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05月07日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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捕虜収容所

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  • 捕虜収容所(2020年10月05日 夕刊)

    POW研究会の調査によると、太平洋戦争中、日本軍はアジア・太平洋地域で約14万人の連合軍の将兵を捕虜とした。国籍もイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インドなど多岐にわたった。占領地の各地で捕虜収容所が造られ、捕虜たちはそこで暮らしながら、日本軍が使用する鉄道や道路、飛行場などの過酷な建設作業に従事させられた。一方、日本に労働力不足を補う要員として3万5千人を超える捕虜が連行された。国内各地に約130の捕虜収容所が造られ、捕虜たちは炭鉱や鉱山、造船所、工場などで働かされた。病気や飢え、暴力などが原因で亡くなった捕虜も多く、戦後、収容所関係者がBC級戦犯に問われた。

  • 大浜捕虜収容所(2009年02月07日 朝刊)

    歴史研究者らでつくるPOW(戦争捕虜)研究会や山陽小野田市などの調べでは、1942年に八幡仮俘虜(ふりょ)収容所宇部分所大浜派遣所として開設された。幾度かの名称変更を経て最終的に広島俘虜収容所第9分所となった。旧陸軍が管理し、捕虜は大倉財閥系の大浜炭鉱で使役された。終戦時の収容捕虜数は390人。45年9月に閉鎖された。開設以来の死者は23人という。

  • 本山捕虜収容所(2010年04月13日 朝刊)

    学者らでつくるPOW(戦争捕虜)研究会によると、1942年、八幡仮捕虜収容所宇部分所本山派遣所として開設。45年8月、広島捕虜収容所第8分所となった。捕虜は労働力不足に悩む宇部興産の本山炭鉱で使役されていた。同年9月閉鎖。旧陸軍が管理していた。

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