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信じて走った 歴史を築いた 東京国際女子マラソンシンポジウム(3)

2008年11月12日17時4分

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写真黛まどかさん まゆずみ・まどか 俳人。94年「B面の夏」50句で角川俳句賞奨励賞、02年「京都の恋」で山本健吉文学賞。07年まで全日本実業団対抗駅伝の中継番組で俳句を募集し優秀句を発表するなど、俳句のおもしろさを広めている。近刊に「あなたへの一句」(バジリコ)、「俳句脳」(角川書店)。神奈川県出身。62年7月生まれ。

写真増田明美さん ますだ・あけみ 千葉・成田高から長距離種目で日本記録を次々と樹立。マラソンで83年に2時間30分30秒の当時日本記録をマークし、84年ロス五輪代表に。東京国際女子は第11回(89年)で8位。現在はスポーツジャーナリスト。07年に小説「カゼヲキル」(講談社)を発表。大阪芸術大教授。千葉県出身。64年1月生まれ。

●シンポジウム「女性ランナーたちの夢の軌跡」その3
(その1はこちら)  (その2はこちら)

■最後100メートル、絶対に勝ちたかった

 増田 浅利さんは芯の強さっていうのかしら、レースで見せる勝負強さがある。転んで立ち上がって優勝したり、98年大会で市橋有里さんと同タイムで優勝したりしたときもそうですけれどね。浅利さんはいつも、どういうことを考えながら、ゴールに向かってたんですか。

 浅利 まじめなことを言うと、勝ちたい(笑)。92年、大阪国際で負けたときに、大人の汚い世界を見てしまったので。それまで持ち上げられていたのが、手のひらを返され、どん底に落とされて。見返してやりたいという気持ちと、惨めな思いはしたくないという思いで、最後の100メートルでも絶対勝ちたいという思いで走ってました。

 増田 92年の大阪国際では優勝候補だったんですよ。ところがダイハツで一緒に練習していた小鴨由水さんが勝って、92年バルセロナ五輪の代表になったんですよね。その悔しさをバネにして、翌年の世界選手権で金メダルでしたね。

 谷川 私は24歳まで普通のOL生活でした。夜遊びをしたりお酒を飲んだり。そういう世間勉強をしたので、逆に24歳からものすごく集中できた。そして引退会見も全くなく、引き続き今も走っています。91年の東京国際で優勝して、バルセロナの候補に挙げていただいたんですけれど、結果的には補欠ということになりました。松野明美ちゃん、有森裕子さん、私と3人、誰が五輪選手になるんだと、まあまあもめましたよね。これは結果論なんですけど、五輪にいけなかったから、ここまで引っ張ることができたのかなあと思います。

 増田 ところで野口みずきさんが大事にしている言葉が「走った距離は裏切らない」なんですよ。で、野口さんが北京五輪を欠場した時に黛さんからすぐ電話があって「ああいう言葉を支えにしていたのに、最後は、走った距離に裏切られちゃったね」と。

  野口さんが「走った距離は裏切らない」と言っているというのを聞いて感動したんですよね。そのくらい練習をしたということでしょう。プロの言葉だと。でも、人生は言葉通りにはならないんですよね。努力が仇(あだ)になることもある。そこに、生きることの難しさがある。マラソンは、いつも様々なことを教えてくれます。

 増田 Qちゃん、野口さんにメールしたんだよね。

 高橋 大丈夫かなと心配で。大変申し訳ないかもしれませんが、そういう決断をしたということが、どれだけつらいかって、もしかしたら私が一番分かるんじゃないかと思って。米国にいたんですけれどメールを打ったんですね。2年前にアドレス交換をしたので、思い切ってそこに送ってみたんですけれど、届かずに返ってきてしまって(笑)。本当に北京五輪は悲しい結果に終わったかもしれないんですけれど、けがは、やりたい、走りたいという思いが強いほど見逃しがちになることがあります。ただ、野口さんは本当にすごい力があります。今度は神様が精神的に強くなる試練を与えたときなのかなと。

 増田 七恵さん、北京五輪の結果はどうご覧になっていますか。4大会連続で日本の女子はメダルをとってきましたけど。

 永田 残念だったなという気持ちはありますよね。スピード時代になってきているけど、日本人の頑張るという気質があるから、結果を出せるのはマラソンかなって信じています。絶対復活してほしい。

 増田 浅利さんは子育てをしながら幸せな結婚生活をしていますけど、北京五輪をどういう風に見ました? (母親の)トメスクさん(ルーマニア)が勝ちました。

 浅利 私もチャンスがあるかなと思いました(笑)。

 増田 今、いくつでしたっけ。さんじゅう?

 浅利 (小さい声で)9。

■Qちゃんと一緒に解説、楽しみ

 増田 さて、東京国際は世界で初めて国際陸上競技連盟から公認された女子マラソンです。来年は横浜に移りますけれど、東京は一つ幕を閉じることについて寂しさはありますか? Qちゃんは3回走っているんですね。

 高橋 いい思い出も色々な思いもあります。本当に寂しいですね。だからこそ、最後に走りたかったという思いがあったんですけれど。ただ横浜に行くと新しい景色がまた見える。新しいドラマが始まる。また違うところを走ってみたいなあ、というわくわくする気持ちがこう増えてくると、来年あたり、ジョガー1号でという気持ちになります。

 増田 それはうれしいことですよね。Qちゃんがジョガーとして。浅利さんもどうですか? 子育てが一段落してから。

 浅利 はい、そうですね。ひそかに狙っています。

 増田 黛さん、最後に詠んでいただけますか。俳句を。

  「マラソンの果てたる黄葉(もみじ)明りかな」。谷川さんが基調講演でおっしゃったように、東京国際のコースは外苑の銀杏(いちょう)並木が、本当に美しいんですね。マラソンが終わって、選手みんながゴールした後で、銀杏が明りを灯(とも)したかのように黄を尽くしている。選手の皆さんをたたえるかのように、そしてこの30年の歴史をたたえるかのように。今年もまた……という俳句です。

 増田 東京国際女子マラソンは16日です。私は最高にうれしいんです。テレビ中継でQちゃんが第1移動車に乗ってくれて、一緒に解説をしてくれますので。

 高橋 新人として横でひかえさせていただければ。

 増田 大丈夫よ。張り切り過ぎて、しゃべりすぎないでね(笑)。

(終わり)

(構成・小田邦彦、撮影・池田良)

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