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08月15日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)
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宮沢喜一に関するトピックス
リクルート事件や金丸巨額脱税事件など政治とカネの問題が相次ぎ、政治改革が焦点となるなか、93年6月に宮沢喜一内閣不信任案が可決され、衆院が解散。7月の総選挙では55年以来、長期一党支配を続けてきた自民党が過半数を割り込み、社会党や新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社民連、参院会派の民主改革連合の8党派による非自民連立の細川政権が発足。38年ぶりに政権交代を実現させた。
リクルート事件をきっかけに自民党が1989年に政治改革大綱を決定、小選挙区比例代表制導入と派閥解消を打ち出した。宮沢喜一首相は93年5月、選挙制度改革を含む政治改革関連法案について「この国会でやるんです。うそをついたことはない」と宣言。だが自民党内の反対論が強まり、法案成立は困難となった。93年6月18日、宮沢内閣不信任案が可決され、宮沢首相は衆院を解散。自民党は分裂し、新生党、新党さきがけが誕生した。非自民8党派による細川連立政権が発足。細川内閣は9月、中選挙区制を廃止し、小選挙区比例代表並立制を導入する公職選挙法改正案を提出。94年1月、細川護熙首相と河野洋平自民党総裁による会談で、小選挙区300、比例区200で修正合意し、成立した。
1992年10月23〜28日、中国政府から招請を受け、天皇、皇后両陛下が訪中した。歴代天皇で初めて。「政治利用」との批判もあり、宮沢喜一首相(当時)は談話で、訪問目的を「友好親善」と強調した。陛下は歓迎晩餐(ばんさん)会で「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」と日中戦争に触れ、「私の深く悲しみとするところ」と述べた。
1992年10月下旬、天皇・皇后(現上皇・上皇后)が訪中した。27日夜、上海市長主催の晩餐(ばんさん)会を終えた2人を乗せた防弾装備のキャデラックが、目抜き通りを進む。沿道を埋める市民が警備のロープ…[続きを読む]
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