メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

05月31日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

巡洋艦

関連キーワード

  • Uボート(2012年08月16日 朝刊)

    ドイツ語の潜水艦の略だが、英語ではドイツ海軍の潜水艦をさす。第1次大戦初め、英国の巡洋艦戦隊を魚雷で全滅させ、兵器として注目された。同大戦中、ドイツは計300隻近くを出撃。商船など5千隻以上を沈め、英国を震え上がらせた。敗戦後、ベルサイユ条約で一切の潜水艦の保有を禁じられたが、その技術を温存。第2次大戦とともに量産を加速させ、同大戦末までに約1300隻を建造。敵の商船に集中攻撃する「狼群(ろうぐん)作戦」を繰り返し、連合国側の商船など約2600隻を沈めた。

  • 日独間の潜水艦作戦(2012年09月03日 朝刊)

    1942年初めに締結した日独伊軍事協定に基づき、日独間で重要物資や人員の輸送作戦が行われた。当初は特設巡洋艦や長距離飛行機を使ったが、連合国側の攻撃が激しくなるなど困難になり、潜水艦が頼みの綱に。日本側は42〜44年に5隻をドイツに派遣。一番手の伊30号は復路、シンガポール付近で機雷に触れて沈没(42年10月)。2隻目の伊8号は成功。次の伊34号は往路、マレー半島のペナン入港直前、撃沈(43年11月)。伊29号は復路、フィリピン付近で撃沈(44年7月)。伊52号は往路、大西洋で撃沈(同6月)。一方、ドイツの潜水艦(Uボート)は43〜45年に4隻が日本に向かったが、無事に到着したのは1隻。2隻は撃沈され、1隻は米国に投降。

  • 日本で敗戦を迎えたドイツ人(2013年08月25日 朝刊)

    ドイツ商人は江戸時代末に来日。1900年代初めから滞日家族が増え、横浜や神戸にドイツ学校が設けられた。戦時下、日本在住者は推定約3千人。このうち約600人はインドネシアから帰国途中、日本で敗戦を迎えた「蘭印婦人」とその子ら。戦時下は主に軽井沢、箱根、河口湖畔、六甲山周辺に居住。日本政府から食料が支給されたほか、ドイツの仮装巡洋艦が連合国側の商船から奪った物品も「特別配給」された。47年2月、第1陣が米軍輸送船「マリン・ジャンパー」で、同8月に第2陣が同「ジェネラル・ブラック」で帰国。日本にとどまったのは、古くからの滞日者やユダヤ系ドイツ人ら700〜800人とされる。

最新ニュース

写真・図版

(小説 火の鳥 大地編)44 桜庭一樹 やがて思いだすことも減って(2020/3/7)有料会員記事

「――取舵(とりかじ)いっぱーいぃ!」 二十七日午後一時五十五分。東郷平八郎司令長官の声で、旗艦“三笠”を先頭とする連合艦隊は、大海原で一斉に左にターンし始めた。ドンッ、ドンッ! 敵艦隊が先に砲撃を始…[続きを読む]

PR情報

PR注目情報

注目コンテンツ