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「偉大な先輩」と頂上決戦 日本シリーズ

2010年10月26日10時37分

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写真:就任1年目で日本シリーズ進出を決めたロッテの西村監督=長島一浩撮影拡大就任1年目で日本シリーズ進出を決めたロッテの西村監督=長島一浩撮影

写真:監督として3年ぶり4度目の日本シリーズになる中日の落合監督=長島一浩撮影拡大監督として3年ぶり4度目の日本シリーズになる中日の落合監督=長島一浩撮影

 2月27日、ナゴヤドームでのオープン戦だった。ロッテの新監督・西村徳文(50)は試合前、打撃練習を見ていた中日監督の落合博満(56)のもとへあいさつに出向いた。

 2人はそれから延々30分ほど話し込んだ。

 「いろいろな話を聞かせてもらった。野球のこと、昔のこと、監督としてのこと。いい時間になった」と西村。

 2人はロッテで5年間、一緒にプレーした。西村の入団は1982年。前年にプロ3年目で初めて首位打者を獲得した落合は、この年、最初の三冠王に輝いている。当時の本拠、川崎球場の室内練習場は2人も入ればいっぱいになる狭さだった。落合が入ると2時間は出てこなかったと西村は振り返る。「僕ら後輩はそれを外で待っていた」

 西村はその背中に学んだ。

 「努力をしないといけない。あれだけの偉大な打者でも練習をしていた。あの姿を見ていなかったら、間違いなく今の自分はいない」

 出場6試合に終わった1年目のオフ、西村はスイッチヒッター転向に取り組む。球場近くに泊まり込み、来る日も来る日もバットを振った。打撃コーチだった故・高畠導宏が当時を振り返ったことがある。「練習が終わってメシを食うやろ。西村の手は筋肉がこわばって、バットを握った形のまま開かないんや。それくらいバットを振っていた」

 秋田工高から東洋大を中退し、社会人の東芝府中からドラフト3位でプロ入りした落合と、宮崎・福島高から鹿児島鉄道管理局を経てドラフト5位入団の西村。当時からぶっきらぼうだった「オレ流」は口にこそ出さなかったが、自身と同じく、エリートとは言えない立場から努力ではい上がろうとする後輩を認めていたのかもしれない。

 西村が一本立ちしかけていた春先のある朝、オープン戦を前に声をかけた。「山内さんとこに行くぞ」。向かったのは故・山内一弘(元監督)の自宅。打撃練習ができる庭先のスペースで、2人でバットを振った。「何で誘ってもらえたのか分からないけど、うれしかった」と西村。

 3年目にレギュラーに定着した西村は、落合と内野陣を形成した。落合が3度目の三冠王に輝いた86年、西村も最初の盗塁王を手にしている。

 あれから四半世紀。西村にとって、「偉大な人」と尊敬してやまない先輩に挑む頂上決戦。「いろんな思いがあるけど、言いたくない。僕は監督1年目で、向こうは何年も実績がある大先輩。どうこう言うのは失礼です」。後輩が勝てば、落合が04年になし得なかった監督就任1年目での日本一になる。=敬称略(金島淑華)

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