広告特集
企画・制作 朝日新聞社メディアビジネス局
海の向こう、本場アメリカで
野球の歴史を塗り替えたイチローの
プロ野球選手としての挑戦は、
19年目の春に惜しまれつつ幕を下ろした。
私たちが初めて目にする
「プロ野球選手ではない」イチローは、
これからどこへ向かうのか、
ベースボールジャーナリストの
石田雄太さんが長年の取材活動のなかで聞いた
印象的な言葉と、
彼にたくさんの勇気をもらった
ファンたちの声から、
彼がこれから向かう先を考えてみたい。
Interview & Text / YUTA ISHIDA
1964年愛知県生まれ。青山学院大学文学部卒業。NHKディレクターを経て92年フリーに。日本でプレーしていたころから20年以上にわたりイチローを追いかけ、その時々の心情を語る言葉を書き留めてきた。著書に『イチロー・インタヴューズ』『大谷翔平 野球翔年I』『平成野球30年の30人』(いずれも文藝春秋)『イチローイズム』『桑田真澄ピッチャーズバイブル18』(いずれも集英社)など。現在、週刊ベースボールで「石田雄太の閃球眼」連載中。
挑戦の始まり
2001 2005
オリックス・ブルーウェーブでレギュラーとしてプレーした7年間、イチローはそのすべてのシーズンで首位打者のタイトルを獲得し続けた。それほど突出した存在のイチローだったが、彼はその結果に満足することはなかった。思うようなバッティングができていないのに結果だけが残ってしまう……そんな現状を打破するために、イチローはメジャーリーグに戦いの舞台を移そうと考えた。
ICHIRO
VOICE
─― なぜメジャーへ行きたいと思ったんですか。
迷い続けて、どん底にいる自分が必死になって探し求めていたものがなかなか見つからなかった。もがき苦しんでいた時、これは環境を変えるしかない、と思ったのです。とくに意識したのは、1996年の日米野球。彼らのスイングを見ていると、今の一打席をものすごく大事にしてバットを振っているように見えました。何の迷いもなく……自分のやりたいスタイルって本当はあんな感じだったのに、いつの間にか殻に入ってしまって、自分のことが小さく見えてしまってね。ああいう感覚を失っていたのだと思います。率直に、ああ、いいなぁと思いました。だからこそメジャーでは、今、あるものをぶつけたい。それでダメなら、それで良いんです。能力を出せずにダメだというのは、気持ちの良いものではないけれど、まずそこへ向かっていくことが大切で、それが無くては何も生まれません。
- 2001
-
アメリカン・リーグ、ナショナル・リーグを通じて最多得票で第72回 MLBオールスターに選出。
9月29日、シーズン234安打を記録し、ジョー・ジャクソンの新人シーズン最多安打記録(1900年以降)を90年ぶりに更新。
通算安打を242本としシーズンを終了。アメリカン・リーグMVPに輝く。新人王との同時受賞は史上2人目。この年は他に盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞も受賞。
- 2003
-
大リーグ史上3人目となる新人から3年連続の通算200本安打を達成。
- 2004
-
日米通算2000安打を達成した。日本人として史上最短、最年少となる1465試合、30歳212日での到達。
大リーグ史上初の新人から4年連続シーズン200安打を達成。
レンジャーズ戦で3安打を放ちシーズン通算259安打。1920年にジョージ・シスラーが記録したシーズン最多安打記録(257安打)を更新。シーズン最終戦で2安打、年間262安打を記録し3年ぶり2度目の首位打者に。
- 2005
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通算696試合目のフィリーズ戦で大リーグ通算1000安打に到達。
進化と深化
2006 2010
監督の王貞治に請われ、イチローは日本代表の選手としてプレーすることを決めた。世界16の国と地域が参加して、2006年3月に行われた第1回WBC――それは、初めてメジャーリーグのトッププレイヤーが参加する野球の国別対抗戦だった。一カ月をともにする29人と顔を合わせたイチローは、短期間でチームを成熟させなければならない難しさを実感した。イチローが日本を離れて5年、日本代表に選ばれた選手の半分とは初めての顔合わせだったのだ。
ICHIRO
VOICE
─― WBCで日の丸を背負うことを受け入れたのはなぜだったんですか。
野球人気を考えた時、プロ野球選手たちがどのような立ち居振る舞いをしているのか、ということはとても大事なことです。子どもたちに対しては、勝つだけではなく、カッコいいなぁと思ってもらえなければいけません。真摯に野球のことを考えている選手たちが集まって、そういうチームで勝てば、子どもたちが野球を向くきっかけになる可能性は十分にあると思いました。そんな舞台に選ばれることは名誉なことですし、それが世界一を決める舞台ならばなおさら出たかった。それがWBCに出場することを決めた理由です。今回、僕たちにはこの大会とシーズンの両方を闘い抜くことが求められました。その運命を、何かに試されていると思った人もいただろうし、何かに向かっていきたいと思い受け止めた人もいたかもしれません。いずれにしても、このメンバーは全員、WBCもシーズンも両立できる自信のある人たちだと思います。WBCに巡り会ったことは運命で、その運命を受け入れたのだから、このあとのシーズンがどうなろうと、それも含めて自分の力だと思える……そんな選手たちが集まった。だからこそ、(日本代表は)これだけいいチームになれたのではないでしょうか。
- 2006
-
ツインズ戦で3安打。日米通算2500安打を達成。
- 2007
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7年連続7回目のオールスター戦。史上初のランニング本塁打を放つなど3打数3安打の大活躍で、MVPに輝いた。
- 2008
-
レンジャーズ戦の1回に左前安打を放ち、日米通算3000安打を達成。
8年連続となるシーズン200安打を達成し、ウィリー・キーラー(オリオールズなどでプレー)が1894~1901年にマークした大リーグ記録に並ぶ。
- 2009
-
レンジャーズとのダブルヘッダー第2試合の第2打席に、遊撃内野安打を放ち、大リーグ新記録となる9年連続シーズン200安打を達成。
第2回WBC決勝戦延長10回の劇的なタイムリーで日本を連覇に導く。
- 2010
-
レンジャーズ戦の1回に二塁内野安打を放ち、日米通算3500安打に到達。
ブルージェイズ戦で2安打を放ち、自身が持つ大リーグ記録を更新する10年連続の200安打を達成。
変転の時
2011 2015
シーズン200安打が10年連続で途切れて、イチローには転機が訪れる。ヤンキース、そしてマーリンズへ。しかし年齢への先入観から次第に出番は減っていった。守備、走塁では変わらず高いレベルを保っていても、「チームに影響をもたらすことができるようになるには、守ること、走ることではなく、打つことでの結果が伴っていないと説得力を持てない」とイチローは言っていた。40歳を越えても心を折ることなく、イチローは戦い続けた。
ICHIRO
VOICE
─― イチロー選手の野球人生は、山を登ってきた感覚なのか、水平線を歩いてきた感覚なのか、どちらですか。
高いところへ向かって上っているのか、遠いところへ向かっているのかということでしょうか。少なくとも、山じゃない。だって、景色がすごくよくなった、なんてことは一度もないから。何かを成し遂げても、絶景だな、なんて感じたことがない。(メジャー3000本安打も)違った景色には見えても、上から見下ろしてる景色ではなかった。そうやって比べるなら、遠いところに向かっているのかな。でも、目的地が永久に見えない。だからしんどい。……でも、しんどいからこそできる、ということだってある。自分のすべてのエネルギーを注げるものが、僕にとっては野球なんです。だから、苦しみにも耐えられるし、そこに全力で向き合いたいと思えるんです。野球が楽しくてしょうがないという気持ちは、プロ野球選手をやめない限りは、出てこないのではないでしょうか。
- 2011
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アスレチックス戦で2安打。エドガー・マルティネスの持つシアトル マリナーズ球団最多安打記録を塗り替えるメジャー通算2248安打を放つ。
- 2012
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マリナーズから、ニューヨーク ヤンキースへ。
ヤンキース移籍後、初のアーチが大リーグ通算100号に。
- 2013
-
ブルージェイズ戦の1回に左前安打を放ち、日米通算4000安打に。
- 2014
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ブルージェイズ戦で4打数1安打。大リーグでの通算安打数を2782本とし、マリナーズなどで活躍したケン・グリフィー・ジュニアの記録を抜く。
レッドソックス戦で、日米通算21年連続の100安打を達成。
- 2015
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ヤンキースからフリーエージェントになり、マーリンズと1年契約。
ナショナルズ戦の8回に右前安打で出塁し、次打者の本塁打でホームイン。日米通算で1968得点となり王貞治の日本プロ野球記録を抜く。
オリオールズ戦で大リーグ通算2874安打。ベーブ・ルースを抜く。
そして明日へ
2016 2019
2019年3月21日、東京ドームでの試合後、イチローは言った。「今日のゲームを最後に現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」――日本で9年、メジャーで19年、積み重ねたヒットは4367本。イチローは「これからは草野球を楽しむ、そんな野球をやってみたいと思っています」と言って、嬉しそうに笑った。
ICHIRO
VOICE
─― 子どもたちがイチローさんのようになるには、どうしたらいいんですか。
「イチローのように」の定義が何なのかは分かりませんが、何かに向かっていく時、その時の自分の限界を少しだけ超える、そのことを続けて欲しいなと思います。僕は大好きな野球に早い段階で出会えた幸運がありますが、うまくいかない時や壁にぶつかった時、何かに試されていると思ってきました。楽な道と厳しい道の選択をする場合、できるだけ厳しい道を選んできました。そうして生きてきた結果、今の自分があると思うと、それぞれの人が自分なりにがんばることを続けていくと、「イチローのように」ではなく、もっと大きな可能性のある、それぞれの「自分らしく」ができるのではないでしょうか。
- 2016
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ブルワーズ戦の1回に二盗を決め、メジャー通算500盗塁を達成。
日米通算の安打数を4257本(日本1278本、米国2979本)とし、参考記録ながら、ピート・ローズの持つ大リーグ歴代最多4256安打を抜く。
ロッキーズ戦の7回、右越え三塁打を放ち、日本選手では初、大リーグ史上30人目となる通算3000安打を達成。
- 2017
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ナショナルズ戦の5回に代打で出場して中前安打を放ち日米通算5863塁打とし、王貞治の日本プロ野球記録を抜く。
- 2018
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1年契約でマリナーズに復帰。
- 2019
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開幕シリーズとなる東京ドームで行われたアスレチックス戦2試合に出場後、現役引退を発表。
明日へ、イチロー。
数々の記録を残してきたイチローだが、彼の発言をあらためて読み返すと、何かをやり遂げたという達成感を語る言葉が全くといっていいほどないことに気づく。思えば3月の引退会見でさえ、どこか途中経過報告のような軽快さと明るさがあった。だからこそ、私たちは彼をもっと見たくなる。明日はどこへ向かうのか、その姿を追いかけたくなる。
イチローという稀有な存在の「プロ選手期」は終わった。しかしこれからも彼が私たちにたくさんの夢を見せてくれることは間違いないだろう。今はただ、笑顔で去った彼の背中に拍手を贈りたい。
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いっしょに、明日のこと。Share the Future
私たちSMBC日興証券は、2001年からブランドパートナーとしてイチローさんを起用。
単なるCMキャラクターではなく、価値観や夢を共有する“パートナー”として
ともに歩んできたことは、私たちにとって大きな誇りです。
「大事なのは、一人ひとりが精いっぱい自分にできることをやる、
そういった姿勢ではないかと思います。
僕も自分にできることを精いっぱいやることで、
みなさんに何かを感じていただけたらとても嬉しく思います」
これは、当社が厳しい局面を迎え、社員が下を向きがちな時に
イチローさんが私たちに寄せてくれたビデオメッセージ。
時に強い荒波や向かい風にさらされるのは、イチローさんの野球人生も同じだったこと。
それでも常に前を向き、空の高みをたったひとりで飛び続けてきたこと。
今あらためてそれを思い返す時、彼の言葉はひときわ私たちの胸を打ちます。
イチローさんの一つひとつのプレーに私たちがどれほど勇気づけられたか、
「FAN’S MESSAGE」でご紹介した当社社員の言葉から、感じていただければ幸いです。
私たちはイチローさんとともに、これからもすべての人と企業の明日を応援していきます。
2001年11月21日(夕刊)
朝日新聞東京本社版
2004年10月2日(号外)
朝日新聞名古屋本社版
2007年7月11日(夕刊)
朝日新聞東京本社版
2010年9月24日(号外)
朝日新聞東京本社版
2013年8月22日(号外)
朝日新聞東京本社版
2016年8月8日(号外)
朝日新聞東京本社版
2019年3月22日(朝刊)
朝日新聞東京本社版