伊藤 公平
慶應義塾長髙宮 敏郎
SAPIX YOZEMI GROUP
髙宮 慶應は卒業生のきずなやネットワークがとても強いのが特色です。それは小学校から大学院まで一貫教育校(以下、一貫校)を持っていることが、大きく影響しているのではないかと思います。
伊藤 慶應義塾はもともと福澤諭吉の思想に共鳴し、共により良い社会を築こうとの志を持つ人間が集まった結社であり、コミュニティーです。その伝統が今も生徒や学生、教職員、卒業生、保護者らの強いきずなにつながっているのだと思います。
髙宮 福澤諭吉の思想といえば「独立自尊」が有名です。また慶應の一貫校は自由な校風で知られています。例えば中等部には、制服や校則がありません。生徒と先生の距離感が近く、先生を「さん付け」で呼んでいます。私は普通部の出身ですが、当時、先生から何かを強制されることはほとんどありませんでした。本当にのびのびと、楽しい学校生活を送らせていただきました。
伊藤 校風は学校によって多少異なりますが、一人ひとりの生徒の尊厳を大切にし、自主性を尊重するところは慶應の一貫校全てに共通しています。私は教育において最も大事なことは、子どもたち一人ひとりに備わった能力を引き出し、自ら成長していける環境を用意することだと考えています。そして子どもにとって最も重要な環境が、高い志と情熱を持った教員や職員、先輩後輩や同級生などの“人”なのだと思います。
髙宮 人間の能力は人との触発によって開花し、自然と伸びていくということですね。そういえば明治の初期、「エデュケーション」という言葉をどう訳すかで、福澤諭吉と初代文部大臣の森有礼(ありのり)との論争がありました。福澤は子どもの隠れた才能や能力を引き出す「発育」という言葉を主張しましたが、結局、森が主張した「教育」という訳語が採用されました。「上から何かを教え込む」といったニュアンスを持つ「教育」という言葉を採用したことが、その後の日本の学びを形作った面もある気がします。
伊藤 私もそう思います。ですから私は、普段は「教育」という言葉はあまり使わないようにしているんです。日本社会は均一的で同調圧力の強い面もあります。そのため、ともすると教育も固定的な価値観や枠を子どもに押しつけるものになりがちです。でも世界は多様性に満ちていて、様々な価値観で成り立っています。国際化とともに、今の子どもたちは、日本人の常識が通じない世界で生きていくことになります。そのような多様性に満ちた世界で生き抜く力を身につけさせることが大切です。
多様な価値観を持つ世界で
生き抜く力を
人間の能力は人との触発で伸びていく
髙宮 近年、コロナ禍やウクライナ戦争など、誰も想定していなかった出来事が続いています。AIなどのテクノロジーの進歩も早く、10年後の世界は誰にも予測できません。
伊藤 福澤が慶應義塾を設立した時代には、洋学という手本がありました。でも今は世界のどこにも手本はありません。これからの世代はそのような時代に、地球温暖化や世界の分断など、人類の存続に関わる難問に立ち向かわなくてはなりません。
髙宮 だからこそ、一人ひとりが自分の頭で考え、行動し、責任をとる。そんな「独立自尊」の精神が、今こそ求められている気がします。
伊藤 その通りですね。SDGsのような課題を大人や政治家任せにしていれば、一番後悔するのは子どもたちです。今の子どもたちには世界の課題や危機を「自分ごと」と捉え、真剣に考え、できることから行動してほしいと願っています。そのような機会を与えてあげることも、大人の責任です。慶應では、これからの日本や世界のために自分たちが何をすべきかを議論し、行動に結びつける「塾生会議」という場を設けています。
髙宮 ただ、途上国の子どもと違い、日本で生きる子どもたちには、具体的な社会課題が見えにくい面もあります。
伊藤 島国の日本にいると、国際的な感覚を持ちにくいのも事実ですね。例えば、世界の川は複数の国にまたがっていて、上流の国と下流の国とで紛争になることが多いことは世界の常識です。でも日本にいると、このようなことに気付きにくい。アフリカの地図を見せながら、なぜ国境が直線なのかを考えてもらう。そのような授業で、国際的な視点を養うことも大事だと思います。
髙宮 最近は中学高校でも、海外研修プログラムを取り入れたり、留学したりする子どもが増えています。
伊藤 素晴らしいことだと思います。本当は日本にもっと海外の優れた研究者や教員を呼べればよいのですが、財政的に難しい現実があります。ですから当面は、一人でも多くの若者に海外で学び、世界を知ってほしいと思っています。いずれにしろ日本の教育は、もっともっと国際化を徹底する必要があります。
髙宮 最後に、教育が多様化するなか、子どもの進路で悩まれている保護者へのアドバイスをお願いします。
伊藤 まずはお子さんの独立自尊を認め、自分たちの価値観を一方的に押しつけないことが大事です。そのうえで、お子さんの個性が伸び伸び育つ環境を、お子さんとともに考え、選んでいただきたいと思います。