この地球上に生まれた人間が、平等に人間らしく生きていく。そんな「当たり前」は今、理不尽にも奪われている現状がある。感染症、貧困、差別、地球環境の変化、そして紛争・戦争ーー。人間の行為の結果として、地球全体の健康がむしばまれ、人間の命が脅かされている。「人間らしさ」が踏みにじられている世界の現場に向き合い続けてきた、写真家の渋谷敦志さんが、ウクライナの人々と出会い、感じた現状を伝えます。

ウクライナ軍が、ロシア軍の攻撃に反撃を続ける前線地帯は、ウクライナの北東部から南部にかけて三日月状に細長く延びる。取材で常用するアプリで見ると、爆弾や銃の形をした赤い丸印がその前線に連なっている。この赤丸の下で何が起き、人々は何を思っているのか。何が奪われ、何が日常に残されたのか。地べたから戦争を見たい。2022年12月、僕はそんな思いに突き動かされ、三日月状の前線に近い町や村を訪れた。

ウクライナ北東部ハルキウ州のスタリ・サルティフ。

人口約8700人、ロシア国境から近く、戦前はロシア人も多く訪れる風光明媚(めいび)なリゾート地だった。侵攻直後から半年にわたってロシアの攻撃にさらされ、町の建物の8割以上が損害を受けた。ドネツ川の向こう岸へ渡る橋は崩落している。ウクライナ軍が破壊したためだ。町の背後にはウクライナ第2の都市ハルキウがある。ロシア軍の進軍をここで食い止めねばならなかった。その結果、スタリ・サルティフの住民は砲撃の矢面に立たされ、大半が別の町へ避難を強いられた。残ったのはたった250人だ。

9月に、ウクライナ軍はハルキウ州の大部分を一気に奪還した。スタリ・サルティフはそうして解放された町の一つだ。しかしロシア軍が撤退したとはいえ、町には戦時下の厳しい現実が残っていた。住宅の屋根やドアは砲撃で壊れ、集合住宅の窓ガラスは爆風で割れていた。電気、ガス、水道など生活に欠かせないサービスは断たれたまま。銀行や学校も再開のめどは立たない。そこに到来した零下10度を下回る冬が、住民の帰還を遠ざけていた。

凍りついたドネツ川で、アレキサンドルさん(49)が取ったばかりの魚を住民に配布していた。ロシア軍に包囲され食糧難に陥っていた時、漁師から魚をもらった。涙が出るほどうれしかった。誰もお金をとらなかった。そのことに感謝し、アレキサンドルさん自身は漁師ではないが、毎日のように川辺に来ては漁を手伝ったり、自宅から動けないお年寄りに魚を届けたりしている。アレキサンドルさんは、「もうドローンを見ることはなくなった。砲撃がないということだ。それだけで、ひざまずいて感謝したいくらいだ」と、話した。

町の小さな市民ホールには、支援物資の配給に並ぶ人たちの姿があった。親ロシア派だった市長が逃亡し、行政が機能しない中、市民の生活を支えているのは同じ市民だ。「砲撃の最中も、救援物資を車で町に運び込み、避難する市民を市外へと送り出していた」。ボランティア団体「ドブラ・ディーア」を立ち上げたナディア・ノビツカさんは振り返る。

がれきの町に営業している商店が一軒だけあった。店長のマリナ・マニコウさん(25)は、一度は町の外へ避難したが、「生まれ故郷の役に立ちたい」と、すぐに戻ってきた。ボランティアで救援活動をしつつ、「ドブラ・ディーア」から店を修繕する材料をもらい、ようやく店の再開にこぎつけた。

店頭で立ち話をしていた時、遠くに砲弾の音が聞こえた。怖くはないかとマリナさんに聞くと、「どこに安全な所があるの?」と、あきらめ顔だ。「他の町でも生活は厳しい。それなら私は、ここで自分の町を再建させたい」と、言う。彼女にとっては、それがロシアとの戦いなのだろう。

がれきの町で、商店を開いたマリナ・マニコウさん=2022年、ハルキウ州スタリ・サルティフで、筆者撮影

殺されているのは、平和そのものだ

ウクライナ軍がハルキウ州のほとんどの領地を取り戻した後、ロシアのプーチン大統領は南東部4州を併合したと一方的に発表する。しかし、夏以降、勢いにかげりが見え始めていたロシア軍に対し、欧米諸国からの武器供給で強化されたウクライナ軍は11月中旬、南部ヘルソン州の州都ヘルソンを含むドニプロ川西岸の領土も奪還した。

ハルキウで親しくなったウクライナ人写真家3人と共に、解放されて間もないヘルソン州に入った。

ヘルソン州に入ると、道路のアスファルト舗装はデコボコ状態になったが、並木道の両側には小麦やヒマワリの畑が地平線まで続いていた。「これが黒土地帯か」と車窓から眺めていると、時折、荒れた農地に突き刺さったままの砲弾や、焼け焦げた車両が目に入った。

「ここからは最近まで(最前線の)『ゼロ前線』だったところだ。アツシは左側を見ててくれ。もしかしたら、ロシア兵の遺体がまだあるかもしれない」と、ハルキウ出身の写真家セルギーは言う。ここで人間同士が殺し合っていたのだと思うと、牧歌的だった風景がキリング・フィールドに見えてきた。

爆破されていた橋を迂回(うかい)してたどり着いたのは、ダビディフ・ブリドという小さな田舎町だ。8カ月以上ロシア軍の占領下にあったが、2カ月に及ぶ激しい攻防戦の末にウクライナ軍がロシア軍を撃退。昨年10月4日に、青と黄色のウクライナ国旗が掲げられた。

だが、町はもう死んでいた。見渡す限りの建物は砲撃を受けて破壊されていた。いったい、どれだけの砲弾が降り注いだのだろう。通りの向こうから歩いてきた男性が、「この道路沿いの地雷は除去されているが、建物の敷地には入らない方がいい」と忠告してくれた。それでも、この惨状を心に刻みつけようと、足元に注意しながら被害状況を見て回った。

牧草地にあった牛の死骸はまだ新しかった。戦争で、肥沃だった黒土(チェルノーゼム)は荒れ果てた=2022年、ヘルソン州北部で、筆者撮影

ここには豊かな生活があったのだろう。立ち並ぶ家はどれも大きな建物だった。激しい壊れ方から、攻撃には大砲やミサイルが使われていたようだ。避難所であったはずの小学校も戦場となっていた。兵士が銃を持って立てこもっていたのか、2階の講堂の窓際には土囊(どのう)が積み上げられていた。壁には無数の小さな穴がある。銃弾の痕だ。

1階の教室には小学校低学年用の机が10個、床にはフラフープや縄跳びが散乱していた。子どもたちが黒板と先生の前で机を並べて勉強する姿が思い浮かんだ。当たり前の、人間らしい営みが無残に踏みにじられている。ピカソが無差別爆撃を描いた「ゲルニカ」を思い出した。これは「ゲルニカ」だ。「ゲルニカ」が、ウクライナ中にいくつも生み出されている。こんな人権侵害の極みが、いつまで続けられるのだろうか。人と町が破壊されているだけではない。殺されているのは、平和そのものだ。

ロシア軍の砲撃で破壊された学校の教室。壁にはウクライナのシンボルマークと国歌の歌詞があった=2022年、ヘルソン州ダビディフ・ブリドで、筆者撮影

中南部のザポリージャ州と東部のドネツク州の前線付近の町では、砲撃の爆発音がひっきりなしに鳴り響く中で、恐怖と寒さに震えている人たちを目撃した。

ザポリージャ州にあるオリエホブは、ロシア軍の占領地までわずか3、4キロのところにある。もともと1万5千人ほどが住んでいたが、今残っているのはその1割ほど。高齢や病気で避難が難しい人や、他の土地で暮らす金銭的余裕がない人など、様々な事情を抱える市民が侵攻後も町に残っていた。

5階建ての集合住宅に住むスベトラーナ・ロッシュさん(74)の地下生活は9カ月にもおよぶ。薪のストーブに不具合があるのか、40平方メートルほどの地下室は少し煙たかった。「でも、地下にいる時はほっとする。他の家族も暖かさを求めてここに集まる」と、スベトラーナさんはストーブの前で話した。最初は笑顔だったが、自分の責任によらない理由で苦しめられている状況を語るにつれ、しだいに表情は曇った。「毎日、何度も、爆発がある。ただの年金生活者なのに、どうしてこんな目に遭うのか」。涙ながらに訴える彼女にカメラを向けた。地下室に鳴り響くシャッター音の一つひとつが、彼女の傷ついた心を刺すようで胸が痛んだ。

ロシア軍の砲撃が続く中、集合住宅の地下に避難するスベトラーナ・ロッシュさん(左)とクズミン・バレンチノさん=2022年、ザポリージャ州オリエホブで、筆者撮影

地下室で眠る日々 「爆弾の降らない夜が欲しい」

ドネツク州西部ベリカ・ノボシルカでも、戦争の脅威は目前にあった。

製鉄所「アゾフスターリ」で知られるマリウポリを掌握したロシア軍は、東部ドンバス地方を面で制圧しようと、西から覆いかぶさるように軍を北上させ、ベリカ・ノボシルカの南、数キロの地点まで迫っていた。避難所の一つとなっていた消防署を訪れると、地下室にマットレスと掛け布団がびっしりと敷き詰められていた。そこで40人が折り重なるように寝ているという。子どもの姿も数人あった。

案内してくれた避難者の男性に状況を聞いた。

「今日の状況は危険だ。1時間ほど前、ここから200メートルほど離れた民家が砲撃を受けたばかりだ。戦争の前は1万人が暮らしていたが、今は2千人ほど。足りないもの? 爆弾の降らない夜が欲しい」。ベッドの上でぐっすりと眠る。自宅で家族とテーブルを囲んで食事をする。そんななんでもない普通の暮らしが根こそぎ奪われている現実を、ここでも目の当たりにする。

40人が寝泊りする消防署の地下室。避難生活は10カ月におよんでいた=2022年、ドネツク州ベリカ・ノボシルカで、筆者撮影

窮地に立たされている住民に、砲撃の合間をかいくぐって、食料や医薬品、衣服や暖房設備などを運び込んでいるのは、マリウポリからの避難者が作ったボランティア団体だ。

「次はクリスマスプレゼントを戦車で運んでくるよ」と、冗談を交えて住民に話しかけているのは、団体の創設者で牧師のゲナディー・モクヘンコさん(54)だ。「ここにいるのはお年寄りばかりだ。彼らには家族も子どもも孫もいる。人間なのに、犬のような暮らしをしている。ロシアはこの人たちを救うためにここに来たと世界中に宣言したのに、このありさまだ。クレージーとしか言いようがない」

不思議と「デジャブ」を感じさせる光景だった。どこで見たのだろう。内戦下のアンゴラか、震災後の福島か。いや、それだけではない。何らかのあらがいがたい力によって人間らしい暮らしが壊された場所で、それを取り戻そうと尽力する人々は、いつもごく普通の市民たちだった。僕はそのことを世界中で数え切れないほど見てきた。

平和とは何か。「戦争はいけない」との考えは変わらない一方、日常が一方的に奪われている現場に一歩踏み込み、武器をとって戦うしかない現状を目の当たりにした。ただ、平和が、「人間らしく生きる権利が守られている状態」であるとすれば、それは戦車やミサイルだけで得られるものではない。人間の平和を作り出す方法は必ず他にもある。理不尽な運命に対峙(たいじ)し、倒されても何度でも立ち上がる人々に出会うたびに僕は、その思いをかみしめる。

救援物資を運び込むマリウポリ出身者のボランティア団体。左が代表のゲナディー・モクヘンコさん=2022年、ドネツク州ベリカ・ノボシルカで、筆者撮影

迫る砲弾、震えるカメラを持つ手...思い知った「戦争」

今回の取材で命の危険を感じた瞬間があった。

ミコライウ市からヘルソン市に向かう途中、ウクライナ軍が奪い返したばかりの空港に立ち寄った時のことだ。建物のがれきや砲弾の破片が散乱する滑走路で、破壊されずに残されていたロシア軍の戦闘ヘリ2機を撮影していた時、「ドゴーン」という、耳をつんざく爆音が連続してとどろいた。

反射的にかがんだ。爆発のあった方を向くと、空港のターミナルビルの後ろに、白い煙の柱が3本、立ちのぼっていた。撮影を切り上げて、敗走するように早足で退避した。ドローンが飛んでないか頭上を気にしつつ、足元も注意して進まなければならなかった。駐機場にはロボット掃除機のような大きさの地雷がところどころに残っていたからだ。未使用のミサイルまで転がっていた。

退避の途中、破壊された飛行機の残骸を何枚か撮った。「今、ドーンと来たら終わりか」。そう思うと、カメラを持つ手が震えてきた。ふいに東京にいる妻子の顔が浮かんだ。「ちょっとむちゃしちゃった、申し訳ない」と心の中でわびた。でも、それ以上家族のことを考えるのはやめた。生き延びなくては、と滑走路を後にした。

ターミナルビルの前に止めていた車は無事だった。一目散に車に乗り込み、空港を離れようと、前線と逆の方角へ車を飛ばした。

どこにいても安全ということはなかったが、砲弾が近くに落ちるまでは、僕にとって戦争は遠い世界の出来事だったのだ、と思い知った。

飛行機の残骸。駐機場には複数の地雷が残っていた。ロシア軍が要塞化していたヘルソン国際空港はウクライナ軍の激しい砲撃を受けた=2022年、筆者撮影

地球全体の「健康」をむしばまないために

「ウクライナに希望はない。あるのは道だけだ」。途中、同行したウクライナ人の写真家セルギーがつぶやいた。終わりの見えない戦争の中で、ウクライナの人々は希望を持たずに前に進めるのだろうか。希望が見えなくても、目の前にある、人間として生きる道を必死に歩こうとしているということだろうか。セルギーの真意は確かめてはいないが、今もその言葉を反芻(はんすう)し続けている。

国連人権高等弁務官事務所によると、軍事侵攻が始まった2022年2月24日以降、今年の1月15日までに、少なくとも7031人の市民が犠牲になった。このうち433人が子どもだという。また、国連難民高等弁務官事務所によると、1月24日現在、ヨーロッパ諸国にいるウクライナからの避難民は約800万人にのぼる。

戦争の前線近くで生きる人々を目の前にしてつくづく思ったのは、「人間はこんな目にあってはならない」ということだ。でも、それは何も、ウクライナの人々だけにあてはまることではない。タイとミャンマーの国境地帯にある難民キャンプで、何年も隔離されている人々を見た時、あるいは、ギリシャのレスボス島で、中東やアフリカからヨーロッパを目指す人々が、行き場を失って囚人のように留め置かれているのを見た時、「人間はこんなふうに苦しめられてはならない」と、ひとしく感じたのではなかったか。

ウクライナで起きている侵略は、「人間の生活や生命、尊厳」を踏みにじるもので、ロシアがどんな理由を掲げようとも許されることではない。でも、それは、問題が貧困や差別であれ、環境破壊や感染症であれ、他のどの人たちに対しても起きてはならない苦しみなのだ。それをそのままにしてほうっておけば、地球全体の健康(プラネタリーヘルス)がむしばまれてしまう。そんな視点でいま一度、世界をとらえ直してみたいと思っている。