いかなる理由があろうと、いかなる意味においても、起きてはいけないことが起きてしまっている。ロシアの侵攻から1年が経った、ウクライナ戦争のことである。専門家の目には予兆が見えていたかもしれない。しかし一般市民のだれがこのウクライナの姿を予想しただろう。今、この瞬間も、ほんの1年前まで、私たちと同じ日常を営んでいた人々の生活、生命、尊厳、将来の展望――。あらゆるものが奪われている。

しかし、「起きてはいけなかった」というのはウクライナ戦争だけではない。それ以前から、世界にはすでに、人間の手に余るほどの人道課題があふれていたからだ。ウクライナ一色に染まるかのような国際ニュースの陰に、数えきれない人道課題があふれている。そしてその多くは、たとえ自然災害であっても、私たちの日々の生活と関わりなく起きたわけではない。世界の人道課題の一端を見ながら、人道的関心という言葉がもつ意味と私たちに何ができるかを考えてみたい。

戦争と混乱が脅かす生命

国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によれば、ウクライナでは2月12日現在、2022年2月24日以降で1万9千人近い市民が死傷(死亡7199人、負傷1万1756人)し、このうち1300人近くが子どもである(死亡438人、負傷854人)という。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、2月14日現在でウクライナから国外に逃れた人は、1860万人をこえる。このうち約1030万人がすでに帰還しているが、自宅が無事だから戻れたわけではない。国内でより安全な場所を求めて避難している人も多く、現在も600万人近い人々が国内避難民として暮らしている。停電が相次ぎ、極寒の中で暖房もなく過ごしている人たちがいる。健康な成人でさえ、心身の不調に苦しんでいる。お年寄りや子ども、病気や障害のある人、妊産婦の窮状は想像にあまりある。

驚かれるかもしれないが、最も多くの国外避難民が登録されているのはロシアである。その数はポーランド(2月14日現在)の約156万人を大きく上回る約285万人。2022年10月3日現在の人数で以後更新はされていない。ロシアからの帰還が進みこの人数は、減少しているのか、あるいは逆に増加しているのか、また、ロシアに強制的に連行された人も含む数字なのかといった、決定的に重大な情報は不明のままである。

地理的状況や避難路の戦況などからロシア側に避難するしかなかった人、ロシア側に連行された民間人、兵士・民間人問わず、行方不明になっている人々の人数は分かっていない。家族を亡くした人同様に、家族の生死も行方も不明である人々の精神状態の過酷さは計り知れない。

極寒の中にあるのは、2021年夏にタリバンが実権を握ったアフガニスタンも同様である。多くの子どもたちが寒さと食料不足にあえぐ中、タリバンは昨年末女性がNGOで働くことを禁じた。タリバンはこれまで、女子教育を禁じてきたが、2022年12月24日には、地元のNGO、国際NGO問わず、人道支援や教育支援を担うNGOの女性職員を無期限で停職とするよう命じる通知を発令した。アフガニスタンは、女性に対しては女性職員しか援助を行うことが許されない国だ。タリバンのこの政策は、女性の学ぶ権利、働く権利の剝奪(はくだつ)にとどまらず、女性が援助を受ける権利そのものを剝奪することにもつながっている。(認定NPO法人「難民を助ける会」〈AAR〉では地雷の回避教育を行ってきたが、女性に向けては、女性の回避教育要員が行ってきた。そうした活動もできなくなることを意味する)

支援物資を受け取りにきた親子=2021年12月、アフガニスタンで

紛争にあえぐアフガニスタンは同時に自然災害が多発する国でもある。2022年6月には南東部で大規模な地震が発生、死傷者は2600人以上にのぼった(死者1千人以上、負傷者1600人以上)。アフガニスタンでは一般的な家屋は、土を固めたレンガ造りが多く、甚大な被害を受けた地域(パクティカ州、ホースト州)では倒壊家屋の下敷きになって多くの人々が死傷した。さらに大雨に伴う土砂崩れ、地滑り、洪水なども発生した。紛争に加え、この地震、さらには近年の干ばつなどにより、国内では複合的な人道危機となって深刻化している。

2023年の2月6日以降は、世界最大の複合的な人道危機とは、シリアを指すこととなった。2011年以来の内戦に終わりが見えない中で、トルコ南部のシリア国境付近をマグニチュード7.4といわれる大地震が襲ったのである。被害状況が日々動いている中で詳述は控えるが、シリア側被災地はアサド政権と対立する反政府勢力が支配する地域ゆえに、これまでも援助の難しい地域であった。そこを襲った大地震による壊滅的な建物の倒壊は、多くの医療従事者の命も奪ったといわれ、最低限の自助努力すら展開することが難しい状態に置かれている。

東南・南アジアに目を転じれば、ミャンマーから逃れたロヒンギャ難民80万人以上が暮らすバングラデシュの難民キャンプの人口密度はすさまじい。インフラが整っていない地域での避難が長期化しているが、子どもたちの教育を受ける機会が限られているほか、児童婚、人身売買、家庭内で夫から暴力を受けるといったジェンダーに基づく暴力も深刻だ。大規模な難民の流入は、もともと貧しい地元の受け入れコミュニティーの脆弱(ぜいじゃく)性を食料不足、子どもや女性の権利侵害などの側面で一層高めている。しかし、ウクライナ戦争の影響で、ロヒンギャ難民向けの援助が削減されている。こうした事態は、内戦発生から12年が経つ、今回の地震発生前のシリアにおいても同様である。

ロヒンギャの難民キャンプの様子=2022年6月

気候変動がもたらす人道危機

気候変動による自然災害も多発している。パキスタンは日本の2倍の広さの国土をもつが、2022年6月の記録的な大雨と洪水で国土の3分の1が冠水、全人口の7人に1人が影響を受けたといわれている。以来半年が経過し水はひいたが、その後遺症は甚大で、井戸が壊れたり、泥で汚染されたりして、皮膚病や下痢が蔓延(まんえん)し、生活が立て直せないまま厳しい冬のただ中にいる。パキスタンの洪水は、気候変動が一因とされる。シャリフ首相は、2022年11月にエジプトで開催された国連の気候変動会議(COP27)で、この洪水を「人災」と表現した。パキスタンは二酸化炭素の排出量が非常に少ないにもかかわらず、壊滅的な洪水が発生したのは、温室効果ガスを大量に排出してきた先進国に責任がある、という意味だ。

パキスタンの洪水被災者たち=パキスタン・ハイバルパフトゥンハー州で

気候変動がもたらしている危機は洪水だけではない。アフガニスタンでは長引く干ばつが深刻な食糧難を引き起こしている。ソマリアとその隣国ケニア、エチオピアは、過去40年で最悪の干ばつに見舞われており、気候変動の影響とみられている。なかでもソマリアは、イスラム過激派「アル・シャバブ」によるテロや紛争が続き、援助物資の輸送もままならない状態にある。国連によればソマリアの人口1600万人弱のうち、4割にあたる670万人が食糧不足に陥っている。このうち30万人以上が2022年末までに壊滅的な飢餓に直面しており、今年の6月までに5歳未満の子どもたち180万人が急性栄養失調に陥るとされている。長引く干ばつと紛争の影響で主食の収穫ができず、食べ物の貯蔵も底をついているという。ソマリアでは2011年、長引く干ばつが引き起こした飢饉(ききん)で26万人を超える人々が餓死し、その半数は5歳未満の子どもたちだったといわれる。

食糧作物や物価上昇・高騰の影響は全世界に及んでいるが、特にロシアやウクライナからの輸入依存度の高い国々が直接的な影響を被っている。その多くがアフリカ諸国である。国連食糧農業機関と世界食糧計画(FAOとWFP)は、「ハンガー・ホットスポット」と題した報告書を四半期ごとに公表、今後食糧不足が著しく悪化すると予測される国々の名前をあげ、警告するとともに注意を喚起している。最新版で上位国をみると、コンゴ民主共和国、エチオピア、ナイジェリア、イエメン、アフガニスタン、シリア、スーダン、南スーダン、ソマリア、スリランカ、パキスタン、ハイチ、ニジェール、ケニア、マラウイ、といった国々がならんでいる。

「できること」はたくさんある

以上は、2023年の世界が抱える人道危機の一部である。これらは遠い星の話ではなく、同じ地球の同じ時代に生きる人々の話である。私たちに一体何ができるだろうか。「人道」や「人道支援」の視点から考えてみたい。

言葉の本来の意味で「人道支援」とは、困っている人、今生命の危機に瀕(ひん)している人に、同情し、心を寄せ、手を差し伸べることだが、それだけではない。それが誰であろうと、人種や信条、国籍、宗教、政治的意見にかかわらず、公平、中立、独立の立場で行うのが人道支援である。

もし、日本政府が、ウクライナからの避難民に示した態度を、ロヒンギャやアフガニスタン、ソマリアからの避難民や難民申請者に示さないとしたら、それは、人道支援や人道的対応ではなく、「政治的対応」である。

日本政府や他の先進諸国がウクライナに支援を集中させ、ロヒンギャやシリア支援、アフリカで飢餓にあえぐ人々のための資金を減ずるなら、それは人道支援ではなく、単なる「支援」である。

個人としての私たち一人ひとりが、常に「人道的視点」に立って行動することは物理的に困難を伴う。しかし、誰しもが人道を実践できる場がある。それは、「もしそこにいるのが私や私の大切な人たちだったら」と、想像し、興味や関心をもつことだ。

2023年、戦場と化したウクライナ、水没したパキスタン、女の子たちが学校に通うことのできないアフガニスタン、食料のないコンゴ民主共和国、地震で言語を絶する被害を受けたトルコやシリア。「そこにいるのは私だったかもしれない」「私の大切な家族だったかもしれない」。そうした想像力を働かせ、自分事と捉えることは、誰もができる人道的実践の一歩ではないだろうか。

2023年の世界は、目を覆い、耳をふさぎたくなる惨状と絶望にあふれている。しかし平和な日本にいる私たちが絶望しては何も始まらない。絶望は何も生まないからだ。しかし、私たちにも何かできることがある、という希望は、確実に世界を変える一歩につながるはずだ。フェアトレード商品を購入したり、地球温暖化を少しでも食い止める生活を心がけたり、すぐそばにいるかもしれない日本に逃れてきた難民の人に手を差し伸べたり。私たちにできることは、きっと自分が思うよりたくさんある。

〈おさ・ゆきえ〉

立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授。認定NPO法人難民を助ける会(AAR Japan)会長。1991年-2003年までAAR勤務。この間在日インドシナ難民支援、ボスニア等紛争地での緊急人道支援、カンボジア、コソボ、アフガニスタン等での地雷・不発弾対策、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の活動に従事しつつ事務局長をつとめる。2008年より同理事長、2021年より現職。2010年より立教大学教授。武力紛争下の文民の保護を基点に、ジェノサイド予防や平和構築、通常兵器の規制等に取組む。主な著書に『スレブレニツァ ー あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂)、『入門 人間の安全保障』(中央公論新社)。早稲田大学にて学士・修士号(政治学)、東京大学にて博士号(学術)。