京都府の丹後地方、日本三景の天橋立が真横から眺められるロケーションに建つ「Ma・RooTs(マ・ルート)」。認定こども園、特別養護老人ホーム、障害児(者)施設、宿泊できる福祉人材養成センター、カフェを備えた複合施設だ。ここの特徴は、福祉の分野の垣根をなくし、互いに交流が生まれるような活動や仕組みを活発に取り入れている点にある。こうしたいわば“ごちゃまぜ福祉”を提唱し、施設の設立に企画段階から携わったのが櫛田啓さんだ。
「この施設のもともとの目的は、京都府北部福祉人材養成システムの一環で、福祉の資格取得のための現場実習ができる施設を宮津市に造ることにありました。僕が参加する前から、福祉の複合施設を造ろうということは決まっていたのですが、それなら分野ごとの垣根を超えた“ごちゃまぜ福祉”で、もっと元気を創り出せないかと提案し、ソフト面を開発しました」
マ・ルートでは、それぞれの分野ごとの施設をつなぐ動線上に、大きなガラス窓から日が注ぐ、誰もが利用できるおしゃれなカフェスペースを作った。ここでは、健常者も障がい者も一緒に働いている。施設利用者の親族や地域の人も気軽に立ち寄りやすい雰囲気だ。認定こども園に通う子どもたちは、老人ホームのユニットへ遊びに行くこともある。
「もともと共生社会のあり方に興味がありました。超高齢化の日本で、介護される方も、そして高齢になっても働ける元気な方も増える。もう“箱(施設)”だけ造る入所型の福祉は、考え方を変えなきゃいけないだろうと。そう考えると、「ごちゃまぜ」は共生社会そのものです。マ・ルートは、子ども、大人、お年寄りといった世代に関わらず、また、疾患や障がいの有無に関わらず、全ての人に役割と出番がある“居場所”です」
櫛田さんも“ごちゃまぜ福祉”について学んでいたというが、実際に始めてみると、互いを認め合う力や支え合う心が養え、想像以上の相乗効果も生まれているという。
「やはり子どもが一番のコネクターですね。リハビリが嫌いなおじいさんが、仲良くなった子どもが会いに来ないのを心配して、自分で歩行器を使って会いに行こうとしていたんです。スタッフも驚いてね。それなら、リハビリではなく、子どもに会いに行くことで歩行訓練をしてみようと。するとおじいさんの要介護度が4から2まで下がりました」と櫛田さん。「これは利用者が身も心も元気になるばかりでなく、リハビリという考えで止まっていたスタッフの思考も変えました。利用者の生活に入り込んで、リハビリとは違うモチベーションを探してケアしていくことを学びとったようです」
櫛田さんは、社会福祉士で福祉全般の知識はあるが、主に児童福祉に携わってきた。その経験を生かし造ったのが、一軒家のような児童養護施「てらす峰夢(てらすほうむ)」だ。ここでは、親からの虐待など、様々な理由から家庭で生活できない心に傷を負った子どもたちが暮らしている。
「人数が多いと合宿所みたいになりがちです。しかし、子どもたちはここに訓練するためにやってくるわけではありません。普通の暮らしを求めている子どもたちには安心できる家庭的な環境が必要。そのため養育環境の小規模化へと移行するため、2018年に完成したのがてらす峰夢です」
ここで暮らす子どもたちが自慢できるような家にしたいと、デザインにもこだわった。1階には天井の高いリビング、2階にはしっかりプライベート空間が確保できる四つの子ども部屋がある。様々な子どもがいる中でアレルギーのある子も来るかもしれないと、内装や外装に天然の素材をふんだんに使用したのも特徴だ。
地域の人たちも、「てらす峰夢」の存在を歓迎してくれている。
「最初はいろいろな声もありましたが、積極的に地域と関わることで、理解してもらえるようになりました。てらす峰夢の道向こうにある乳児院の隣に住む一人暮らしのおじいさんは、建設当時は複雑な心境だったようですが、話してみるとさびしい思いもしていたようで、今では赤ちゃんの声を聞くだけで癒やされるといってくれるようになりました」。こちらから出向いて行くことが、これからの福祉には大事だと語る。
「僕たちの福祉の専門性は、実は隣近所の人が必要としているものだったりするんです。福祉と地域が重なる場をつくることで、今まですくい取れなかったニーズや悩みを気軽に聞ける機会も増えるはず。例えば子への虐待を減らすには、親を孤立させないことも大事です。けれど困っている人が相談センターに来るには、相当なエネルギーがいる。『ちょっとお茶しよう』と、気軽にちょっと立ち寄れるような環境に、たまたま福祉の専門職の人がいて、ちょっと頼ってみたら心地よかった。そういうハードルの低いところで、親の孤立を防ぐことが虐待防止にもつながります。子どもだけでなく、介護も障がいの分野も同じだと思います。福祉をひらくには、小さな声で発せられた悩みや相談を逃さずに受け取る仕組みや工夫が必要です。それを構築していくのが、今の僕の課題です」
マ・ルートやてらす峰夢を運営するみねやま福祉会は、櫛田さんの祖父、櫛田一郎氏が戦災孤児の受け入れを始め、乳児院を造ったことから始まった。今では、児童福祉事業、障がい福祉事業、高齢者福祉事業へと拡大し、宮津市に19の施設を運営。櫛田さんは、スタッフの働き方改革、そして福祉の人材育成にも力を注いでいる。特にスタッフの幸福追求とその共有は欠かせないという。
「考え方としてはシンプルです。不幸な人にケアされても、幸せにはならないと思うから。先ほどのリハビリが嫌いなおじいさんの話ではないですが、ケアには柔軟な思考も大切で、そのためには好奇心も働かせる必要もある。児童福祉の場でいっているのですが、『おいしいものを食べに行きなさい』と、そして『おいしかったら、今度は子どもたちと行きなさい』と。そうすると子どもたちの社会性も自然と身についていく。福祉の仕事は、こうしたスタッフの体験や日常の感動がとても貴重なんです。そのために、休日にはリフレッシュしてほしい。その楽しい思いをスタッフ同士で共有していくことも、職場の環境づくりには大切です。みねやま福祉会では、有給休暇も積極的に取るようにしていますし、育休も3年間認めています」
研修に来た学生にも、今後の福祉のビジョンを話すことが多いという。
「まずは福祉の仕事がしたいことが大前提です。この仕事のやりがいは、大変ではありますが、人の人生をよい方向に変えられること。目の前の人を幸せにできる仕事です。児童福祉では、深く傷ついた子と一生付き合っていく覚悟も必要です。うまくいかないこともある。でも、『俺の人生もわるくないと思えた』といってもらえたときは、この仕事をしていてよかったと心から思う。そのためには教科書だけではない、常に実践で自分も楽しみながら仕事をアップデートしていこうと話しています」
福祉業界の人材不足が叫ばれているが、櫛田さんは施設ではなく、もっと大きな範囲でこれからの福祉を考えている。それが地域の魅力や活性化にもつながるからだ。
「施設ということにこだわらずに考え方を広げれば、これからの福祉事業にはチャンスがあります。障がい者の就労や、高齢者の社会参画、子どもたちの社会体験などを自由な発想で変えていけば、一石二鳥といわず一石三鳥にもなると思います。例えば遊休農地の再生も、福祉が関われる要素があるはず」
一歩先を読みながら福祉の現場をシフトチェンジする。「求められる形によって変えられるのが福祉。守りの経営より、地域の経営のために」と櫛田さん。そうした福祉を一緒にやっていける人を求めているという。
PROFILE
くしだ・たすく/学生時代の夢はプロサッカー選手。卒業後は、仕事の傍ら中学や高校でコーチも務めた。家族とのキャンプが趣味で、場所は丹後の海が最高という。祖父が創設した社会福祉法人みねやま福祉会を支えながら、地元が元気になる新しい福祉のあり方を実践中。
私はもともと大学で臨床心理学を学んでいました。地元に帰って、学んだことが生かせる場所はないかと、選んだのが障がい者福祉の仕事でした。携わってみると、自分たちの工夫やアイデアが必要で、度量を試されている感じです。予想を超えたことも起こるので、経験を積むごとに自分の仕事のレベルが上がる感覚があるし、そうなれるようにと取り組んでいます。
マ・ルートに勤務してみて、ごちゃまぜ福祉に思うことは「可能性」です。利用者の方も、隔たれた空間での障がい者施設より、いろいろな人と接することで、自然と良い方向に変化しています。そういう意味で僕自身、「面白いな」という発見もあるし、スタッフや利用者を含めて、みんなでマ・ルートを作っているという実感があります。
エルダータウン(特別養護老人ホーム)に入居している利用者やご家族の困りごとの相談に乗ったり、アドバイスをしたりするのが主な仕事です。介護の仕事に就いたのは、都会から地元に帰ってきて、本当にすることがなくて……。みねやま福祉会の求人をたまたま見て、実習でお世話になったのがきっかけです。実習のときは、生温かい人の体に触るのも怖かった。けれど、「怖いことじゃなくて、ありがたいことだよ」と教えてもらって、「そういうことに携われるのか」と、捉え方も変わってこの道に進みました。
マ・ルートのごちゃまぜ福祉は、最初はとても違和感がありました。老人施設に子どもがいて、障がい者の方がいて、どうなんだろうと。でもよく考えたら、それが社会では当たり前のはずですよね。自分の中に、偏った考え方があったんだと気づきました。
介護は、特に資格がなくても始められる仕事です。でも「誰にでもできるけれど、誰にでもできる仕事じゃない」。その謎かけのような答えに、福祉の仕事の本質があるように僕は思っています。
もともと母が保育士で、短大のときに障がいのある子どもたちと関わるボランティアをしていたのをきっかけに、児童福祉関係の仕事に就きたいと思いました。みねやま福祉会で児童養護施設を担当して今年で11年目になります。
以前の担当施設は、1階が老人ホームで2階が児童擁護施設でした。子どもたちは、老人ホームの利用者さんが心のよりどころになっていましたね。宿題を頑張れない子が、おじいさんやおばあさんにいいところを見せようと思って、懸命に取り組んでいたりして。逆におじいさん、おばあさんも笑顔で接してくれて。子どもの心の健康には、ごちゃまぜ福祉の効果があるように思います。
てらす峰夢のような小規模な施設は、より子どもとの関係も深くて、気持ちに入り込むことができます。本当に親代わりの気持ちで、発達を伸ばしてあげたい、集団心理を働かせてあげたいと、日々の問題から一つひとつ丁寧に取り組んでいます。
将来の夢というか、希望は、やはり女性だと結婚して泊まりの勤務が難しい職員も出てきているなか、退所した子どもたちが会いに来てくれたときに迎えてあげられるように、できるだけ長く続けていけたらいいなと思っています。
認定こども園、特別養護老人ホーム、障害児(者)施設、福祉人材養成センターのある複合施設。一般の人も利用できるカフェを併設。年齢、疾病・障害の有無などの垣根をなくし、交流できる工夫がされている。
住所:〒626-0061京都府宮津市字波路716番地の3
TEL:0772-20-1150(代表)
一軒家のような施設で、家庭的な生活を通して子どもたちの心身の健やかな成長を支援。地域とも積極的に関わり、子どもも祭りなど自治会の催しにも参加し、良好な関係を築いている。
TEL:0772-62-1251