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愛の旅人

「大草原の小さな家」
»〈ふたり〉へ父さんと母さん―米国・デスメット

 「大草原の小さな町」――米国中西部のサウスダコタ州デスメットは、いまも小さな町のままだった。

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デスメットの大草原。ほろ馬車で転々としたインガルス一家の長い旅は、ここで終わった=サウスダコタ州で

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復元された「大草原の小さな家」=カンザス州で

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ローラが拾った小石を入れすぎてポケットを破いてしまったというペピン湖=ウィスコンシン州で

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チャールズとキャロライン

 「小さいけれど、アメリカだけでなく、世界でも有名な町の一つですよ」。州観光局のタイラー・シャープさんは胸を張った。ローラ・インガルス・ワイルダーの自伝的な小説「大草原」シリーズの主な舞台だからだ。

 ローラの両親、チャールズ・インガルスとキャロラインが結婚したのは、1860年。その後、ウィスコンシン州ペピン、カンザス州インデペンデンス、ミネソタ州ウォルナットグローブなど、南北戦争(1861〜65年)後の中西部を転々としたあげく、一家がようやくたどり着いた安住の地である。19年で8回目の引っ越しだった。

 デスメットではいま、インガルス一家は大切な観光資源だ。レストランのメニューにはインガルス・グリルという豚肉のステーキもある。

 夏休みに入ると観光客が押し寄せ、野外劇を楽しみ、当時の衣装をまとったボランティアの案内に耳を傾ける。「世界中で愛読され、親から子、孫へと語り継がれていますからね」と、ローラ・インガルス・ワイルダー記念協会のダイアン・モルナーさんは言う。

 一家が住み始めたころの人口は100人程度。約130年後のいまも1000人そこそこだ。碁盤の目のように道路が数本走っている町の骨組みも昔のまま。10分も歩けば、町を突き抜ける。そこには、西部開拓時代にタイムスリップしたような光景が広がる。

 一家は、ウォルナットグローブで、長女メアリーが失明したこともあり、鉄道工事の出稼ぎにきたことのあるダコタ準州(当時はまだ州になっていなかった)に移住することにした。

 最初に住み着いたのは美しい「シルバー湖のほとり」。鉄道工事現場で、父さんのチャールズは、売店の管理人、会計係として働いた。

 冬は厳しい。岸辺にある測量技師の家の管理を頼まれる。食料や燃料もたっぷりあった。家族6人、ぬくぬくと冬を過ごせたのは初めてだった。

 翌春、父さんはデスメットの町から2キロたらずのところに160エーカー(約65ヘクタール)の開拓農地の申請をした。5年間定住すれば、農地は自分のものになるという法律があった。

 町に家も建てた。夏は農場で、冬は町で過ごすという一家の新生活が始まった。町全部が雪に閉ざされ、命綱の鉄道も止まり、食べ物や燃料が底をつく「長い冬」も体験した。

 父さんはリーダーシップもあり、面倒見もいい。いつの間にか、町の重要人物になっていた。メアリーは念願の盲学校に進学、ローラも15歳で教師の資格を取り、やがて夫となるアルマンゾ・ワイルダーと知り合った。苦労続きの母さんにも、やっと春が訪れた。

 だが、父さんの気持ちはいま一つ晴れなかった。

開拓者精神か放浪癖か

 旺盛な開拓者精神(フロンティアスピリット)と、単なる放浪癖は紙一重かもしれない。

 父さんのチャールズは家族思いで、働き者。人の世話もする。バイオリンも得意だ。「満点」父さんだった。

 でも、そんな父さんには、母さんキャロラインを悩ませ続けた性癖があった。一つの場所に腰を据えて暮らすのが苦手だったのだ。人や家が増えると、もっと西の誰もいない大草原に行きたくなる「虫」が動き出す。

 サウスダコタ州のデスメットも、父さんには、だんだん居心地が悪くなってきた。入植者が押し寄せ、「町がみるみる大きくなってきている」と、父さんも驚くほどだった。大工で稼げるのはうれしい。でも、「60キロ四方の居住者はわたしらだけだった」ころが、懐かしくてたまらない。

 父に似て、草原暮らしが好きな次女ローラの目にも町は、「美しい広びろとした大草原にぽこんと盛り上がった腫れ物」のように映った。

♪  ♪  ♪

 南北戦争さなかの1862年、リンカーン大統領は「ホームステッド法」を制定した。未開の草原を開拓し、5年間定住すると、160エーカーの土地をただでもらえた。90年の「フロンティア消滅宣言」後も続いたこの法律が、自営農民の西部への移住熱をあおった。

 「もっと西部に行きたいよ。もうここじゃ、息苦しくなってきた」

 ある日、父さんはこう切り出した。

 「どうして今の生活、友人を捨てて、西部に行かなくてはならないのでしょうか」

 母さんは、これまでも、引っ越しのたびに思い悩んでいた。だが、面と向かって反対することはなかった。今度だけは違った。

 「こんなに広い大草原があるのに、息苦しいなんて。私は、あちこちつれまわされるのにあきあきしているんですよ」

 母さんが正直に腹のうちを父さんにぶつけたのは、初めてだった。放浪生活の苦労が、頭を駆けめぐったに違いない。

♪  ♪  ♪

 結婚して2年で移り住み、貧しいけれど幸せだったウィスコンシン州ペピンの「大きな森の小さな家」。「この森じゃ人が多すぎて、もうだめだ」。父さんのこんなひと声で、母さんの夢は消えた。

 次に移り住んだのは、直線距離で900キロも離れたカンザス州の「大草原の小さな家」。母さんの嫌いな先住民の国だった。ただでもらえるつもりで住みついたものの、話が違い、1年で追い出される羽目に。また家も畑も捨てた。

 「1年がむだになったわ」。母さんの嘆きも、「たいしたことはない。時間はまだある」という父さんには届かない。

 これがケチのつき始め。高く売れるはずだった土地が売れず、元の場所に舞い戻ったり、バッタの被害で作物が全滅したり、不運も重なった。

 だが、移動好き、引っ越し好きは父さんだけではなかった。ひとたび西部をめざして旅立った人々の多くは、途中で短期間落ち着くことはあっても、西に進み続けた。

 手に入れた開拓農地を売り払い、それを元手に新天地に向かう開拓のプロも多かった。

 カンザス州インデペンデンスの郊外に、「大草原の小さな家」が復元され、米国内だけでなく、日本を含め、世界中から多くの「大草原」ファンが訪れる。

 「アメリカ人は今も昔も、開拓者魂、フロンティアスピリットが好きなのよ」。「大草原の小さな家」マネジャーのエミー・フィニーさんは、米国民の移住癖に理解を示す。

♪  ♪  ♪

 父さんは、母さんの抵抗にびっくりした。「いつもの旅ずきがうずき出しただけだ」。冗談めかして引っ込めるほかはなかった。父さんの前には、大草原がゆるやかに波うって、西へ、西へと、はてしなく広がっていた。

 一家はここに定着した。父さんは1902年に死去。母さんは学校から戻ったメアリーとともに暮らし、24年に世を去った。

 父さんの血をひいてあちこちを転々としたローラを除く一家の多くが、町はずれの墓地で静かに眠っている。

 今年10月、米国の人口は3億人を超えた。中南米からの移民が人口増の原動力だ。

 先住民を駆逐しながら、移住者や開拓者が作り上げたデスメットもインデペンデンスも、先住民ら有色人種は少なく、基本的には白人の町だ。全米を揺るがしている移民騒ぎとはいまのところは無縁のように見える。地下のふたりはどう思っているだろうか。

文・植木裕光 写真・大野明
(12/09)
〈ふたり〉

 チャールズ=写真左=もキャロライン=同右=も、南北戦争後の米中西部で生きたごく普通の米国市民である。チャールズは農作業の傍ら、わなを仕掛けてキツネやジャコウネコなどの獣を捕まえ、毛皮にして売り、一家の暮らしを支えた。

 キャロラインはやりくり上手な西部女。メアリーら4人の女の子と幼くして死んだ男児の1男4女をもうける。放浪癖のあるチャールズに従い、各地を転々としながら、先生だった経験を生かし、子どもたちのしつけや教育に力を入れた。

 一家はこの間、先住民族との摩擦、バッタによる作物の被害、大寒波の襲来など、多くの苦難に見舞われた。そのつど、父と母ふたりの創意工夫と負けじ魂、一家の団結で乗り切った。

 70年代後半に「大草原の小さな家」シリーズとしてドラマ化され、日本でも人気を集めた。テレビでの主な舞台はウォルナットグローブ。物語は原作と異なる点が多い。



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