海外留学で身に付けたグローバル力で、めざすはメジャーV
鹿児島県のアスリート、女子アマゴルフの藤野蒼來(そら)選手(勇志国際高校1年)は2023年の世界ジュニアゴルフ選手権の日本代表に選ばれた実力の持ち主です。「将来はメジャーで勝ちたい」。そんな夢に向かって、25年2月までオーストラリアに留学。現地の大会で優勝を果たすなど、着実に歩みを進めています。
賞金女王に憧れ、ゴルフに打ち込んだ幼少期
ゴルフとの出合いは4歳の頃。ゴルフ観戦にも足を運んでいた父親、寛久さんの影響です。「ボールを打ってみたら、楽しいなあ、と思ったのが最初でした」。ゴルフをはじめてまもなく、大きな存在が現れます。日本のゴルフ界で快進撃を続けていたイ・ボミ選手です。寛久さんに連れられ、イ選手が出る試合の観戦に行くようになりました。
日本で2年連続賞金女王になったイ選手。ファンを大事にすることでも知られ、藤野選手が「ナイスバーディー」といった声援をおくると、気にかけてくれるようになりました。「それが励みになって、イ・ボミ選手みたいになりたい、と憧れる気持ちを抱くとともに真剣にゴルフに取り組むようになりました」
ゴルフが好きの一心 地元・桜島の声援が力に
いつも一生懸命な藤野選手を、寛久さんも全力で支えてきました。親子とも、やるからにはとことん、という性分です。小学校にあがる頃から大会から大会へと出場を続け、鹿児島から関西や北陸、関東まで、車中泊のできる自家用車を飛ばし、走行距離は年に6万から7万キロにも及んだそうです。大変厳しい日々でしたが、寛久さんはこう振り返ります。
「どんなに辛くても、弱音を吐くことはありませんでした。(藤野選手の)とにかくゴルフが好きだから、という思いが支えでした」
「年中忙しく過ごしていますが、桜島を見上げると、やっぱり鹿児島はいいなと感じます」
そんな大好きな地元のために、自分が活躍して良い成績を残すことで、鹿児島を元気づけたいと思い、明治安田「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。
海外留学の経験がゴルフアーとして大きな財産に
将来は世界で活躍したい、という夢を藤野選手はずっと抱いています。環境の異なる海外で試合経験を重ね、英語も習得したいという思いから24年1月、オーストラリアでの短期留学をスタート。25年2月の帰国まで、ホームステイをしながら現地の学校に通い、英語を学びました。
「最初の3ヵ月は、まるで喋れなかったので身振り手振りでなんとか乗り切りました。私立の中学で現地の学生と同じカリキュラムだったため、ついていくのに必死でしたが周りのサポートもあり、なんとか頑張れたと思います」と藤野選手。海外ならではのコースでゴルフも練習したことにより、英語・ゴルフ両面で自信が付いたと話します。
日本のコースとはまるで違う海外のコースを数多く経験することで、以前よりもコースマネジメントを深く考えるようになったという藤野選手。特に印象的だったのが、24年12月に開催された「グレッグノーマンジュニアマスターズ」です。4日間と長い日程の大会ながら見事優勝を果たしました。
「私は飛距離が出るタイプではないのですが、この大会は狭くてグリーンが小さかったんです。海外に多い“飛ばし屋”が有利なコースではなかったので、耐えるゴルフでじっくり順位を上げていき4日目に2位から逆転して優勝することができました」と藤野選手は振り返ります。
帰国後は新たな課題に向き合い、夢へ挑戦
帰国後は新たな課題に向き合いながら練習を続ける藤野選手。海外の選手達と対峙(たいじ)したことで、フィジカルの強さをより意識するようになったと話します。
「海外の選手はやはり体が強かったです。一緒にやってみて、ある程度飛距離を飛ばすことも重要だと思いました。ショットの精度を上げることはもちろん、フィジカルを強くすることを大きな課題ととらえて筋力トレーニングをしっかりやっていきたいです」
こうした前向きさ、粘り強さは幼い頃から一貫しています。「ずっとゴルフに打ち込んできましたけど、一度も本人が『やめたい』と言ったことはなかった」と寛久さん。「本人が続けるという限りは僕もサポートしたいです」
「将来はメジャーで活躍する」という夢をかなえるためにも、あと2年少々に迫ったプロテストでは一発合格をめざす藤野選手。「大会で良い結果を残すことも大事ですが、同じくらい体づくりを重視したい。トレーニングはもちろん、食事を見直して土台を作る1年にしたいです」と、25年の目標を語ってくれました。
10代での海外経験は、ゴルファーとしてだけでなく人間としても貴重な財産。大きな夢に向かって、藤野選手は日々努力をとことん続けていきます。
(編集:4years.)