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PR イオン株式会社
いのちあふれる森を次世代にイオンの植樹活動の原点とは

毎日の衣食住を支える身近なショッピングモールなどを展開する「イオン」は、1991年から30年以上にわたって植樹活動を続けています。いのちあふれる森を未来に伝えていくために「イオン環境財団による森づくり」「イオン ふるさとの森づくり」「イオン東北復興ふるさとの森づくり」の三つの活動で植えてきた木は、1268万本を超え(2024年2月末)、植樹の輪は国内外に広がっています。国語の教科書でも知られる詩人、谷川俊太郎さんはこの活動に共感し、「木を植える」という詩を贈りました。イオンが森づくりにこだわる意味、植樹活動の意義、イオンの環境への取り組みについて紹介します。

お客さまとともに——
イオンが進める森づくり

イオンでは、地域で活動することへの感謝を込めて、地域の方々とともに各店舗で森をつくる活動「イオン ふるさとの森づくり」を続けてきました。古くから店舗の周辺にある神社やお寺、屋敷林などに残る樹木を調べてその土地本来の植生を推定し、店舗ごとに植える樹木の種類や割合を決めています。緑の量だけではなく、質にもこだわったオーダーメイドの森をつくり、地域とそしてお客さまとともに育てているのです。

“イオン ふるさとの森”では、その地域の自然環境に最も適し、本来生育する木の種類を選んで植樹しています。また、一般的な緑化と比較して、多くの種類の苗木を高密度に植えています。密に植えることで、木々は光を求めて競い合いながら成長し、高木層・亜高木層・低木層・草本層が組み合わさった立体的な緑を形成するのです。日なたを好む植物、日陰を好む植物、暑さに強いものや寒さに強いものなど、様々な環境の中で木々が自らに適した場所で育つことで、安定した森となります。1991年から始まったイオンの森づくりは、日本全国、そして世界各地のお客さまとともに行われ、1268万本に達しました。

“イオン ふるさとの森”は、土壌やマウンドの作り方など様々な工夫をこらすことにより、長い時間をかけて立派な森へと成長します。森は、憩いの場所となるだけではなく、地域に住む生き物たちの生活の場ともなり、地域の生態系の一部として大切な役割を果たしていると考えられます。近隣の“イオン ふるさとの森”をぜひ観察してみてください。その場所ならではの動植物たちときっと出会えるはずです。

活動は世界各地へ
人々の生活に関わる
小売業だからできること

イオンは、1990年に日本で初めて地球環境をテーマとした企業単独の財団法人「イオングループ環境財団」(現イオン環境財団)を設立しました。

設立したのは、現イオン株式会社名誉会長相談役の岡田卓也さん。背景には、岡田さんの故郷である三重県四日市市の大気汚染による公害問題を目の当たりにしてきたことも大きかったと言います。「1960年代当時、岡田屋のあった四日市では、石油化学コンビナートの稼動に伴う大気汚染物質の排出により、四日市ぜんそくが問題となっていました。当時、空はよどみ、自宅の木が枯れたり、モクセイの花が咲かなくなったりしたことをよく覚えています」(岡田さん)。当時から「経済活動のために自然を破壊すること」に問題意識を抱いていた岡田さんは、1965年、愛知県岡崎市に新たに出店すると同時に、乙川の堤防に700本の桜の苗木を植えました。現在は立派な桜並木となり、桜の名所として多くの人の目を楽しませています。

1965年、イオンの前身「オカダヤ」が愛知県岡崎市での出店を記念して桜の植樹を始め、今では桜の名所として人々に親しまれています

「環境問題に国境はない」という考えから、イオンは国内だけでなく世界各地で植樹活動を展開し、人々が集う場所をつくり続けてきました。1991年、イオンの植樹活動の始まりもマレーシア(旧ジャスコマラッカ店)でした。自然災害や伐採などで失われたり荒れたりした森の再生、地球温暖化防止の向上などを目指して、日本を含む11カ国で地元のボランティアの人たちとともに木を植えてきました。中国・万里の長城周辺では、1998年から12年間にわたりのべ100万本の植樹を行いました。中国と日本の絆が深まり、木がほとんどなかった周辺は緑で彩られるようになってきています。この活動を支えているのはイオンの従業員だけではなく、呼びかけに応えているお客さま。岡田さんは「私たちの営む小売業は、人々の生活に深く関わっています。私たちの呼びかけに応え、集い、行動してくださるお客さまがいるからこそ、大きな規模での植樹ができるのです。これは、お客さまと関わりの深い小売業の誇りだと思っています」と語ります。

岡田卓也  
イオン株式会社名誉会長相談役

1925年生まれ、三重県出身。1948年、早稲田大学商学部卒業。在学中の1946年、家業の岡田屋呉服店の代表取締役に就任。1970年、ジャスコ代表取締役社長、2001年イオン名誉会長相談役。環境問題が社会に広く認知されるのに先駆け、1990年に現イオン環境財団を設立。同財団の名誉理事長として、森づくりや環境教育に取り組んでいる。著書に『大黒柱に車をつけよ』(東洋経済新報社)、『岡田卓也の十章』(商業界)など。

木は、最も身近な自然
谷川俊太郎さんが贈った詩

この「木を植える」という詩は、イオン環境財団の名誉理事長の岡田さんの80歳の誕生日に詩人・谷川俊太郎さんからプレゼントされたもの。谷川さんはこの詩について、「我々人間は、自然の一部でありながら、自然に対して人工的なものをどんどんつくって進化してきました。到底行けない宇宙へだってロケットなんかをつくり出して行けるようになっている。それは素晴らしいことなんだけど、同時に自然に逆らってそういうものをつくっていいものかという気持ちはずっとありました。それが第1節の『つぐなうこと』という言葉とつながったのだと思います」と語ります。

ご自身も「木が好き」とのことで、お話を伺った谷川さんの家の庭にもお父様の代から植えられているという様々な木々があり、子どもの頃から親しんできたと言います。子どもの頃は何げなく触れていた庭の木々について、谷川さんは「年を重ねるごとに大切だと思うようになった」そうです。そんな庭を谷川さんは「植物についてよく知っている人に頼んで、できるだけ自然に近い形」にしているとか。谷川さんにとって木は、最も身近に感じられる自然であり、自然と人間との関係を考える上でも大切な存在だと語ります。

さらに、90歳を超えてなお植え続けている岡田さんの活動に触れ、「大きな企業でそういうことを考え、行動しているということに、私は市民として親しみを感じ、共感する」と述べ、自然との触れ合いが子どもたちの成長にも、豊かな感性を育むためにも欠かせないと自然に対する考えを聞かせてくれました。

写真・朝日新聞社

谷川俊太郎  
詩人

1931年生まれ、東京出身。1952年、自身初の詩集『二十億光年の孤独』を発表し、注目を浴びる。1962年「月火水木金土の歌」で第4回日本レコード大賞作詞賞、1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞。1993年『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞、2010年『トロムソコラージュ』で鮎川信夫賞を受賞するなど、多くの作品が評価される。詩作のほか、絵本・エッセイ・翻訳・脚本など幅広く作品を発表する。

子どもたちに
美しい地球を残すために——
次の1千万本へ

「どんな状況でも木を植え続け、森をつくり、子どもたちに緑の美しい地球を残していきたい」という岡田さんの強い思いは、新たな活動となって広がっています。新型コロナウイルス感染症の世界的拡大により、社会も生活も変わり、植樹活動などで人が集うことができなくなっていた期間には、植樹地へは出向かずに森づくりに参画できる活動として「苗木の里親プロジェクト」を実施。同プロジェクトでは、全国の小学校や大学、自治体、イオン店舗など100カ所で29樹種、約1万本の苗木が配布されました。その中で元気に育った2千本以上が財団に届けられ、一部は「石巻復興の森づくり植樹祭」で植えられました。

また、財団設立30年を記念して2021年秋から始まった「植樹30万本プロジェクト」では、桜を中心とした苗木30万本を全国の家庭や団体に寄贈。自宅に植えてもらうほか、公園などでボランティアの人たちとともに植樹を行いました。本プロジェクトでは、全国に新たな桜の名所を生み出すことも目的とされています。桜は、春を迎える喜びを象徴するような花であり、桜の咲く場所に人々は集います。木を植えることで、人が集う場所をつくり、自然と触れ合うことで自然の大切さを知り、人間も自然の一部だと実感できる——。木を植えることで、地球と人間の営みの好循環が生み出されていくのです。

今、世界各地で気候変動による洪水や干ばつ、森林火災などの災害が起き、深刻な問題となっています。ひとつしかない地球を次世代へ引き継ぐためには、地道に環境保全に取り組み続けることが欠かせません。子どもたちの未来のために、岡田さんは「まだまだ植え続けなければいけない。その方法も色々と探っていきたい」とその意志を語ります。「木を植え続ける」イオンの活動は、時代も国境も超えて、広がっていきます。