日本が世界に誇るマニュファクチュール、グランドセイコー。AERA STYLE MAGAZINE WEB編集長兼エグゼクティブエディターで服飾評論家の山本晃弘が、日本の戦後服飾史を振り返りながら、グランドセイコーの足跡も辿っていく。

「もはや戦後ではない」と、1956年度の経済白書に記されたフレーズが示唆するように、日本も次の時代に向けて大きな一歩を踏み出します。1959年には、就業者における、いわゆるサラリーマンの割合が51.9%となり、時代の主役に。それに応えるようにファッションも変遷。同年に大丸が手掛けた百貨店初のプライベートブランド「トロージャン」が登場、それまで注文服が主流のスーツが既製服として大衆化します。こうしたスーツを格好良くまとい、「ホワイトカラー」と呼ばれたサラリーマンは、なりたい職業のひとつになりました。
一方、男性ファッション誌「男の服飾読本」(婦人画報社/1954年創刊。1963年に『メンズクラブ』に改称)や、そこに関わった故・石津謙介が設立したブランド、ヴァンヂャケットが、アイビールックとしてアメリカ東海岸のスタイルを紹介。この服装に身を包み、銀座みゆき通りを闊歩した「みゆき族」が一世を風靡します。ここに大人の男性のためのカジュアルウェアマーケットが生まれ、好きなスタイルを装う楽しみが広まりました。
そうしたエポックの集大成ともいえる一大イベントが、1964年の東京五輪でしょう。ファッションの観点では、真っ赤なブレザーが話題になりました。この生地を調達した大同毛織(現ダイドーリミテッド)が自社ブランド「ニューヨーカー」を開始して人気を獲得するなど、ブレザーが仕事着としても一般化。サラリーマンが台頭したこの時代に、日本らしい働き方や装いが生まれ、近代化した日本の姿を世界に発信していくのです。
翌年に腕時計の輸入自由化を控えた1960年、「世界に通用する高精度で高品質な腕時計を作り出す」という意志のもと、「グランドセイコー」が誕生しました。
最大の特徴は、今日のグランドセイコーにも通じる「正確で」「見やすく」「美しい」という点。初代グランドセイコーに搭載したムーブメント「Cal.3180」は、特別調整を施すことで、精度を追い込むことに成功。当時のスイス・クロノメーター検査基準優秀級規格と同等の日差 −3〜+12秒を実現しました。デザインにおいては、優美なケースラインに簡潔かつ大型の針やインデックスがエレガンスさと実用性の融合を示しています。
こうしたグランドセイコーのものづくりの姿勢には、当時の日本人が好んだ働き方にも通じる部分があると感じます。それはすなわち、正確性や確実性、ミニマルを愛好する審美眼、丁寧さ、粘り強さといった要素。のちに続くサラリーマンと腕時計の密接な関係は、ここから始まったともいっても過言ではないでしょう。

1970年に大阪万博が開催され、1960年代後半からの国際化に拍車を掛けていきます。それを象徴するのが、1971年に登場したスーツのブランド、「ダーバン」です。TV番組「日曜ロードショー」のメインスポンサーとして、そのCMにフランスの人気俳優、アラン・ドロンを起用。イギリスの軽巡洋艦からとったその名とも相乗して、ダーバンのスーツがまとうヨーロッパ風のエレガンスに日本の男性たちが魅了されました。
一方で、この時代、高田賢三や菊池武夫などの優秀なファッションデザイナーが日本から世界に進出します。彼らの手がけた、いわゆるデザイナーズブランドが70年代ファッションのメインストリームに躍り出て、ヨーロッパに対する憧憬も深まっていきました。
以前、菊池先生に取材した際に、「多くの人が、憧れのサラリーマンになってはみたけれど、自分は会社のコマのひとつだと気付いてしまった。だったら、ショーケン(菊池武夫さんが手掛けたブランド、メンズビギの服をドラマ「傷だらけの天使」中で萩原健一さんが着用)みたいに、もっと自分らしくあろう、自由になろうと思ったのでは」という趣旨の話をされて、正鵠を射ていると感じました。確かに、こうした機運のなかでデザイナーズブランドに焦点が当たり、日本の男たちが、より国際的に、より個性的にファッションを楽しむように変わっていったのです。
こうした時代と前後するように、グランドセイコーの腕時計もまた自らのスタイルを構築していきます。今も根強い人気を保っている「44GS(通称:よんよんじーえす)」が、1967年に登場。当時の社内デザイナーが3つのデザイン方針と9つのデザイン要素を掲げて、現在のグランドセイコーにも受け継がれている「セイコースタイル」を確立します。
これら3つの方針を要約すると、1)使用するのは原則、平面と二次曲面のみ。2)ケース・ダイヤル・針において、極力平面の面積を多くとる。3)面は原則、鏡面仕上げに。という具合。9つのデザイン要素も同方針にのっとり、ケースデザインやインデックスのサイズ、針のカッティングなど、細かく規定されています。
こうして生まれた「44GS」は、今見ても古びないタイムレスな魅力をたたえています。光と影を巧みに用い、日本の美意識を投影したデザインは、当時、世界に伍する日本のサラリーマンのスーツスタイルにも似合う腕時計でありたいという強い思いもあったことでしょう。
それは、折しも、自らのスタイルに合わせてスーツを楽しみ始めた日本のサラリーマン同様に、グランドセイコーもまた自らのスタイルを見つけたという点に重なります。

70年代後半から80年代中ごろまでは文化的、服飾史的には地続きだったといえます。1975年には、「ミウラ&サンズ」(現シップス)が、1976年には、「ビームス」がオープンし、いわゆるセレクトショップ文化の萌芽が見られます。また同年には、メンズ雑誌「ポパイ」(平凡出版・現マガジンハウス)が創刊。当時聞かれた「ポパイ少年とJJガール」という言葉が表すとおり、若者文化の主流にアメリカンカジュアルが根づきます。そんななか、かつてアイビーを標榜した「メンズクラブ」は、ヘビーデューティーやプレッピーなど、時代の変化に応じた独自のスタイル構築を開始。一方で、日本人デザイナーが生み出すファッションがDCブランドとして発展。これらをまとった若者たちが、黒ずくめのスタイルを愛好したことから「カラス族」と呼ばれました。その後、80年代後半に訪れたいわゆるバブル期は、「ジョルジオ アルマーニ」のスーツに代表されるようにイタリアブランドが席巻。このように80年代中盤から後半にかけて、ファッションはさらに多様化を極めていきます。
そうした中で、クオーツウオッチの誕生を経た腕時計界もまた、ライフスタイルやファッションに呼応するように多様化。腕時計メーカーが新たな価値を模索し始めるのもこの時代です。

世界では、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦は解体。日本では、虚飾的だったバブル時代が終焉を迎えると、消費者のマインドとしては、実質的なクオリティーを求めていきました。
それを象徴するのが、90年代から始まったクラシコ・イタリアブームです。フィレンツェで行われたファッション展示会、ピッティ・イマジネ・ウォモから、品質のよいイタリアものの服飾品を日本に紹介した代表格ともいえるセレクトショップ「ユナイテッドアローズ」の1号店が、1990年に神宮前にオープン。当時、ピッティ会場の中央に構えていたのが、クラシコ・イタリア協会のブースだったといいます。イギリスの紳士服の下請けとしてその技術を培ってきたイタリアの名門ブランドたちが、自らの価値を高めるべく設立したのが1986年ですから、その良質な服が日本にも程なくして持ち込まれたというわけです。
職人の手によって作られた手の込んだ仕立てのスーツやジャケット、パンツ、靴、革製品などが、実質的なクオリティーを求め始めた日本の男たちにも支持されていきます。
腕時計も多様化の時代を経た1998年、グランドセイコーは新設計の機械式ムーブメント「9Sメカニカル」を搭載したモデル を発売します。一時休止したのち、先に復活を遂げていたブランドが、機械式腕時計の新たな価値を見出し、改めて「世界基準」を上回る腕時計作りを再開するのです。結果、平均日差 −3〜+5秒と、当時のクロノメーターの基準である平均日差 −4〜+6秒を上回ることに成功します。
クオーツウオッチの台頭により、コモディティ化していた腕時計に新たな価値を与えたともいえるでしょう。職人たちの丁寧な手仕事によって、品質が良く、長く愛用できる。このころ、支持を獲得し始めたクラシコ・イタリアのスーツの特徴と結果的に符合するかのように、機械式腕時計の価値を高めたグランドセイコーが、新たな時代の扉を開きました。

21世紀の幕開けで沸いた好景気も束の間、2008年にはリーマンショックを迎え、世界経済が不透明に。そうした中でも科学技術が発展し、とりわけITにおける通信技術の進歩が目を見張ります。徐々に、新しい時代の働き方が模索されていきます。
日本においては、2005年のクールビズ開始を皮切りに、ビジネススタイルに変革がもたらされ始めたのもこの時代。特に2011年の東日本大震災以降、エコロジカルやサステナブルといったキーワードを軸に、働き方や仕事着においても本質的なものを求める機運が高まりました。自転車通勤やリモートワークなど、よりストレスフリーに働こうという、今に通じる発想の原点は、この時代に生まれたのだと思います。
腕時計における技術の進化を語るうえで、セイコーが残した大きな功績のひとつが、スプリングドライブです。巻き上げたぜんまいがほどける力を電力に変換。その電力によって水晶振動子とICを駆動させ、歯車が回転する速度を調節するという画期的な機構です。セイコーが培ってきたクオーツ技術と機械式機構を高次元で融合させており、世界中の腕時計ファンの心を今でも掴んでいます。
この機構、実は、先の1999年には発表されていたのですが、効率の良い自動巻き機構と、約72時間のパワーリザーブなくしては、グランドセイコーにはふさわしくない、と自らに課した結果、それを実現し、2004年にグランドセイコーにてローンチ。そこに搭載された「9Rスプリングドライブ」は、グランドセイコーを代表する第三のムーブメントとなりました。
