築地本願寺の境内をブラブラしていたら、森孫右衛門200回忌の追悼墓を見つけた。文久元年(1861)建立とある。森孫右衛門は、日本橋魚河岸の祖といわれている。ほんまもんのレジェンドの痕跡が築地市場の近くにあって、ちょっとびっくりだ。

 孫右衛門は、江戸の人間ではない。摂津国佃村(大阪市西淀川区)の名主で、江戸に縁もゆかりもない。それが花のお江戸のど真ん中、朝千両といわれる巨大市場の祖となるには、大河ドラマにちょい役で名を連ねていいぐらいのお話がある。

 転機は、徳川家康との出会いだった。天正10年(1582)、「本能寺の変」が起きる少し前、家康は多田神社(兵庫県川西市)に詣でた。その折、大阪のはずれを流れる神崎川の渡船の調達を申し出たのが孫右衛門である。佃村は、神崎川ほとりの漁村。船の用意などお安い御用である。