第7回 手塚治虫文化賞 2003

※ 第7回(2003年)からマンガ優秀賞に代わり、新生賞、短編賞を新設しました

マンガ大賞

マンガ大賞黄色い本高野文子さん

黄色い本

あらすじ

 就職を控えた女子高生の田家実地子(たいみちこ)は、ロジェ・マルタンデュガール著山内義雄訳「チボー家の人々」全5巻を図書室から借りて読み進んでいる。想像の中でジャック・チボーや同志たちと会話をする実地子。季節は巡り、県内のメリヤス会社への入社を決めた少女は、読み終えた本を返却する。他3編収録。

作者に聞く

 マンガを描いたのは、風呂場の1畳半の脱衣所の中。机を持ち込んで、何度も何度も描き直した。「つまらないマンガになったら、ゴミ箱に捨てよう」。そう考えながら筆を走らせた。

 資料集めや取材は特にせず、アシスタントも使わなかった。失敗しても赤字を大きくしないためだ。そのかわり「元手をかけないから、大ばくちが打てた」。

 「黄色い本」は、17歳の時の自分を振り返りながら描いた。いわば「私マンガ」。舞台は出身地の新潟県の町で、家族構成も家の間取りも同じだ。当時、読んだ「チボー家の人々」は黄色い表紙だった。

 「17歳の自分からどれだけ離れてしまったか確認したかった。いや、それってウソかな。読者それぞれが、自分の17歳の時を考えてくれればいいって思った」

 17歳は、マンガ家を志した年。きっかけは萩尾望都氏の「ポーの一族」などを読んだこと。マンガ家が自己表現として作品に向かう姿勢が新鮮だった。「作品の中の『チボー家』は、出発点となった『ポー』でもあるんです」

 描いてみて、17歳が遠くなったことを痛感した。例えば、主人公の少女が眠る場面。やりたいことがあるのに、眠らなければならない青年期の、せかされるような気持ちを描きたかった。だが「『よっこらしょ』って、40歳の気持ちが混じっちゃうんです」。

 18歳で上京し、看護師の仕事をしながら同人誌にマンガを発表。その後プロデビュー。同世代に、柴門ふみさんや近藤ようこさんらがいる。

 8歳年上の編集者の夫と2人暮らし。日頃は掃除洗濯、料理、近所づきあいの日々。生活の雑事が作品のテーマになることも多い。「他人と意見が食い違ったりして、いろいろと悩んだり、考えたことをマンガにちゃっかり使ったりすることって、よくあります」

 約20年間で、単行本は6冊と寡作だ。受賞作は前作から7年ぶり。「黄色い本」出版後は、文芸誌が「高野文子特集」を組むなど高い評価を得た。でも「私の作品はあまり売れないので、読者の反応ってあまり伝わってこない」という。だから今回の受賞はうれしい。

 「誰もがかつて体験したことを描いたつもり。この本が、もっと遠くの読者に届くことになればいいな」

(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 この度は、たくさんのお誉(ほ)めの言葉をいただき、誠にありがとうございました。

 この作品は、読書する、小説を読む、ということを絵で表現したら、どういうものになるだろうかと考え、とりくみました。読書は楽しいことではあるけれど、出合ってしまったばっかりに、悲しい思いをすることもある。本とはそういう恐ろしい一面も、持っているものではなかったか、とそのころ考えていたからです。

 ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』は、もちろん私の青春の書です。本当に真っ黄色な表紙の、美しい本でした。

 私の漫画は、よく解(わか)りにくいと言われます。自分でも綱渡りのようにあぶない描き方をしていると感じています。内心は、とても不安でしょうがありません。この作品も試行錯誤が続き、完成がどんどん遅れてしまいました。それにもかかわらず、こうして最後までたどりつけたのは、支えてくださった編集の方と、私のことを忘れずに待っていてくださった読者の皆さんのお陰です。ここで改めて、お礼を申しあげます。

(2003年の贈賞式小冊子から)

  • 黄色い本
  • 黄色い本
  • 黄色い本
  • 黄色い本

黄色い本©高野文子/講談社

高野文子高野文子さん1957年、新潟県生まれ。78年ごろから同人誌「楽書館」にマンガを発表し始める。82年「絶対安全剃刀(かみそり)」、87年「ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事」、93年「るきさん」、95年「棒がいっぽん」など。82年、日本漫画家協会賞優秀賞受賞。(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

新生賞

新生賞ほったゆみさん、小畑健さん

「ヒカルの碁」(作・ほったゆみさん、画・小畑 健さん)で囲碁という新たな題材に挑み、大きな反響を呼んだことに対して

ヒカルの碁

あらすじ

 小学6年生の進藤ヒカルは、祖父の家で古い碁盤を見つける。碁盤には平安時代の天才棋士・藤原佐為(さい)が宿っていた。佐為の導きで、囲碁の面白さに目覚めたヒカルは、やがて自分の力で戦い始める。そしてライバルの塔矢アキラらとともに日本代表として、国際試合に挑む。

作者の2人に聞く

 この5月、4年半続いた連載が終わった。最終回、ヒカルは韓国の青年棋士に敗れる。主人公が苦難を乗り越えて勝ち進む、少年誌のパターンを外した意外な結末だ。

 ほったゆみ氏が描きたかったのは「少年の成長」だ。ヒカルはこれからも囲碁を続け、人間としても成長する。そんな願いが最終回の「敗北」から伝わってくる。

 このマンガを機に、囲碁ブームが起きた。マット・ソーン氏は「バイオレンスをまったく使わずに、全国の子供たちの間に囲碁という知的で地味な競技をはやらせるなんて『まさか』を実現した」と評価した。

 子供たちだけではない。80代のお年寄りからもファンレターが届いた。孫と囲碁を楽しむおじいさんたちだ。「家族の間で、タテの交流が生まれたことが一番うれしい」と、ほった氏。そんな読者が絵を変えもした。小畑健氏は「予想以上に女性や大人にも受け入れてもらえたとのことで、幅広い読者層を意識した絵を描くようになった」。

 囲碁の腕前は、ほった氏が「アマの真ん中くらい」、小畑氏が「今回、初めて勉強した」。

 ほった氏が、コマ割りまで決めた下がきを作り、小畑氏が絵に仕上げた。「描いたものからお互いが感化され、アイデアを付け足し合っていった」(小畑氏)。その連係プレーで、世代を超えた人々の心をつかんだ。

(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント/ほったゆみ氏

 「ヒカルの碁」連載以前に、日本棋院が出版する月刊誌で漫画を描いておりました。囲碁界とのそういったおつきあいがあったおかげで、「ヒカルの碁」での取材はとてもやりやすかったものです。日本棋院の皆様には「ヒカルの碁」作品内での棋譜の選出や囲碁用語のチェックなどでもお世話になり、本当に感謝しております。

 5年前、「ヒカルの碁」の元となる原作を週刊少年ジャンプの賞に応募した時は、まさか連載になるとは思ってもいず、連載が決定した時の重圧は大変なものでした。それでも、担当編集者と、小畑先生の描き出す魅力的な世界に導いてもらいながら、ここまでやってこられました。

 連載が終了した今、やっと肩の荷が下りた感じです。「新生賞」受賞は降って湧いたご褒美のようです。ありがとうございました。

(2003年の贈賞式小冊子から)

受賞コメント/小畑健氏

 この度は名誉ある賞を頂き、本当にありがとうございます。囲碁の世界を全く知らない自分にどこまで絵が描けるのかという不安もありましたが、日本独特の様式美や静謐(せいひつ)さ、なににもまして、ほった先生の原作の面白さを毎週手にする度にこの世界をどんどん絵にしてみたいという衝動につき動かされ、最後まで描ききることができました。

 ほった先生の生み出したすばらしい物語を絵という手段で読者に伝える仕事を果たせた喜びと共に多くの読者に支えられたことと、この手塚治虫文化賞の「新生賞」に選んでいただいたことに感謝いたします。

(2003年の贈賞式小冊子から)

  • ヒカルの碁
  • ヒカルの碁
  • ヒカルの碁
  • ヒカルの碁

ヒカルの碁©ほったゆみ・小畑健/集英社全23巻

ほったゆみほったゆみさん1957年、愛知県生まれ。85年、「まんがタイムファミリー」でデビュー。87年、小学館ビッグコミック賞佳作入賞。「競馬アクション」をはじめ競馬マンガ誌数誌で活躍。(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

小畑健小畑健さん1969年、新潟県生まれ。85年下期の手塚賞(主催・集英社)準入選。89年、週刊少年ジャンプ誌で「CYBORG(サイボーグ)じいちゃんG」でデビュー、「アラビアン魔神冒険譚(たん) ランプ◆ランプ」「人形草紙 あやつり左近」など。(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

短編賞

短編賞いしいひさいちさん

「現代思想の遭難者たち」、「ののちゃん」など一連の作品に対して

現代思想の遭難者たち

作者に聞く

 「権力から自由な主体の形成」を説く思想家ミシェル・フーコーのスキンヘッドはハゲ隠し、精神分析学者のフロイトはカラオケを歌いながら群集心理を解説、文化人類学者のレヴィ=ストロースは、ブラジル先住民の社会構造調査をもとにサッカーチームを率いる。

 20世紀を代表する思想家たち34人を取り上げた「現代思想の遭難者たち」は、講談社が出版した「現代思想の冒険者たち」(全31巻)の月報に描いた4コママンガをもとに大幅に加筆した。

 思想家の人間的な魅力を笑いのネタに昇華しただけでなく、難解な思想の解釈・批評の書ともなっている。いしい氏自身は「マンガの極意があって、知ってるふりが得意」と謙遜(けんそん)するが、関川夏央氏は「教養と技術とユーモアの理想的な結合」と絶賛する。

 4コママンガの歴史を変えたともいわれる。いしかわじゅん氏は「従来、4コマは長編の習作のようにみられてきたが、いしいさんによって大河ドラマも描けることが示された」と話す。

 ののちゃんや藤原先生、ポチ。いしいワールドの住人たちは生き生きとしている。

 考えるまでもなく笑える物語が出来上がりそうだが、「よく登場人物が勝手に動くなんていう人がいるけど、あれはウソ。ちゃんとメンテナンスしてないとだめなんですよ」。

(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 今回の受賞は、ひとえに拙作を愛読してくださる皆さまのお陰です。心から、感謝を申し上げます。

 受賞対象のひとつだった『現代思想の遭難者たち』のテーマは、こうでした。

 「分からないまま、哲学パロディーを描くとどうなるか」

 そのテーマどおり、すぐに私はお手上げの状態になりました。が、注釈を担当してくださった講談社編集部の人たちや、担当編集者の川島克之さんが、商売抜きで私を励ましてくれました。そんな方々に、受賞の栄誉を捧げたいと思います。

 「ののちゃん」については、申し上げるまでもありません。無愛想な作者に耐え、2千回以上も連載を継続していただいた朝日新聞社の忍耐力に、お礼を申し上げます。

 ことさら申し述べる抱負もありませんが、今後も皆さまに喜んでいただける作品を心がけていきます。ありがとうございました。

(2003年の贈賞式小冊子から)

  • 現代思想の遭難者たち
  • 現代思想の遭難者たち

現代思想の遭難者たち©いしいひさいち講談社

  • ののちゃん
  • ののちゃん
  • ののちゃん

ののちゃん©いしいひさいち徳間書店・既刊1~9巻(2016年2月現在)

いしいひさいちいしいひさいちさん1951年、岡山県生まれ。関西大学在学中の72年、求人誌「日刊アルバイト情報」で「Oh! バイトくん」連載。79年、「がんばれ!! タブチくん!!」など。03年、日本漫画家協会賞大賞受賞。(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

特別賞

特別賞水木しげるさん

独創的な画業と長年の活躍に対して

水木しげるさん 水木しげるさん

 「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童(かっぱ)の三平」など、妖怪や悪魔などを主人公にしたマンガで知られる。「ワン・アンド・オンリーの存在」(いしかわじゅん氏)。「日本独特の“妖怪”文化を長年育て守り続け、若い人たちに“目には見えない豊かな世界”のファンタジーを与え続けた」(香山リカ氏)と評価された。

 22年、鳥取県生まれ。太平洋戦争に召集され、ラバウルで片腕を失いながら、紙芝居や貸本マンガで生活を続け、64年にデビュー。以後、妖怪マンガだけでなく、戦記マンガ、歴史劇マンガなどを発表。今年、出身の境港市に水木しげる記念館が誕生した。

 妖怪を自称する。受賞の言葉からも、ひょうひょうとした人柄がにじみ出る。

(2003年5月27日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 非常にウレシイですね。特に手塚さんは私より年下だったので私の方が早い、即(すなわ)ち早く極楽にゆけると思っていたのですが、逆になってしまって妙な気持ちです。

 まァ何でも「賞」はもらえればうれしいもので、時にお金ももらえるので「一粒で二度おいしい」というどこかのコマーシャルみたいに二度うれしさを感ずる気持ちです。

 最近少しぼけているせいか非常にうれしいのです(おかしいですネ)。このあとこんなうれしいことは、あの世にゆく時くらいだろうと思っています。

 奇妙な受賞の言葉になってしまいましたが、うれしさは正常に感じています。ホーホケキョ。

(2003年の贈賞式小冊子から)

  • ゲゲゲの鬼太郎

ゲゲゲの鬼太郎©水木プロ

水木しげる水木しげるさん1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征し、爆撃を受け左腕を失う。復員後紙芝居画家となり、その後、貸本漫画家に転向。代表作に「ゲゲゲの鬼太郎」「河童(かっぱ)の三平」「悪魔くん」など。2012年に「総員玉砕せよ!」で米アイズナー賞最優秀アジア作品賞受賞。15年逝去。