※ マンガ大賞が特別に2作品選ばれました
「長い長い時間にわたる物語を描きたかった」と話す。男女の役割が逆転した江戸時代というダイナミックな設定は、後から「たまたま思いついた」。
男性だけがかかる疫病の流行で働き手も後継ぎも女性が担う社会。将軍職も家光などの「男名(おとこな)」を持つ女性が代々受け継ぐ。女性の将軍や大名たちと、子孫を残すために大奥に集められた男性たちの、華やかでかなしみに満ちた人間模様が、繊細に、時に力強い描線で表現される。
大奥には「一つの舞台で人物が移り変わり、長い時の流れを表現できるおもしろさがある」と話す。幕末まで構想はできているという。「逆転の世界で、初めて男女の恋愛が違和感なく描けた」とも。これまでは主に男性どうしの恋愛を描く「ボーイズラブ」で人気を博してきた。
「マンガはおもしろくなくては」とエンターテインメント性を重視する。一方で、制度が宿命的に持つ不条理さ、社会の主流となった女性の生きがたさなど、深い洞察力に貫かれ、きわめて現代的でもある。
手塚マンガも読んで育った。人間の本質を見据えた作品に「残酷でエロチックなものをマンガで描いていいと学びました」。
(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)
この度は、手塚治虫文化賞という素晴らしい賞をいただく事が出来て、大変光栄に思っております。
今も昔も、自分の漫画を読んでいただけるという事は大変ありがたい事です。
今回も、少なくともこの「大奥」という漫画をノミネートして下さった方々、そして手塚治虫文化賞の審査員の方々はこの漫画を楽しく読んで下さったのだなと思うと、それが漫画家としては何よりもうれしいです。本当にありがとうございました。
文章を書くのがどうにも苦手で、なかなか「うれしいです」「ありがとうございます」以外の言葉が出てきませんが、その、うれしいです。
とっても、うれしいです。
ありがとうございました。
(2009年の贈賞式小冊子から)
よしながふみ1971年、東京都生まれ。94年に「月とサンダル」でデビュー。代表作に「西洋骨董(こっとう)洋菓子店」など。青年誌に「きのう何食べた?」も連載中。(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)
七つ年上の手塚治虫に導かれるようにマンガの世界へ入った。雑誌の投稿マンガの常連だった中学3年の時、手塚との座談会に参加した。あこがれの手塚と思う存分マンガを語り合う、夢のような時間だった。
「当時はマンガを読むのは恥ずかしいことで、学校では描いているのを内緒にしていた。でも、手塚先生が堂々と論じるのを聞いて『一生をかけよう』と決心した」
手塚の上京などで途絶えた交流が復活したのは70年代半ばごろ。80年代には2人でフランスのマンガ祭も訪れた。
晩年の手塚に「僕も劇画に近づくかも」と言われたことが印象に残っている。「新しい表現を模索されていたのでは。先生との縁を思うと、本当にうれしい受賞です」
(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)
今回は全く予期しない「マンガ大賞」をいただき、天と地がひっくり返ったような驚きです。
ノミネートされただけでも「すごい!!」と満足していたのですから、まさに喜び1000パーセントです。
海外でのマンガ賞には、これまでに幾度となくノミネートされましたが、「刺身(さしみ)のツマ」扱いで苦杯をなめてきました。
たまさか賞をいただいても、それはマンガ界に長く棲息(せいそく)してきた「ご苦労賞」のようなもので、作品に対してのものではないのです。
あげくの果てに「グランドファーザー・オブ・ゲキガ」などと呼ばれます。これでは「劇画じじい」ではありませんか。
この度の「マンガ大賞」は、ズバリ私の作品に対してのものであることが嬉(うれ)しいのです。これで、やっと私の作品も「刺身」になれたのだと、自分をほめているこの頃です。
「劇画漂流」をイチ押しして下さった方々に「ありがとう!!」と叫びたい気持ちです。
(2009年の贈賞式小冊子から)
辰巳ヨシヒロ1935年、大阪市生まれ。52年に描き上げた「こどもじま」でデビュー。〈マンガでないマンガ〉を探求した自らの手法を57年に「劇画」と名付けた。社会の底辺の人々を描いた70年前後の短編作品群は海外で高く評価され、「劇画漂流」は米アイズナー賞で2部門、仏アングレーム国際マンガ祭で世界への視線賞を受賞。2015年死去。
「パノラマ島綺譚」で原作の世界を装飾美豊かに視覚化し新たな魅力を吹き込んだ表現に対して
貧しい青年が自分とうりふたつの富豪になりすまし、夢想していた地上の楽園・パノラマ島をつくり上げる。原作は江戸川乱歩。陶酔と狂気、幻想と惑乱に満ちた世界を「装飾美豊かに視覚化し、新たな魅力を吹き込んだ」と評価されて受賞した。
「24歳でマンガ家になってからずっと描きたかった」。文章から細部をふくらませ、思い浮かんだ画像を執拗(しつよう)なまでに描き込む。アシスタントはいない。「いじましい手作業だった」
苦労したのは、目の錯覚によって凝縮された風景が続くパノラマの世界。「文章と絵では予想以上に表現が違った」
15歳で上京。戦前に一世を風靡(ふうび)した画家の高畠華宵らの影響を受け、働きながら独学で画法を学んだ。怪奇的で妖艶(ようえん)な画風は海外でも評価が高い。
5月から乱歩の「芋虫」を連載。さらに濃厚な世界が待つ。
(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)
インタビューにおいて、「誰に影響を受けましたか?」と質問されることがよくある。小学生の頃から漫画に親しんできたので、いちいち影響を受けた人の名をあげていればキリがないので、「江戸川乱歩」と軽く答えています。
それでも江戸川乱歩の世界を視覚化するのに自分が一番適任者であるという自負はあります。乱歩作品を原作とする映画を観(み)ても、これといって印象に残るものはありません。それならば自分でやってやろうと思い、乱歩作品の中でも最も映像化の困難と思える『パノラマ島綺譚』を選びました。
漫画を読んだら小説の方もぜひ読んで、せいぜい比較してもらいたいものです。
(2009年の贈賞式小冊子から)
丸尾末広1956年、長崎県生まれ。80年にデビュー。代表作に「少女椿(つばき)」など。小説の挿絵やイラストでも活躍。(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)
宗教と日本人との結びつきを親しまれるコメディーマンガに描き出した独創に対して
家事が得意で倹約家のブッダと、買い物好きで楽天家のイエス・キリストが、安アパートに住んで「下界でのバカンス」を楽しむという、驚きの設定。「宗教と日本人との結びつきを親しまれるコメディーマンガに描き出した独創性」が評価された。
「神様系のキャラが好きでイエスを描いてみたらかっこよかった。2人は、すてきだなと思う理想の人間像」と話す。随所にちりばめられた宗教ネタも人気だが「マニアックにならないよう、うろ覚えくらいで描いています」。
読めば笑いとともに心がいやされて、2大聖人への尊敬もいや増す。ゆるゆるで平和な幸福感は「みんなが仲良くできる世界に」との思いから。宗教者から「親しみがわく」との反響も来るそうだ。
(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)
いつも自宅の仕事机の前に、50センチほどの腕を組んだ白黒アトム像を飾って、手塚先生に見守ってもらっている気分で描いています。
そのマンガの神様のお名前の入った賞をいただき、ただただ嬉(うれ)しく信じられない気持ちです。
『聖☆おにいさん』は、大好きなお二人のお近くに行けたらいいなという気持ちで描きはじめたマンガです。
そして今も二人のキャラクターの近くにいられることを本当に幸せに思うと共に、このマンガを描かせてくださった編集部の皆様、温かい心で受け入れてくださった読者の皆様に心から感謝します。
これからは、ふたつのアトムに見守ってもらってマンガを描けることが、今からとても楽しみです。
(2009年の贈賞式小冊子から)
中村光1984年、静岡県生まれ。01年に「海里の陶」でデビュー。青年誌で「荒川アンダー ザ ブリッジ」も連載中。
(2009年4月19日付、朝日新聞朝刊)