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3種類の伊能図
伊能忠敬は
1800年(55歳)から16年(71歳)までの
17年間にわたって 日本全国を測量。
没後の1821年、
大図(全214図)、中図(全8図)、小図(全3図)
からなる「大日本沿海輿地全図」が完成
狭い範囲では正確だが、広い範囲で見ると北海道や東北、九州南部などで東西方向にずれがある、と専門家からは指摘される。緯度が天体観測で比較的容易に調べられたのに対し、経度は地点間の時間の差を測る必要があり、正確な時計がない当時は観測が難しかったからだ。計算で求めた経線が地図上に引かれたため、実測との間にずれが生じたとみられる
ただ、伊能図の経線を無視し、地図の形だけを比較すると、ずれはかなり小さくなるという。
(伊能忠敬研究会・菱山剛秀理事による)
無断転載を禁じます。
日本学士院所蔵
(伊能忠敬像 伊能忠敬記念館蔵)
(伊能忠敬像 伊能忠敬記念館蔵)
伊能忠敬誕生
第1次測量(東北、北海道南部)
第2次測量(関東、東北)
第3次測量(東北西部)
第4次測量(東海、北陸)
※ここまでの調査成果を「日本東半部沿海地図」にまとめる
民間知識層まで広まっていた可能性?
※5次以降は、幕府の直轄事業に
第5次測量(近畿、中国)
第6次測量(四国)
第7次測量(九州)
第8次測量(九州)
第9次測量(伊豆七島)
第10次測量(江戸)
伊能忠敬死去
「大日本沿海輿地全図」が完成
軍事機密として厳重な取り扱い?
(カッコ内は主な測量地)
伊能忠敬は、現在の千葉県香取市にあった商家の当主。隠居後の50歳で江戸へ移り、幕府天文方の役人、高橋至時から天文学や暦学などを学んで測量を始めた。日本で初めて実測によってつくられた日本地図は、その精巧さから幕府の禁制品だったとされてきた。
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