第10回 手塚治虫文化賞 2006

マンガ大賞

マンガ大賞失踪日記吾妻ひでおさん

失踪日記

作者に聞く

 「ナンセンスギャグは、常に新しいアイデアで作っていかなければならないので、個人の力では限界がある。自分としては、それを乗り越えて復活したというより、別の道に行ったと思っています」

 2度の失踪とアルコール依存症での入院を経て、再びマンガ家として描きだしたことをこう振り返る。

 「失踪日記」に通底するのは、異常な経験を冷めた目で見ている第三者の視点だ。

 「実際にホームレス生活をしている時はすごく厳しかったが、時間をおいて思い出してみると、なんか間抜けというか笑える。結局はホームレスも日常になっていくんだなと。『アル中』だってそれがいつもの生活になる」

 1度目の失踪を描いた部分では、腐りかけた毛布を拾って寒さをしのぎ、ゴミをあさり、空き瓶からわずかな酒を集める自分の姿を克明に描く。悲惨な生活のはずなのに、毎日それなりに工夫して生きていく姿はどこかコミカルだ。

 2度目では、なぜかガスの配管工として働くようになる。どんどん体はたくましくなり、資格試験の勉強まで始める。さらには、親会社の社内報に自らマンガを投稿してしまう。描けずに逃げてきたはずなのに。

 「常に自分を第三者として見てしまうというのはありますね。マンガの中の住人になるというのが、子どものころからの願望なんです。何にも悩まないで、バカみたいで楽しそうでしょ」

 受賞作が話題になり、再びマンガの仕事もポツポツと来るようになった。入院を契機に始めた断酒も7年を迎えた。

 「なるべく自分を追い込まないようにしています。朝起きて、午前中2、3時間仕事をしたら午後は休み。図書館でぼーっとしたり、散歩したり。断酒と一緒で、無理をしないで少しずつ積み重ねていきたいですね」

(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 珍しい体験をしたので、ぜひ皆さんにも知ってもらいたいと思い、漫画にしてみました。ホームレスもアルコール依存症も、私にとっては悲惨な思い出ですが、読んで少しでも面白がっていただければ幸いです。

 自己表現の手段として、絵を描き、ネームを入れる作業は私にとって、自然な行為です(文章を書いていると、その不便さにイライラします)。

 誰よりも漫画を自由自在に使いこなした、尊敬する手塚先生。

 その名を冠した賞をいただけたことは、名誉なことであります。

(2006年の贈賞式小冊子から)

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失踪日記©吾妻ひでお/イースト・プレス

吾妻ひでお吾妻ひでおさん1950年、北海道生まれ。板井れんたろう氏のアシスタントを経て69年にデビュー。「ふたりと5人」「やけくそ天使」などのギャグ、「ななこSOS」などの不条理、SF、さらにおたくの源流ともいえる美少女ものなど、幅広いジャンルで多数の作品を発表する。79年に「不条理日記」で第10回日本SF大会星雲賞のコミック部門賞を受章。「失踪日記」は、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で大賞を受賞している。また13年に続編である「失踪日記2 アル中病棟」を発表。14年の「カオスノート」は著者の真骨頂でもあるナンセンスギャグの集大成として、識者の間でも大きな話題となった。(2015年12月16日現在)

新生賞

新生賞ひぐちアサさん

「おおきく振りかぶって」で、野球マンガに新たな表現の可能性を示したことに対して

おおきく振りかぶって

あらすじ

 埼玉県立西浦高校は、軟式から硬式野球部になったばかり。トラウマを抱える投手の三橋、読みの鋭い捕手の阿部、天才肌の三塁手・田島らが一つのチームとしてまとまりながら、甲子園出場を目指す。

作者に聞く

 新設された硬式野球部が、甲子園を目指す。王道を受け継ぐ筋書きながら、「野球マンガに新風を吹き込んだ」と評価された。登場するのは、少女マンガに出てくるような繊細で、表情豊かなキャラクターたちだ。

 「ずっと温めてきた題材だった」という。小学生のころ「ドカベン」に夢中になった。高校生の時には、近所の公立高校が甲子園ベスト4に進み、胸を躍らせた。

 デビューは28歳と、遅咲きだ。高校生の同性愛を描いた「ゆくところ」が月刊誌アフタヌーンの四季賞(新人賞)に選ばれた。以後、家族のきずななど内面的な作品を描いてきた。

 だが「この『おお振り』の方が素で描ける」という。作品のため、5年ほど前から母校の野球部に通い詰めている。「選手たちが育っていく過程がすごく面白い。3年間で、顔から何から見違えるほど立派になっちゃうんですよ」

 手塚治虫文化賞には縁を感じる。「人生を変えた一言」を聞いたのは、第8回の贈呈式だった。式典後のパーティーで「アフタヌーン」の当時の編集長から、秋から「おお振り」の連載を考えていると告げられた。

 なぜ、高校野球か。「好きだからとしかいいようがない。いつか、甲子園に行けるといいな、と思いながら描いてます。どうなるかは私にも分からないんですけど」

(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 高校時代から描きたかった登場人物たちを描くことができるだけで、毎日がもう幸せいっぱいなんですが、さらに、それがこんな賞までいただけるなんて、うまくいき過ぎて、そろそろなんかあるんじゃないかと怯(おび)えています……。

 私の受賞を喜んでいてくれる全ての読者の皆さんに、この賞をささげます。

 それから、登場人物に命を吹き込んでくれた母校野球部の選手たち、楽しい仲間に入れてくれた父母会の皆さん、いつも迷惑をかけてしまう担当さんとアフタヌーン編集部、わがままを聞いてくれる家族とアシスタントさんたちに、心から感謝します。

 これからも、面白い漫画を描けるよう、がんばります!

 ありがとうございました。

(2006年の贈賞式小冊子から)

  • おおきく振りかぶって
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おおきく振りかぶって©ひぐちアサ/講談社既刊1~26巻(2016年2月現在)

ひぐちアサひぐちアサさん1970年、埼玉県生まれ。98年に「ゆくところ」でデビュー。単行本に「ヤサシイワタシ」(全2巻)、「家族のそれから」。(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)

短編賞

短編賞伊藤理佐さん

「女いっぴき猫ふたり」、「おいピータン!!」、「おんなの窓」など一連の作品に対して

女いっぴき猫ふたり

作者に聞く

 マンガ雑誌に女性誌にインターネット。7本の連載を抱える売れっ子。

 「手は抜いていないが気は抜いている『女いっぴき』と、すごい時間をかけて創作している『おいピータン!!』の両方が同時に評価されて、不思議な気持ち。努力の方向が分からなくなりました」と笑う。

 ごくありふれた日常から、笑いの種を集めてきた。ウェブ連載をまとめたエッセーマンガ「女いっぴき」は、14歳の愛猫「ニャコ」「クロ」が度々登場する身辺雑記。「私にとっては後書きのような作品。つまんなくってもだれも文句を言わないような」

 一方、「ピータン」は創作による8ページ。食べ物や恋愛を題材に、ごく普通の人々の魅力を描き出す。05年度の講談社漫画賞(少女部門)はこの作品で受賞した。「おんなの窓」は、「微妙な年齢を売った」という1コマだ。

 今年37歳だが、デビューは高校3年生、来年でキャリアは20年になる。「一回頼んでみたが、やってもらうことがなかったから」とアシスタントもつけず、一人で描き続けている。

 すき間産業のように、面白いマンガに挟まれた意外に面白いマンガが目標だ。「どこにでもいる普通の人の話を、面白く、大げさに、ネタとして描きたいなあ、と」

(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 一生懸命描いている漫画と気を抜いて(手ではなくて)描いている漫画が一緒に賞をとってしまいました。

 がんばればいいんだかがんばらない方がいいんだかわからなくなってしまいました。

 でも周りから「賞をとったからって難しいことを考えないできちんともらっておけ。あと〆切(しめき)り守れ」といわれてほんとうにそうだと思いました。

 「手塚治虫」の名前がついているこんなすごい賞を頂いても今までとおなじようにしか漫画を描けませんがこれからもよろしくおねがいします。

(2006年の贈賞式小冊子から)

  • 女いっぴき猫ふたり
  • 女いっぴき猫ふたり
  • 女いっぴき猫ふたり

女いっぴき猫ふたり©伊藤理佐/双葉社全2巻

  • おいピータン!!
  • おいピータン!!
  • おいピータン!!
  • おいピータン!!
  • おいピータン!!

おいピータン!!©伊藤理佐/講談社既刊1~15巻(2016年2月現在)

  • おんなの窓
  • おんなの窓

おんなの窓©伊藤理佐/文藝春秋既刊1~5巻(2016年2月現在)

伊藤理佐伊藤理佐さん1969年、長野県生まれ。87年に「お父さんの休日」でデビュー。主な作品に「おるちゅばんエビちゅ」「やっちまったよ一戸建て!!」など。(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)

特別賞

特別賞小野耕世さん

長年の海外コミックの日本への紹介と評論活動に対して

小野耕世さん 小野耕世さん

作者に聞く

 40年近く欧米、アジアのマンガを日本に紹介してきた。05年には「アメリカン・コミックス大全」(晶文社)、訳書の「消えたタワーの影のなかで」(岩波書店)の出版が重なった。

 手塚治虫さんとは縁がある。アメコミに関する文章を初めて書いたのが、月刊マンガ誌「COM」だった。海外マンガの記事を載せたいと、手塚氏が推薦したという。68年、「スパイダーマン」の紹介記事だった。

 約480ページの「大全」では、この初原稿を含む過去の評論や、米国のマンガ家たちのインタビューをまとめた。

 作品だけでなく、海外作家との交友も広い。9・11テロをコミックで描いた「消えたタワーの影のなかで」を訳したのは、作家のスピーゲルマンと長年交流していたからだった。少部数だが、質の高い「オルタナティブ・コミックス」に関心を寄せる。今、ジョー・サッコの「パレスチナ」を訳している。

(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)

小野耕世小野耕世さん1939年、東京生まれ。マンガ評論のほか、映画評論も手がける。著書に「バットマンになりたい」(晶文社)など。日本マンガ学会理事。(2006年5月10日付、朝日新聞朝刊)