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信じて走った 歴史を築いた 東京国際女子マラソンシンポジウム(2)

2008年11月12日17時10分

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写真浅利純子さん あさり・じゅんこ 現姓高橋。秋田・花輪高卒業後の88年、ダイハツ入社。93年世界選手権金メダル。翌年の大阪国際女子で2時間26分10秒の自己最高をマーク。東京国際女子は第17回(95年)と第20回(98年)で優勝。96年アトランタ五輪17位。01年に引退。チームミズノアスレティック所属。秋田県出身。69年9月生まれ。

写真谷川真理さん たにがわ・まり 東京・武蔵野高時代は中距離選手。OL時代に市民ランナーとして走り始め、資生堂入社後に力を伸ばした。東京国際女子は第13回(91年)で優勝するなど、計13回出場(市民の部や途中棄権含む)。94年パリで2時間27分55秒の自己最高をマーク。アミノバイタルAC所属。福岡県出身。62年10月生まれ。

●シンポジウム「女性ランナーたちの夢の軌跡」その2

(その1はこちら)  (その3はこちら)

■女性取り巻く環境も変わった

  この30年の間に、日本の女性を取り巻く社会環境も随分変わりましたよね。第1回大会で「トップグループの何人かは男性と同じ走りをしています」という解説があったんです。ということは、大方の選手は違う走りをしているという意味なのかなと。走り方は変わってきているのでしょうか?

 永田 走り方が変わったとは少し違いますね。日本は学生の中距離ランナーから伸びていった人と、子育てが終わって余裕が出来たママさん選手が集まった時代ですので、外国人選手と差がありました。第1回優勝のジョイス・スミスさん(英)は五輪でトラック種目に出ている方。走りはもう出来ていた。日本はまだこれからの状態だった。

 増田 七恵さんとは私、ライバルでした。私にライバル意識、ありました?

 永田 全然レベルが違いますよね、素質で考えたときに。でも中村監督が「絶対に増田には負けちゃいけない」って。で、不思議なことに、そう言われると自分が強くなったような気分になるんですね。トラックの記録だと雲泥の差があるのに。監督のおかげで今の自分があると思っています。

 増田 Qちゃんもいい指導者がいて結果を出した典型ですけど、1人でチームQをつくって3年間必死でやって。そういう意味では監督を持たない選手のパイオニア。

 高橋 今ここにいられるのは小出義雄監督のおかげです。でも(チームを率いる)監督は(教える)人数も多いから、どうしてもマンツーマンで指導を受けられなくなった。ならば、最後は思いっきり、自分のやりたいことを支えてくれる人とチームをつくってやることが、自分を奮い立たせてくれるのかなと思いました。大きな経験をさせてもらった充実した3年間だった。

 谷川 皆さんのお話を聞いて思う。マラソンて本当に厳しい、自分との戦い。この苦しい競技の練習をいかに自分からやるかが大事。女子マラソンがこれだけ強くなった背景に「小出教」「中村教」のように半分宗教のようなものがあると思う。私はあんまり「宗教」にこだわってなかった。だから五輪や世界選手権に行けなかったのかなと(笑)。女性の場合はこれをやりなさいと言われながらも、そのときにほめてもらうことがすごく大事になる。Qちゃんの場合のように、苦しいときに「いいよ」といわれると、アドレナリンが出て頑張れちゃうのかな。

 高橋 もちろんそうですね。例えば、一番多いときは4日間のうち3日40キロを走った。でも「今日ね、40キロやったら世界で優勝できるかもしれないな。一気に階段を2、3段のぼれる」なんて言われるんです。「昨日も40キロやったんですけど」と言いたくなるけど、そういわれると「優勝できるのかな。やらせてください」とも思った。それで、どんどんタイムが上がっていく。本当に「小出マジック」。1人で練習するようになってからも、苦しい局面でそんな監督の言葉がよみがえってきたことがありました。

■忍耐は苦しいがその実は甘い

 増田 そういえば黛さんがQちゃんの「あきらめなければ夢がかなう」って言葉にすごくひかれてた。

  監督の存在に加えて「言葉の力」が選手には大きな支えとなっているのですね。谷川さんは基調講演で「忍耐は苦しいけれどもその実は甘い」が座右の銘だと。走っていて苦しいときや低迷しているとき、言葉は自分を支える大きな力になる?

 谷川 相当支えられましたね。やっぱりそれだけやらないと、そこまで行けないんだという気持ちになる。

 増田 浅利さんもそういう言葉ありました?

 浅利 信じることは力なり。

 増田 やっぱり支えになるのね。七恵さんは?

 永田 中村監督の「天才の力は有限。努力無限なり」。その言葉を信じて、監督と一緒なら、何とかなると思っていました。

 高橋 私は高校生のときに先生にいただいた言葉で「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」。高校のとき、都道府県駅伝で47都道府県中、私は45番目だったんですね。すごく弱い選手だったんです。どんなに頑張っても花が咲かないときが多かったんですけど、今やっていることは必ず、いつかの花のための根を生やしていることなんだと信じて。我慢していた部分が長かったんですが、逃げ出さずにやり続けられたのは、その言葉のおかげかなと思います。

  言葉とスポーツは全く違う世界なようで、実は共通するところがあるとよく思います。言葉で何か表現しようとすること、それは、文字になっている言葉だけじゃないんですね。プラス言外、余白に詰まっているものがある。マラソンを見ていると、走っている人の姿やタイムは、その表層、一部であって、実は見えないところに、その人の人生観とか美学、日々の努力などがいっぱい詰まっているんですよね。私たちはファンとして、走っている姿の背後にあるものを紡いでいく。だから、マラソンは面白い。

(その3へつづく)

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