メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

10月22日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

◆満州事変以前

 日露戦争で満州(中国東北部)の鉄道利権などを得た日本は、第1次大戦で欧米が欧州に全力を注ぐ間に権益拡大を図った。大戦で戦勝国となり好景気に沸いたが、関東大震災や恐慌に見舞われ、軍縮条約での政府の譲歩にも軍部の不満が高まった。そんな中、満蒙(満州と内モンゴル)は日本の「生命線」とする論が台頭した。

◆植民地支配

 日本は朝鮮半島や台湾、南樺太(サハリン南部)を領土に編入。「皇民化」と呼ばれる同化政策をとった。日本語教育を強制し、日本風に改名、皇居に向かって拝ませたり、兵士や労働者などとして働かせたりした。

◆国家総動員法

 総力戦のため、政府がすべての人的・物的資源を統制できるようにする法律。国民の徴用、物資の生産、言論など対象は幅広く、具体的内容は勅令に委ねたため議会の形骸化が進んだ。朝鮮人や中国人の動員も国民動員計画の一環で、日本の炭鉱や工場などで労働力とされた。諸説あるが、朝鮮半島だけで約70万人が動員されたとされる。

◆戦時の政治

 大正デモクラシー以降、衆院第1党から首相を出すといった「憲政の常道」に基づく政治が行われたが、恐慌を背景に失望が広がり、5・15事件以降は軍人などを首相にする例が続いた。第2次大戦緒戦でドイツが勝つと、日本も一党独裁に類した体制とすべきだという声が強まり、政党は次々に解党。大政翼賛会や翼賛政治会が結成された。

◆紀元2600年

 神話上の建国から2600年を祝い、1940年11月に皇居外苑で大式典が催された。国民を戦争に動員する運動の一環で、「神国日本」を印象づける行事が全国で行われた。東京五輪や万国博覧会も予定していたが、日中戦争で開催権を返上した。

◆学徒出陣

 戦局悪化に伴って徴兵の対象は次第に拡大。43年秋には文科系の大学や旧制高校、専門学校の学生・生徒の徴兵猶予が取り消された。出陣した学徒兵は10万人とも13万人ともいわれる。

◆特攻

 日本軍は44年から、敵艦に体当たり攻撃を試みる戦隊を編成。10代の少年兵も搭乗した。飛行機による特攻の戦死者は4千人前後とみられ、他に人間魚雷やモーターボートでの特攻があった。隊員の遺書は世界記憶遺産に申請されたが、「日本の視点のみが説明されている」などとして国内候補から漏れた。

◆戦争犠牲者

 厚生労働省の記録では、日中戦争が始まった37年から敗戦までに、日本の軍人・軍属230万人、民間人80万人が死亡した。軍人・軍属の6割は、栄養失調による病死を含む広義の餓死との研究があり、各地で玉砕も起きた。人命を軽視した作戦や「生きて虜囚の辱めを受けず」とする戦陣訓も影響したとみられる。満州事変以降のアジアの犠牲者は2千万人を超えるとする教科書もある。

◆戦後改革

 連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の非軍事化とともに民主化のための改革を指示。参政権付与による女性解放▽労組結成など労働者の権利保障▽治安維持法や特別高等警察の廃止▽財閥解体や農地改革など経済の民主化▽忠君愛国の道徳を教える「修身」廃止など教育の民主化--が進められた(参政権は指示前に政府が着手)。教育委員会設置や6・3・3・4制もその一環。

◆極東国際軍事裁判(東京裁判)

 連合国11カ国が、日本の指導者の戦争責任を問うた裁判。侵略戦争を計画するといった「平和に対する罪」や、捕虜虐待など通常の戦争犯罪で、東条英機元首相ら7人が死刑、16人が終身禁固刑、2人が有期禁固刑となった。日本軍の虐殺や関東軍の謀略が明らかにされた一方、「勝者の裁き」などといった批判もある。

◆東西冷戦

 社会主義・共産主義を掲げた旧ソ連や中国、東欧など「東側」諸国と、資本主義の米国や日本、西欧など「西側」の対立。米ソの全面戦争には至らなかったため、冷戦と呼ばれる。その激化を受け、米国は日本を非軍事化する占領政策を「反共のとりで」とする方向に転換。朝鮮戦争が始まると自衛隊の前身である警察予備隊が設けられた。共産党員らを排除する一方、戦犯や軍人らの公職追放解除が進み、「逆コース」と呼ばれた。

◆サンフランシスコ講和条約

 戦争状態を終わらせるため、日本が48カ国と結んだ条約。冷戦下、米国は中華人民共和国を講和会議に招くことに反対。旧ソ連は条約調印を拒み、米国やその友好国などとの「片面講和」となった。韓国と北朝鮮も、戦争中は日本の一部で連合国の一員ではなかったとして招かれなかった。米国は賠償請求権の放棄を提案し、日本にとって「寛大な講和」となった。

◆日米安全保障条約

 1951年に旧条約に調印、60年に改定された。旧条約は、日本の独立後も米軍の駐留を認める一方、米軍が日本を防衛する義務は明記されなかった。新条約では日本防衛の義務が明確化され、代わりに日本が基地を提供する形になった。改定時には、軍事同盟が固定化され、戦争に巻き込まれるおそれがあるなどとして、国会や首相官邸を包囲する激しい反対闘争が起きた。

◆高度経済成長

 日本は50年代半ばから73年の第1次石油危機のころまで、急速な経済成長を遂げ た。60年代平均の実質成長率は10%を超え、68年に共産圏を除いて世界2位の経済大国になった。安保条約を改定した岸信介首相の次の池田勇人首相は「国民所得倍増計画」を掲げ、「安保の時代」を「経済の時代」に転換させた。一方、公害が問題化した。

◆沖縄と米軍基地

 地上戦で住民の4人に1人が命を落とした沖縄は、本土が独立を回復したあとも米軍の施政下に置かれ、「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われて基地が建設された。72年に日本に復帰したが、現在も在日米軍基地の74%が沖縄に集中する。米兵による少女暴行事件をきっかけに、日米両政府は96年、普天間飛行場の返還に合意したが、同県名護市への移設が前提とされ、新基地建設への反対運動が続いている。

  • 41年12月 日本軍が真珠湾を攻撃

    1941年12月 日本軍が真珠湾を攻撃

  • 週刊少国民 42年5月31日号

    週刊少国民 1942年5月31日号

  • 43年8月 健民修練

    1943年8月 健民修練

  • 45年8月6日 米国が広島に原爆投下

    1945年8月6日 米国が広島に原爆投下

  • 45年8月15日 戦争終結の玉音放送

    1945年8月15日 戦争終結の玉音放送

  • 45年8月30日 マッカーサー元帥が到着

    1945年8月30日 マッカーサー元帥が到着

  • 45年9月 天皇、マッカーサーを訪問

    1945年9月 昭和天皇がマッカーサーを訪問

  • 46年5月~48年11月 極東国際軍事裁判

    1946年5月~48年11月 極東国際軍事裁判

  • 47年5月 日本国憲法施行

    1947年5月 日本国憲法施行

  • 60年6月 新日米安保、自然承認前にデモ

    1960年6月 新日米安保、自然承認前にデモ

  • 64年10月 東京オリンピック開催

    1964年10月 東京オリンピック開催

  • 67年11月 沖縄復帰デモに知念高校生

    1967年11月 沖縄復帰デモに知念高校生

  • 69年11月 日米首脳会談、71年沖縄返還

    1969年11月 日米首脳会談、71年沖縄返還

  • 92年6月 PKO協力法成立

    1992年6月 PKO協力法成立

  • 04年8月 沖縄県宜野湾市で米軍ヘリ墜落

    2004年8月 沖縄県宜野湾市で米軍ヘリ墜落

  • 05年5月 自衛隊イラク派遣

    2005年5月 自衛隊イラク派遣

  • 11年3月 東日本大震災、福島原発事故

    2011年3月 東日本大震災、福島原発事故

PR情報

PR注目情報

注目コンテンツ