第6回 手塚治虫文化賞 2002

マンガ大賞

マンガ大賞バガボンド

井上雄彦さん、原作・吉川英治「宮本武蔵」

バガボンド

あらすじ

 関ケ原の戦いで敗軍の兵となった武蔵は、僧・沢庵(たくあん)に諭され剣の道を志す。京で吉岡清十郎・伝七郎兄弟とまみえ、槍(やり)の宝蔵院胤舜(いんしゅん)と死闘を展開、鎖鎌の宍戸梅軒に二刀で立ち向かう。

受賞コメント

 多大なる評価をいただき、身の引き締まる思いです。本当にありがとうございます。

 白い紙の上に人間を生み出し、人生を描き出し、世界を組み上げていく。この素晴らしくも苦しい、そして楽しい創造の仕事に今この時も黙々と取り組んでいるすべての人々と、この賞を分かち合いたいと思います。漫画の表現は、手塚治虫先生をはじめ幾多の作家たちのひらめき、努力、勇気、挑戦によって、一つまた一つとその新たな道をひらき、そのたびに魅力的な作品が生み落とされてきました。その恵みは私の血となり肉となり、今この時代に作品を世に出していく力の源になっています。新しい何かをひねり出そうとする気持ちの支えとなってくれます。これからも一筆一筆を最大限楽しむべく、精進していきたいと思います。「バガボンド」がこれからどうなっていくのか、私も楽しみです。皆さんも楽しみにしていてください。

(2002年の贈賞式小冊子から)

作者に聞く

 この魅力的なキャラクターたちの顔を描きたい――。知り合いの編集者に「面白いよ」と薦められた原作を読んで、そう思ったのが始まりです。

 「スラムダンク」でやりたいことをやりきってしまい、描きたいことが見つからなかった。そこで「武蔵」に出あい、時代劇に興味があったわけでもなく、面倒な考証の難しさも知らず、ただ顔を描きたい、そして、自分が読んで「面白い」と思った気持ちをそのまま読者にも感じてほしいと思って、「武蔵」の世界に飛び込みました。

 連載初めのころの絵は手足がひょろ長くて、体形が着物に合ってない。だんだん手足が短く顔が大きくなって、しっくりくるようになった。今は日本人的な顔と体形の人物を描くのが楽しい。

 「すごい画力」と言われるが、自分では全然満足していない。もっとうまくならないと恥ずかしいし、うまくなりたいと思ってる。そのために、1本1本の線に魂がこもるようにペンを動かす。線はどんどん増えていきますね。背景も、シーンが要求する“空気”が出るまでスタッフに描き込んでもらっているので、巻を重ねるごとにページが黒くなっていく。

 ストーリーは、原作から随分変わりました。大きな違いの一つは、武蔵が武者修行に出る前に書物を読むだけの3年を過ごす、というくだりをやめ、すぐ旅に出る展開にしたこと。原作ではあの3年を境に武蔵の性格がガラリと変わる。でも、その成長の過程こそ僕が描くべきところだと思った。書物ではなく、闘いながら自分の体で「人はいかに生きるべきか」を学ぶ武蔵を描きたい。

 僕の資質として、人物を描き込むほど“いいひと”になってしまう。その人物が好きになるんですね。その相手と武蔵が殺し合うのは、正直描いていてつらい。でもそんな時ほど話は面白くなっているはず。「殺しちゃえばいい」と読者が思うような人物ではつまらないし、描きたくもない。

 分かり合える相手と殺し合う武蔵の内面を描こうとすると、おのずと精神的、観念的なところに物語が踏み込まざるを得ない。肉体のリアルなぶつかり合いを描いてきた僕がやってこなかったことです。すごく成長しますよ、このマンガを描いていると。まるで、武蔵ではなく自分自身の修行のようです。

(2002年5月28日付、朝日新聞朝刊)

バガボンド講談社・既刊1~37巻(2016年2月現在)

井上雄彦井上雄彦さん1967年、鹿児島県生まれ。90~96年「週刊少年ジャンプ」(集英社)に「スラムダンク」連載。同作は93~96年にテレビアニメに。(2002年5月28日付、朝日新聞朝刊)

マンガ優秀賞

マンガ優秀賞ベルセルク三浦建太郎さん

ベルセルク

あらすじ

 身の丈を超える大剣を振り、魔物を狩る旅をする孤高の剣士ガッツ。彼は、かつての傭兵(ようへい)仲間を生けにえにささげ、魔王に転生したグリフィスへの復讐(ふくしゅう)に燃える。再び肉体を得て地上に降りたグリフィスを追い、ガッツの新たな闘いが始まる。

受賞コメント

 この度は、手塚先生の名前を冠する名誉ある賞を頂き、大変恐縮です。この10年、日本の抱えるストレスは肥大し続け、それに伴い漫画界ではファンタジーの裾野が広がり続けてきました。今や一番描き手の多いジャンルでしょう。逃避や癒やしの効力を持つ領域として、それは必然なのかも知れません。ですが、特に青年誌においては最も社会的認知度の低いジャンルでもあります。子供やファンタジーファン、絵空事に門戸の広い人達(たち)にのみ向けて描くのならば、それで良いのですが一般の方に興味を持って頂くには、それでは足りません。人々の共通のツール、「人間」や「現実」をしっかり踏まえないと、一見(いちげん)さんを作品世界に誘(いざな)うのは難しいのです。最近はCGの目覚ましい発展で、ファンタジーにおいては、ビジュアルのみに重きが置かれる傾向があります。しかし、観(み)る側を受動的にしてしまう映像メディアとは違い、漫画は読者の読むという能動性無くしては成り立ちません。臨場感の高い世界を表現できても、登場人物の心に臨場感や共感が持てなければ、元も子もありません。そして人間不在の物語に魅力を感じてもらえるはずがないのです。「絵空事(ファンタジー)だから」を免罪符にしないよう、また「絵空事(ファンタジー)だからこそ」できることを武器に、これからも微力を尽くしたいと思います。

(2002年の贈賞式小冊子から)

作者に聞く

 手塚作品で一番好きなのは「どろろ」。かなり影響を受けてますね。そのほか自分の好きなマンガや小説のゴッタ煮の中から、この「ベルセルク」という作品は生まれてきた。暗くて、ドロドロして、妖怪(ようかい)めいたものが出てくるファンタジーがやりたかったんです。

 主人公ガッツの巨大な剣は、読み手がリアリティーと“臨場感”を持ってくれる限界ギリギリまで大きくしてみた結果です。ガッツが血と泥にまみれ地をはうなら、相手となるグリフィスは高みにあって白い翼のイメージで、という風にキャラクターを作っていった。

 アニメ版で音楽を担当した平沢進さんに「ガッツの剣は男根、その剣が倒す妖魔は女陰の象徴だ」と指摘され、象徴というのが物語を支える役割を担っていることに気づいた。1巻でガッツに取り憑(つ)いていた片目の胎児は、ガッツの嫌悪する“弱さ”の象徴として登場させただけだったが、それが僕の無意識の中で、長年の拷問で体の自由を失ったグリフィス(10~12巻)のイメージとつながったから、魔王に転生した彼が新たな肉体を得る時(21巻)、あの胎児を彼の魂の受け皿にしたんだと思う。

 こんな風に物語が広がっていってしまい、もう終わりがいつになるか自分でも分からない。今日一日のノルマだけを考えてペンを走らせている。

 連載が進むにつれ、絵はうまくなっているのかな。過去の自分の絵を見るとつらくてたまらないので、その分成長しているんでしょう。絵が安定してしまうと話まで型にはまるから、変化し続けた方がいいと思う。

 ディテールを追求するうちに、いつの間にかどんどん線が増えた。Gペンで描いた線には、念がこもる気がする。熱が伝わるんです。そんな力をこめた絵を、描き手が「どうだ!」と差し出し、読み手が「待ってました!」とこたえる。そんなマンガが好きだし、自分でも描いていきたい。

(2002年5月28日付、朝日新聞朝刊)

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ベルセルク©三浦建太郎/白泉社既刊1~37巻(2016年2月現在)

三浦建太郎三浦建太郎さん1966年、千葉県生まれ。89年「月刊アニマルハウス」(白泉社)に「ベルセルク」第1話発表。97~98年にはテレビアニメ化された。(2002年5月28日付、朝日新聞朝刊)