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「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」(翔泳社)

 2005年に教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書(翔泳社)を出版しました。個人サイトを中心に、2004年までの日本のインターネットの歴史をたどった本です。

 「2005年から2015年までの10年間に、インターネットに何が起きたのか」と聞かれた時、自分はどう答えるだろう、と今年に入ってからずっと考えていました。


■2005

 大きな話からしましょう。2005年は「Web 2.0」の年でした。旧来からある送り手と受け手が固定化した一方通行の情報流通ではなく、誰もが情報を発信できる双方向の状況に移ったことを示す宣言です。

 静的から動的へ。傍観者から参加者へ。2005年からの5年間は、インターネットの主役が「人々のコミュニケーションを促進するコンテンツ」であり、「それを支えるサービス」へ移った時代でした。

 次に小さな話をすると、インターネットの風景を変えたのは2005年に登場したYouTubeです。

 それまで動画を観る習慣は、おもしろFlashを除き、ネットユーザーにはありませんでした。初期の動画サイトは違法アップロードされたものも多かったですが、次第に企業はその広告力に注目し公式チャンネルで動画を配信するようになり、個人もオリジナルの動画でアクセス数を競い合う世の中へと変化していきました。ニコニコ動画/ボカロ/踊ってみたなどのブームは、そうした流れの中に位置づけられます。

 2004年以前のインターネットは文章力のある人がスターでした。しかし、2005年以降は文章力がなくてもたくさんの人のアイドルになれるのです。

■2010

 2010年はThe Web Is Deadの年でした。これは米国の雑誌WIREDが組んだ特集の名称です。Googleで検索でき、どこからもアクセスが可能な開かれたネットワーク=ウェブは役目を終え、iPhoneアプリやFacebookのような閉じたネットワークや、Twitterなどのリアルタイム性の強いサービスに、皆の関心が移っていくという潮流をとらえたものでした。

 オープンからクローズへ。プル型からプッシュ型へ。2010年からの5年間は、人々の興味が「検索で辿り着くもの」から「SNSで話題のもの」へ移った時代でした。

 この頃から顕在化したのは、まとめサイト/キュレーションサイト/バイラルメディアの躍進です。情報発信することの敷居が下がり続けるうちに、今度は「価値ある情報」に辿り着くまでの敷居が上がりました。そこで情報を取捨選択する中間的役割を担うサイトが増加したのです。

 2ちゃんねる本体よりも2ちゃんねるのまとめサイトを見た回数のほうが多い人が当たり前のようにいますし、新聞社のニュースサイトよりもSmartNewsを見る回数のほうが多い人も少なくなさそうです。

 ただし、取捨選択という価値判断を挟むために、いつのまにかまとめサイトの色眼鏡で物事を見てしまっている状況になり、自分では気がつかないまま偏った価値観が形成されてしまった人々が増えていきました。

 インターネットはもともと自分の見たいものだけが見られるメディアです。設計には倫理が必要ですが、倫理観のない設計によってインターネットの環境汚染が進む、そんな側面がありました。メディアの情報ソースとしての「信頼性」があらためて問われた時代でもあります。しかし、モノを作れなくても、モノを配置する能力があれば表舞台に立てるという点では、インターネットの世界を広げる契機にもなったはずです。

■2015

 2015年のわかりやすいキャッチフレーズはまだ見つかりませんが、一つ言葉を選ぶなら「Post-Internet」です。テクノロジーがあらゆる物事の前提となり、インターネットはもはやふつうの存在で、オンライン/オフラインに特別な区別はない、そんな時代状況を指す単語です。

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ポスト・インターネット時代について特集した「アイデア」2014年9月号(誠文堂新光社)

 ダウンロードからストリーミングへ。スマートフォンからスマートエブリシングへ。写真のInstagram、インスタント・メッセンジャーのLINE、短い動画のVineなど、瞬間的に判断できるコミュニケーションの手段ばかりが増え続けている現在、5年後の東京五輪の影響もあり、「テキスト(バーバル)」中心の現在のコミュニケーションは今後「絵文字、スタンプ、写真、動画(ノンバーバル)」の比重がますます高まることになるでしょう。

 これから先のインターネットはどうなるのでしょうか。これは予想というより願望かもしれませんが、ディープラーニングによる機械翻訳の実用化が追いつき、テキストベースのコンテンツが再び活性化する未来が想像できます。

 ニュースサイトを例にすると、現在、日本語の記事の読者はほぼ日本人のみですが、これが各国語にリアルタイムで機械翻訳できれば、世界中の読者を相手に文章を書けるようになります。インターネットが登場した時によく言われた「インターネットで世界に発信」というキャッチフレーズが、初めて本当のこととして実感できるようになるのです。

 もちろん、ボーダーレスなコミュニケーションが可能になった時、言語の壁で守られてきた日本ローカルの文化市場は今のままではいられなくなるとは思います。しかし本当は、現時点でも、インターネットで新しいサービスを始めるということは、AppleやGoogle、Amazonと競争することと同じなはずです。

 本を読む時間がケータイゲームに奪われたように、ライバルは同業者だけではありません。そうした時代においては、英語を喋れることが国際派なのではなく、世界視点で物事を判断できる能力が国際派なのです。ニュースサイトは自分たちの記事が思いもよらない地域の人々に読まれても何ら問題ない「世界標準」の記事ばかりだと、胸を張って言えるでしょうか。ケータイゲームをするよりも大事なことを本当に伝えられているでしょうか。

 世界を相手に何ができるか。そういうことを皆が考え始めた時、ようやく「日本の」インターネットの歴史は終わり、世界の、いや、ただのインターネットの歴史がはじまります。

ばるぼらさん ばるぼらさん
(自画像)

 ばるぼら ネットワーカー。2005年刊行の「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」で、インターネット黎明期からのできごとを個人サイトに焦点を当てて詳細に記述。ネット文化の記録者として、高い評価を受ける。
 他の著書に「ウェブアニメーション大百科」「NYLON100% 80年代渋谷発ポップカルチャーの源流」「岡崎京子の研究」、共著に「消されたマンガ」「20世紀エディトリアル・オデッセイ」など多数。個人ウェブサイトはwww.jarchive.org