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最後の30勝投手、輝く221勝 故・皆川睦雄氏、殿堂入り

2011年1月15日11時28分

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写真:200勝を達成し、声援にこたえる皆川睦雄氏=1968年10月拡大200勝を達成し、声援にこたえる皆川睦雄氏=1968年10月

 皆川氏の受賞に際し、元楽天監督の野村克也氏(75)がゲストでかけつけた。2人は南海に1954年に入団した同期生。2軍時代から苦楽を共にした仲だ。「お祝いの席に彼がいないのは残念でしょうがない」。野村氏の目が潤んだ。

 元々は上手投げだった皆川氏は、入団後にサイドスローへ転向して頭角を現した。直球とシュートを武器に2けた勝利を続ける一方で、左打者を苦手にしていた。その対策として、捕手の野村氏が小さく曲がるスライダーの習得を提案したという。「今でいうカットボール。皆川が最初に投げた」と野村氏。

 68年春のオープン戦で、巨人の王貞治氏をその球種で二飛に打ち取った。野村氏は「あの時の皆川のうれしそうな顔が今でも忘れられない」という。左打者への苦手意識はなくなり、その年、「最後の30勝投手」が誕生した。

 皆川氏の妻真智子さん(73)は「主人は生前、221勝のほとんどが野村さんに助けられたものと言っていました」と話した。先発の日にもちを食べるのが習慣で、「神経を使うから」と自動車は運転せず、引退するまで飲酒も控えた。「地味で派手なことをしない人だった。野球のためだけの生活でした」

 2月6日の七回忌を前に「このような賞をいただいて感謝しています。帰って主人に報告したい」と涙を流した。

    ◇

 みながわ・むつお 1935年、山形県生まれ。米沢西(現・米沢興譲館)高では東北大会で敗れ、甲子園出場はかなわなかったが、54年に南海入りし、56年から8季連続で2けた勝利。68年には31勝10敗、防御率1.61をマークするなど、南海の黄金時代を引っ張った。通算成績は759試合に登板、221勝(歴代15位)139敗、防御率2.42。71年に現役引退。阪神、巨人のコーチを歴任し、91年から2年間、投手コーチを務めた近鉄では大リーグで活躍した野茂英雄を育てた。2005年2月、69歳で死去。

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