「ナガサキノート」は、朝日新聞長崎県内版で2008年8月に始まり、2017年1月に連載3000回を超えました。被爆者一人ひとりの人生を、1日に400字ほどの小さな記事で数回から十数回積み重ねて描きます。毎日休むことなく載せ、今も載らない日はありません。このページでは主に、シリーズごとにまとめたロングバージョンの記事を掲載しています。
朝日新聞長崎版の連載「ナガサキノート」から、1945年8月9~10日に爆心地数キロ圏内にいた人を中心に約150人について、証言から推測される足取りを地図上に再現しました。[特集ページはこちら]
■木村透さん(1938年生まれ) 1945年8月。当時7歳だった少年は、長崎市桜馬場町の自宅で絵日記にナスの絵を描いていた時、父親に話しかけられた。 「おい、透。広島にこんな爆弾が落ちたんだ。ドカンと…[続きを読む]
紙面の右下の隅に、いつもある原稿用紙1枚分ほどの記事。少しずつ、でも毎日、被爆者らの体験を伝えようと、2008年8月から朝日新聞長崎県内版で連載してきた「ナガサキノート」が1月で3千回を超えた。28…[続きを読む]
市井の人たちの被爆体験を紹介してきた「ナガサキノート」だが、著名人が登場したこともある。2009年8月6~9日には歌手・俳優の美輪明宏さん(81)を取り上げた。被爆後に目の当たりにした光景が「私の歌…[続きを読む]
戦争の記憶をテーマにした「『戦争』を語る」を出版した作家の立花隆さんに、「ナガサキノート」の取り組みについて聞いた。 ◇ 灰燼(かいじん)に帰した長崎の街の被害を伝える象徴的な写真として、丘…[続きを読む]
紙面の右下の隅に、いつもある原稿用紙1枚分ほどの記事。少しずつ、でも毎日、被爆者らの体験を伝えようと、2008年8月から朝日新聞長崎県内版で連載してきた「ナガサキノート」が1月で3千回を超えた。28…[続きを読む]
被爆者の証言を毎日伝えている朝日新聞長崎県内版の連載「ナガサキノート」の3千回を記念したシンポジウム「『あの日から』をつなぐ」が19日、長崎市の長崎原爆資料館であった。被爆者が減っていく中、体験を聞…[続きを読む]
長崎原爆をテーマに書いてきた芥川賞作家で、被爆2世でもある青来有一さん(58)が今月初旬、東日本大震災から6年になるのを前に、東京電力福島第一原発のある福島県大熊町を訪ねた。津波や原発事故の被害に遭…[続きを読む]
■想いを込めて:4 合唱 かつてあった浦上の情景を歌った、被爆者歌う会「ひまわり」の代表曲「浦上」。田川代枝子(よしこ)さん(83)=2013年掲載=は今でも、歌うと涙がこぼれる。「おばあちゃんの顔が…[続きを読む]
■想いを込めて:3 演劇 《「ねえねえおじいちゃん、話ばして」。孫娘にそうせがまれ、63年前の夏を語り始める――。 一人芝居「命ありて」は、そんな風に始まる。(中略)自身の体験を基に、被爆当時の13歳…[続きを読む]
■想いを込めて:2 短歌 《蟬(せみ)しぐれあの日ながらにひびきくる斃(たお)れし人らを忘れさせじと》 神奈川県鎌倉市の慶応大名誉教授の三浦冨美子さん(88)=2012年掲載=は昨秋、第三歌集「四七七…[続きを読む]
■想いを込めて:1 絵画 今年1月に通算3千回となった「ナガサキノート」を振り返ると、絵や短歌、劇などの表現を通して、原爆を伝えてきた人たちも多い。証言や作品からそれぞれの想いを伝える。 ◇ …[続きを読む]
■暮らしの中から:6 恋 《昭ちゃん あれから七十年 随分歳取りましたね/ひどかった火傷 もとの昭ちゃんにもどったかな/神様がきっと昔の昭たんに戻してくれているよね》 長崎市の宮崎幸子さん(86)=2…[続きを読む]
■暮らしの中から:5 食 午前11時ごろになると、何を考えますか? 自宅で、学校で、職場で。「お昼ごはん、何にしよう」で、私は頭がいっぱいだ。 72年前の8月9日に、長崎で暮らしていた人たちの多くも、…[続きを読む]
■暮らしの中から:4 ファッション 天気予報や仕事の予定を思い浮かべながら、毎日、服と靴、バッグを選ぶ。好きなものを好きなように身につける。そんな当たり前のことができなくなるのが戦争だ。 《女学生のこ…[続きを読む]
■暮らしの中から:3 世界 ナガサキノートの取材を受けた後にピースボートに乗り、海外で体験を語った三瀬清一朗さん(81)=2009年に掲載=に昨年12月、話を聞いた。訪れたのは、フランスが核実験をした…[続きを読む]
■暮らしの中から:2 音楽 いつの時代にも、戦況が厳しくとも、音楽は暮らしの傍らにあった。土山秀夫さん(91)は、戦時中もひそかにクラシックのレコード鑑賞を楽しんだ。その様子が2012年のナガサキノー…[続きを読む]
■暮らしの中から:1 遊び 遊び、音楽、世界、ファッション、食、恋。今の私たちの日常にある言葉。そんな暮らしの中から、ナガサキノート3千回分を振り返ると、原爆で何があったのか、被爆者らがどう生きてきた…[続きを読む]
■ナガサキノート3千回:下 理美容店を営む父は職人気質で口うるさく、おしゃべりだった。そんな父が、記者に何度も強い口調で繰り返した。 「言うたってわからん」 長崎県平戸市の金丸律子さん(57)は、父英…[続きを読む]
■ナガサキノート3千回:中 「原爆の話をして、拍手をもらって喜んでいていいのか」。そんな声が聞こえたような気がした。原爆で亡くなった友人らが、にたっと笑って言っているような感じだ。 長崎市の山田一美さ…[続きを読む]
■ナガサキノート3千回:上 朝日新聞長崎県内版での連載開始から8年半。語れなくなった人もいれば、心の封印を解いた人、証言を残して亡くなった人もいる。ナガサキノートに登場した被爆者の今を伝える。 言葉が…[続きを読む]
弟のことが書いてある――。昨年12月、朝日新聞長崎版の記事を読み、長崎市の女性(79)は涙を流した。原爆で両親を失い、弟もほどなくして亡くなった。記事は、哀れな姉弟の姿を長く記憶に焼き付けてきた被爆…[続きを読む]
「ナガサキノート」の3千回を記念したシンポジウムが2月19日、長崎市の長崎原爆資料館であった。被爆者が減っていく中、体験を聞いた者が「代弁者」として伝えていくことが大事だと語り合った。…[続きを読む]