救命救急という現場から医療の未来を見据えて
救急科専門医 集中治療専門医
横川裕大さん
2011年3月に東日本大震災が起きた際、東北大学医学部で学んでいた横川裕大さん。医療ボランティアに参加する中で「1人でできることには限界がある」と実感したことから、「社会とつながり、常に誰もが安心して医療を受けられるシステムにしていく必要がある」と、その構築を目指す。
物事を論理的に組み立て解を導く面白さ
進路を考えるようになった際、5歳年上の姉が医師を目指していた影響で自身も医学部を目指すようになったという横川さん。「責任とやりがい」の大きさが、医師という職業を目指す大きな理由になったという。
「数学や物理が得意で、論理的に解を組み立てていき、答えを導き出すというのが面白くて好きでしたね。逆に英語や国語は苦手で、英語に関しては問題の数をこなして慣れること、国語に関してはできるだけ本や新聞などで日常的に文章に触れることを心がけていました。高3の夏まで部活をやっていたため、勉強は短期集中型、部活を引退してからグッと成績を伸ばしたという感じでした」
所属していた卓球部では、団体で関東大会にも出場したという横川さんは「仲間と力を合わせる大切さを学べたことと勉強とのメリハリをつけられたこと」が、部活動を続けたメリットだと振り返る。
通っていた塾の先生は「数式や物理の式を一つひとつ自分の言葉で説明させるタイプ」で、論理立てて考える、誰にでも伝わるような言葉で説明するという力が鍛えられたという。
「途中で論理の破綻(はたん)があったりすると『はい、次の人』みたいな先生だったので、数学であれば、必要条件なのか十分条件なのか、公式をここで使うと成り立つなどをすごく意識しながら学べました。組み立てたりクリエートしたりするのが好きだったので、そういった勉強の仕方が性に合っていたんだと思います」
医学部6年生の実習の際は「東北大学内だけではなく、いろいろな医療現場を見たい」と考え、複数の病院で実習を行った。
「自分が身を置いている場所ではない医療機関で、どのような治療が行われているのか、どんな疾患の患者さんが多いのかなど幅広く体験することで、いろいろな角度から物事を見て考える力をつけておきたいと考えていました。東北エリアだけではなく、関東、九州、ベトナムなど7カ所ほどの医療機関で実習したことは、今の仕事にも生きていると実感しています」
救急の現場から地域医療を考える
救急医療を専門に選んだ理由は「社会とのつながりを一番感じられると考えたから」だという。
「東日本大震災が起きた際、仙台で学んでいた私は、南三陸町の沿岸部に泊まり込んで医療ボランティアをしました。その際、1人でできることには限界があると大きな無力感を覚えたとともに、崩壊した医療システムを目の当たりにして、当たり前にあるべき医療のシステムの大切さを切実に感じました。ボランティアなどで一時的にその地域に入っている医療は、一定期間が過ぎてしまえばなくなってしまいます。地域には、そこに恒久的にあり続ける医療が必要です。地域医療のためには、医療従事者同士や医療機関同士が社会のシステムとしっかりと結びついていくことが欠かせないと思います。救急の現場に関わりながら、時代や地域にあったより良い医療システムの構築を目指したいと考えています」

よこかわ・ゆうた/2014年東北大学医学部卒業。21年東北大学大学院医学系研究科修士課程修了(公衆衛生学分野)。25年東北大学大学院医学系研究科博士課程修了(救急医療分野)。東北大学病院高度救命救急センター助教として救急の現場に従事する。22年には教育と研究、イノベーションを連携させ、循環していく共創の場を築くため株式会社CERCIT(サーキット)を設立。市民や医療従事者への研修や教育教材の開発なども手がける。




