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忍んだ、信じた―原采配、頂点に 「生涯忘れられぬ」

2009年3月25日3時4分

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 【ロサンゼルス=福角元伸】原辰徳監督(50)の体が3度、宙に舞った。野球の祖国、アメリカでも古い歴史を持つドジャースタジアムのマウンド付近。「火中の栗」とまで表現された日本代表監督をあえて引き受け、重圧をはねのけて達成したWBCの2連覇。ホッとしたような笑顔で、選手たちを握手でねぎらった。

 監督就任までに曲折があった。メダルを逃した昨夏の北京五輪で監督を務めた星野仙一氏が辞退。その後は日本代表監督のなり手が見つからなかった。そんな中で昨年10月、白羽の矢を立てられた。

 周囲は反対した。父の貢氏からも「受けちゃいかん。先輩の監督方がいるのだから」と言われた。原監督の胸中は違った。「このままでは球界がどうにかなってしまう」。誇り、あこがれであるべき日本代表の要が決まらない。「私でいいのですか。それならば」。第1回監督の王貞治氏らからの要請を受けた。

 巨人監督と日本代表監督の二つを背負いこむことになった原監督は、自分の中で決め事を作った。「一つだけ巨人と区別しよう。『我慢』。これだけは、必ず守ろう」。一流選手が集まる代表チームは個性派軍団だ。所属球団など関係者も多く、様々な思惑もからむ。思い通りにいかないこともあるだろうが、自分がどんと構えていれば、チームは前進すると考えた。

 選手の代表辞退が続いた時期もあったが、「チームを前へ進めなければいけませんから」と平然と答えた。大会が始まると、チームリーダーのイチローが不振を極めた。決勝前まで打率2割1分1厘。それでも「1番」で起用し続けた。「彼はチームの中心ですから」。信の一念でグラウンドへと送り出し続けたイチローが、最後は決勝打を放った。

 「あのセンター前というのは、私にとっても生涯忘れられない映像になりました」

 長嶋茂雄、王、星野と、球界の大物が務めてきた日本代表監督。そのカリスマ性でなく、原監督は強い精神力、指導力で日本を頂点に導いた。かつての「若大将」が、ON後の球界リーダーとしての立場を確立した。

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