年、第2部が終了し、いったん休止。単行本は初め双葉社から出されたが、大幅に加筆し潮出版社から新たに刊行、今年3月に全16巻で第2部までが完結した。

(2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 このたび、思いがけず大きな賞をいただくことになり、驚いています。今まで、こういうものには縁がないと自分で勝手に思い込んで、マイペースでずっとやってきたので、驚くというより、少々狼狽(ろうばい)していると言ったほうがいいかもしれません。

 そもそも、二十数年前に実質的にデビューして、現実にマンガ家生活を始めるきっかけになったのは、「少年ジャンプ」で公募していた新人賞「手塚賞」を受賞してからでした。今また、手塚先生の名前を冠した賞をいただき、不思議な運命の巡り合わせ……と言ったらオーバーですが、先生も「西遊記」を描いておられることだし、なにやらできすぎた偶然のようなものを感じていました。そうなると僕はさしずめ、手塚先生の掌の上でいばっている孫悟空のようなものでしょうか。まあ、それは考えすぎとしましても、これからもマイペースは変わらないと思うので、如意棒ならぬペンを持って、こつこつ天竺(てんじく)を目指して歩き続けようと思います。時にはアイデアというきんと雲に乗って……。

(2000年の贈賞式小冊子から)

作者に聞く

 受賞の感想と言われても「ピンと来ない」というのが正直なところです。大きな雑誌で週刊連載なんてしてないから賞とは縁がないものと思ってたし……。

 でも漫画家生活を始めるきっかけになったのは、新人を対象にした集英社の「手塚賞」受賞でした。今また手塚先生の名前を冠した賞をいただくのも、不思議な巡り合わせです。手塚先生も「西遊記」をマンガにしておられるし、すると僕は、手塚先生の手の上でいばっている孫悟空のようなものなんでしょうか。

 「西遊記」を題材にしたマンガは昔も今もたくさんありますが、悟空が天界で大暴れする一番面白い部分があまり描かれないのが不満だったんです。原作も、玄奘と旅に出てからは妖怪(ようかい)が現れてはやっつけ、とパターン化するし。それで、自分なりのアレンジで「西遊記」をマンガにしたい、と思ったんですね。

 悟空を人間にしてみたらどうだろう、と考えたのはまるっきりの荒唐無稽(こうとうむけい)とは違う面白さを出したかったから。悟空の相手も主に人間にして、妖術じゃなくて棒と剣との闘いにした。長いページを使ってアクションを思い切りかいてみたかったんです。これまでの僕の作品では、ストーリーの説明にページを取られてしまって、アクションを描く余裕がなかった。

 人間の悟空に力を与えるのは、「無支奇」という巨大な猿の妖怪です。中国の伝説では水の神ですが、「妖猿伝」では死んだ人間たちの怨念(おんねん)をエネルギーにしている。民衆の負のエネルギーの象徴ですね。そこに権力者や仏教が絡んで物語が動いていく。中国の歴史を読むと飢饉(ききん)や戦争で何万、何十万と死んだなんて話がゴロゴロしてるので、そんな妖怪もいるだろうと思ったんですが、日本人的発想かも知れません。

 玄奘の伝記に基づいて時代や舞台を決めると、自然と実在の人物や事件を織り交ぜた話になっていった。悟空が隋の煬帝の地下墓室から唐の宮城に忍び込み、「玄武門の変」(唐の太宗・李世民が兄と弟を殺し帝位に就く)に巻き込まれ、天界でなく宮城で大暴れして――といった具合に。取経の旅も、史実に忠実にやりつつ、どこまで西遊記の面白さを盛り込めるか、ですね。

 資料はいろいろ読みますが、実は中国に行ったことがないんです。出版社からお誘いはあったけど、出無精というか……。でも想像で描いてる方がむしろいいのかも知れない。

 中国・西域・天竺(てんじく)の3部構成で計10巻くらい、と思って始めたんですが、なぜか長くなってしまい、中国篇(へん)が大唐篇と河西回廊篇に分かれ、連載開始から14年もかかって16巻でようやく唐を出るところまでこぎつけた。最初の連載誌がなくなったりしてもこうして続けたのは、そうですねえ、僕が執念深いからでしょうね。単行本にする時いろいろ手直しするのは未練がましいからかなあ。

 しばらくはいろんな短編をかいていたいんだけど、こんな賞をもらうと、残る西域篇・天竺篇を早く始めなきゃいけないのかな。ライフワーク? いやぁ、そんな風に言われると、完成したら引退しなきゃならないみたいで。あと5、6巻くらいで終わればいいかな、と思ってるんですけど。

(2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)

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西遊妖猿伝©諸星大二郎/潮出版社全16巻

諸星大二郎諸星大二郎さん1949年長野県生まれ。東京都庁に勤めながらマンガをかき、70年「ジュン子・恐喝」でデビュー。退職後、本格的な創作活動に。74年「生物都市」で手塚賞(集英社主催)を受賞。独特の奇想が光るSFやホラー、古代史や神話などを大胆に再構成するスケールの大きな伝奇マンガを得意とする。92年、「異界録」「ぼくとフリオと校庭で」で日本漫画家協会賞優秀賞。ほかに「暗黒神話」「マッドメン」「妖怪ハンター」シリーズなど。 (2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)

マンガ優秀賞

マンガ優秀賞ドラゴンヘッド望月峯太郎さん

ドラゴンヘッド

あらすじ

 修学旅行中の主人公テルたちを乗せた新幹線が、トンネル崩落に見舞われる。生き残ったテルたちはトンネルを脱出、東京に向かうが、待っていたのは崩壊した世界だった――。規模も分からないほどの大災害を、主人公の視点から圧倒的画力で描き出すとともに、パニックや恐怖に捕らわれた人間の心の「やみ」にも迫る。1994年から「ヤングマガジン」に連載され、97年には講談社漫画賞受賞。連載は99年末に終了、今年4月に単行本第10巻が出て完結した。

(2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)

作者に聞く

 作者望月峯太郎氏は、作品について作者自ら語ることはしたくないとの理由で、インタビューには応じず、かわりに次のようなコメントを寄せた。

 「このような賞を頂いて大変光栄です。今後も最善を尽くして精進してやっていくつもりです。これからもよろしくお願いします」

(2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)

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ドラゴンヘッド©望月峯太郎/講談社全10巻

望月峯太郎望月峯太郎さん1964年神奈川県生まれ。84年に講談社ちばてつや賞優秀新人賞を受賞、翌85年から「ヤングマガジン」(講談社)で「バタアシ金魚」を連載。ほかに「バイクメ~ン」「お茶の間」「座敷女」「万祝」がある。近年は望月ミネタロウに改名し「東京怪童」「ちいさこべえ」を発表。90年に「バタアシ金魚」、98年に「鮫肌(さめはだ)男と桃尻女」、03年に「ドラゴンヘッド」が映画化された。(2016年1月26日現在)

特別賞

特別賞フレデリック・L・ショットさん

日本マンガを海外に広く紹介した功績に対して

フレデリック・L・ショットさん フレデリック・L・ショットさん

受賞コメント

 手塚先生は、親を除けば僕の人生に一番影響を与えた方ですから、その名がついた「特別賞」をいただくことに、特別な意味を感じています。作品を通じてだけでなく、親しくしていただいたことで人間としても大きな影響を受けました。

 大学3年のとき国際基督教大学に留学した僕は、友人が薦めてくれた手塚先生の「火の鳥」を読み、大きなショックを受けました。宇宙にまで広がる物語のスケールに、マンガの大きな可能性を教えられました。

 それ以来、アメリカやヨーロッパの人にマンガを知ってほしいと翻訳や評論を続けてきました。マンガの翻訳は、言葉に執着するとマンガそのものが死んでしまう。言葉より絵を重視しなければならない。正直に訳すと大概ぎこちないし、アメリカのコミックスとはコマの展開が違うのでそのズレを言葉で補うことも必要になります。擬態語・擬音語をどう訳すかも問題です。例えば、静寂を表す「シーン」や、「……」だけのセリフはアメリカのコミックスになかった。でも、最近の読者は「……」のままで理解できるようになりましたね。

 「マンガの翻訳をしている」と言うと、40代以上のアメリカ人からは「いい大人が」という顔をされることがあります。でも、若い人たちからは「そんな楽しいことが仕事なんて」とうらやましがられるようになりました。紹介や翻訳を始めたころを考えると、現在ほど若者の間に日常の娯楽として浸透するとは思いませんでした。アニメはマンガよりさらに人気があります。僕自身のやってきた仕事は、それほど貢献していないかも知れませんが。

 ただ、アメリカのコミックス市場は日本よりとても小さく、その中でも日本のマンガを読む人は一部なので、そこを見落としてはいけないと思います。でも、すごく勢いがあることは間違いありません。

 新しい作品も読んでいますが、今は古いものの方に興味があります。明治時代に渡米し、アメリカのコミックスの文法を最も早い時期にとり入れて1930年代にストーリーマンガを世に出した木山義喬の作品を、98年に翻訳しました。「鉄腕アトム」の原点を探る本も企画しています。

 マンガを一から説明する記事や本は、もう書く必要はないでしょう。これからの自分の役目は、日本やアメリカで知られていない作品、自分が興味を持った作品をどんどん紹介していくことだと思っています。

(2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)

  • ニッポンマンガ論

ニッポンマンガ論

フレデリック・L・ショットフレデリック・L・ショットさん1950年、米国ワシントン生まれ、サンフランシスコ在住。作家、翻訳家、通訳。手塚治虫、池田理代子、士郎正宗など多数の日本マンガを翻訳。作品面・産業面から日本マンガを概観した96年の著書「Dreamland Japan:Writingson Modern Manga」は98年、日本語版として「ニッポンマンガ論」がマール社から刊行されている。 (2000年5月31日付、朝日新聞朝刊)