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10月30日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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強制収容所

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  • アウシュビッツ強制収容所(2015年01月28日 朝刊)

    第2次世界大戦中の1940年、ナチス・ドイツが占領したポーランドの南部オシフィエンチム(ドイツ語名アウシュビッツ)に設置した強制収容所。欧州各地から移送したユダヤ人らの「虐殺工場」と化し、約110万人が犠牲になった。街に近いアウシュビッツ収容所と、郊外のビルケナウ収容所からなり、現在は両収容所跡地全体がポーランド国立の「アウシュビッツ博物館」になっている。

  • アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(2020年09月19日 朝刊)

    第2次世界大戦中にナチスドイツがポーランド人の政治犯を収容するために設置。欧州各地から移送したユダヤ人収容者が増えたため、アウシュビッツに続き、複数のガス室を備えるビルケナウを増設した。ユダヤ人約110万人を大量虐殺した。1947年にポーランドが跡地を国立博物館として開所。生還者が案内を担う一方で、80年からは戦争経験のない人もガイドとして育成してきた。2000年に最後の語り部が去った後は、全330人のガイドが案内を担う。出身国はポーランドを中心に米国、ドイツ、韓国など多数。

  • リトル東京(2009年03月26日 朝刊)

    ロサンゼルス・ダウンタウンの東部にあり、東西700メートル、南北500メートル。19世紀末、日本人漁師が初の日本食の食堂を開いたのが始まりで、1905年ごろには「リトル東京」の名がついた。以来、日系人の暮らしを支えた。初期には州政府から土地の所有を禁じられた。日系人人口は第2次大戦直前に3万人に達していたとされるが、戦中は強制収容所に送られた日系人にかわってアフリカ系住民で占められ、名称も「ブロンズビル」と変わった。戦後は、日系人が再興。バブル期には多数の日本企業が進出、日本人観光客が土産物や日本食を求めて集まった。

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