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増田明美の熱視線

標高1900メートルの「春城」 昆明

2007年06月28日

 前回中国を訪れたのは04年、アテネ五輪前のことだ。3年ぶりの昆明は時の流れが加速しているように思えた。夜9時に到着し、空港から市内へ向かう車の流れに目をやると、真新しい日本車、ドイツ車が目につく。煌(きら)びやかなネオンと、近代的な高層ビルの窓明かりは、ここが内陸部の雲南省であることを忘れさせる。

写真昆明の空港に到着。大阪から直行便に乗れば5時間の距離だ

 翌朝、日本の長距離選手たちが合宿をする市の南部へ。選手達を歓迎するかのように、広い道路の中央分離帯には100メートル間隔で並ぶ真っ赤な特大提灯と、提灯のカタチに合わせたように丸く刈り込まれた大きなブーゲンビリア。その大胆さが微笑ましい。

 この道は選手達の朝練習コース(1周5.9キロ)の一部である。歩いていると「おはようございます」と日本語で次々に声をかけられる。三井住友海上、京セラ、ワコール、天満屋、パナソニック、ヤマダ電機、豊田自動織機、アルゼ、四国電力。気がついただけでも9チーム。日本でも一つの場所にこれだけのチームが集まることは珍しいだろう。土佐礼子さん、原裕美子さん、福士加代子さんら、日本を代表する女子長距離選手が次々と目の前を通り過ぎる。

 標高約1900メートルのこの町は92年から日本長距離界の合宿地となっている。最初は三村監督(故人)の率いるデオデオ、そして礒端監督率いる富士銀行(当時)。以来、増え続け、現在では120チーム、700人ほどが複数回、長期にわたって合宿を行っている。高地合宿地の中で、なぜ昆明が人気かというと、時差がわずか1時間で、大阪から直行便に乗れば5時間で来られるからだ。練習中にケガをした時にも、すぐに日本に帰って治療が出来るというメリットを多くの監督が話す。また、私が滞在した6月中旬、日本各地で30度を超える暑さもあったが、昆明は“春城”と呼ばれるように日中でも20度前後。選手達は疲労をためずに質の高い練習を積み上げることが出来るのだ。

 滞在中、雲南省体育局の方達と食事をする機会に恵まれた。私は北京五輪について矢継ぎ早に質問をした。「中国ナショナルチームはどこで合宿しているのですか?」と聞くと「よく分からない」という返事。北京五輪の代表選考はどうやって行われるか?と聞くと、これにも「よく分からない」。それなのに、話題が地元のことになると場が一気に盛り上がる(選考会については翌日調べてくれて、選考会は特になく、ナショナルチームの合宿中に選ばれるとのことだった)。

 「マレーシア、カナダ、エジプトなど、多くの国の選手が雲南省へ合宿に来ています。陸上競技だけでなくマウンテンバイクの選手も多いのですよ」。体育局の担当者は合宿地としての誇りを得意気に話すのだった。

 中国は広い。雲南省で人口4400万人、面積は日本より少し広く、ひとつの国といってもいい規模。通訳の方にも尋ねたが北京五輪への興味はまだ薄い。北京で行われることはまるで外国で行われるのと同じ感覚のようだ。しかし、テレビCMや街に張られた企業のポスターには北京五輪のマークが見られる。あと1年、北京から遠く離れた雲南省にも五輪の熱気が徐々に伝わってくるだろう。

 リュックに1泊分の荷物を詰め、昆明から北西へ約600キロ、標高2400メートルの町、麗江へ向かう。野口みずきさんが合宿したこともある場所は、スイスのサンモリッツを思わせる美しい町だった。(続く)

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顔写真

増田 明美(ますだ・あけみ) スポーツジャーナリスト

 1964年、千葉県生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。1984年のロス五輪に出場。1992年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新という記録を残す。現在はスポーツジャーナリストとして多方面で活躍中。2006年にはタイ・プーケットでマラソン大会を開催し、スポーツによる国際交流にも注力。大阪芸術大学教授、文部科学省中央教育審議会委員、新健康フロンティア戦略賢人会議委員なども務める。

公式サイトは「増田明美's Home page」 http://www.akemi-masuda.jp/別ウインドウで開きます

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