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 敗戦後、東京の焼け残った主要な建物は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収された。築地市場の敷地と建物の一部も1945年12月から接収が始まり、46年の春には、青果部の建物がランドリーとして稼働している。洗濯工場だ。

 中の様子はどうだったのだろう。東京都発行の市場史は、その様子には触れていない。市場の最長老に聞いて回っても、「近寄ればシベリア送り」などといううわさが流れていたぐらいだから、知る由もない。

 中で働いた人がいるかもしれないと築地かいわいを訪ね回ったが、無駄足だった。半年後、行き着いたのが、クリーニング関係の方たちだった。そこには予想以上の資料が残されていた。