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元西武エース・東尾修氏ら3氏、野球殿堂入り

2010年1月12日15時9分

写真:1986年の日本シリーズ第1戦で先発し、広島を相手に好投した東尾氏1986年の日本シリーズ第1戦で先発し、広島を相手に好投した東尾氏

写真:大洋時代の1974年6月、阪神戦で左越え本塁打を放つ江藤氏大洋時代の1974年6月、阪神戦で左越え本塁打を放つ江藤氏

写真:古田昌幸氏古田昌幸氏

 野球体育博物館(東京都文京区)は12日、今年の野球殿堂入りを発表し、西武などで通算251勝を挙げた東尾修氏(59)、セ・パ両リーグで首位打者を獲得した後、社会人野球などで指導した故・江藤慎一氏、社会人の熊谷組で選手、監督として活躍した故・古田昌幸氏の3氏が選出された。野球殿堂入りは、171人になった。

 競技者表彰のプレーヤー部門で選ばれた東尾氏は、切れ味のあるシュートやスライダーを武器に活躍。内角を大胆に突く強気の投球で「けんか投法」の異名もとり、通算与死球165は歴代最多。83、87年にはMVPに輝いた。

 江藤氏はエキスパート部門で、昨年の青田昇氏(故人)に次いで2人目の受賞者となった。ロッテなどで強打者として活躍後、アマチュアの指導に貢献。社会人のヤオハンジャパンを実質的に指揮し、都市対抗野球にも出場した。

 古田氏は特別表彰で選ばれた。立大から社会人野球へ進み、熊谷組の二塁手として活躍。監督としても手腕を発揮し、「ミスター都市対抗」とうたわれた。日本野球連盟理事も務めた。

 競技者表彰のプレーヤー部門投票では、中日の落合博満監督が2年連続で当選必要数に1票足りず、落選した。

     ◇

 〈ひがしお・おさむ〉 1950年、和歌山県出身。箕島高からドラフト1位で西鉄(現西武)に入団。右打者の内角を厳しく突くシュートとスライダーを武器に、75年に最多勝、83年は最多勝と最優秀防御率の2冠を獲得した。西武黄金期前半のエースとして活躍し、83、87年には最優秀選手に2度輝いた。88年限りで現役を引退するまで、通算251勝247敗23セーブ。与死球は歴代最多の165個。95年から7年間は西武の監督も務め、97、98年にリーグ優勝へ導いた。現在野球解説者。プロゴルファーの東尾理子は長女。

 〈えとう・しんいち〉 1937年、熊本県山鹿市出身。熊本商高から社会人を経て59年に中日に入団。64、65年と2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得した。69年に一度引退したが、70年にロッテで現役復帰。71年にはプロ野球史上ただ一人となる両リーグでの首位打者に輝いた。75年には太平洋(現西武)で兼任監督も務めた。76年にロッテに戻ってプレーし、現役引退。通算2057安打を記録した。青少年向けの日本野球体育学校の校長を務めたほか、社会人野球ではヤオハンジャパンを実質的に率いて97年に都市対抗野球に出場した。慶大監督の江藤省三氏は実弟。2008年、70歳で死去。

 〈ふるた・まさゆき〉 1933年、熊本県出身。九州学院高から立大に進み、1年から二塁手のレギュラーに定着。プロの勧誘を断って56年に社会人の熊谷組に入社し、いきなり都市対抗野球で首位打者を獲得。都市対抗には監督兼任を含めて連続13回、通算16回出場し、3度の優勝を達成した。国際大会にも数多く出場し、57年の第3回世界アマチュア野球大会では攻守に活躍して日本の優勝に貢献。現役引退後は日本野球連盟理事、同常任理事などを歴任した。99年、65歳で死去。

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 〈野球殿堂〉 日本の野球界の発展に大きく貢献した人物の功績をたたえるため、1959年に創設された。選出されるには競技者表彰の2部門、特別表彰とも、有効投票数の75%以上が必要。

 競技者表彰の選出は2008年から2部門に分かれた。プレーヤー部門は現役引退後5年を経過してから15年間が有資格。15年以上の取材経験を持つ野球担当記者の投票で決まる。今回は全投票数304票のうち228票が当選必要数で、東尾氏は254票。エキスパート部門は監督、コーチ、審判で引退後6カ月を経過している人などが対象。野球殿堂入りしている人らが投票し、今回の有効投票数は42(当選必要数は32)で、江藤氏は37票獲得した。

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