夢舞台の先に見えた新たな“道標”、再び頂点をめざす旅へ
福岡県のアスリート、ボクシングの原田周大選手(大橋ボクシングジム)は、2024年にフランスで開催された4年に1度の大舞台に出場した、日本を代表するボクサー。最高峰の舞台での経験を糧に、新たな目標に向かって走り出した原田選手。人間としても一回り大きくなったと語る彼の夢は、もはや自分一人だけのものではありません。
サッカー少年が夢中になったボクシングの世界
原田選手がボクシングをはじめたのは小学生のとき、兄の影響で北九州市にあるHKスポーツボクシングジムに足を運んだのがきっかけでした。グローブをつけて3ヵ月が経った頃、はじめてのスパーリングに挑戦したときのことは、今でも覚えているそうです。
最初は怖かったのに徐々に手が出るようになり、普段は滅多に褒めない桑原秀彦会長から「頑張ったな」と声をかけてもらったことは、当時サッカー少年だった原田選手が、ボクシングにのめり込んでいくきっかけになりました。
北九州市の豊国学園高校では、2年の春に全国高校選抜大会で3位、3年の夏にはインターハイで全国3位、そして福岡代表として出場した茨城国体では準優勝と全国大会で多くの実績を残しました。杉本幸夫監督の指導はもちろん、全国2冠を達成した2学年上の川谷剛史選手からも大きな影響を受け、常に謙虚で周囲に感謝する気持ちを持つ大切さを学び、人間的にも成長しました。
海外遠征で危機感、練習の質も量も意識を上に
高校卒業後、上京して専修大学でボクシングに打ち込んだ原田選手。24年シーズンは、これまでの人生の中でも1番といえるほど大きな転機の年でした。その転機とはもちろん、多くのアスリートが目標にする4年に1度の夢舞台。23年10月に開催された杭州アジア競技大会で準優勝に輝き出場権を獲得。目標だったこの大会は、これまでの試合とはまるで雰囲気が違っていたと話します。
「いつもであれば、緊張感が漂うなか入場するのですが、あの舞台はまるでお祭りのようでした。入場がとても気持ち良くて楽しく、そしてノビノビと試合をできました」と振り返る原田選手。この夢舞台をイメージしながら練習をしていたからか、いつもなら考えながら試合を行なうところ、スムーズに体が動いたのだそう。
しかし、結果は準々決勝での敗退。目標としていた金メダルには一歩及びませんでした。
「自分は足を使って距離をとるボクシングが持ち味ですが、相手はジリジリ距離を詰めてくるタイプ。我慢しきれずに相手の距離感で試合を進めてしまったのが敗因だと思います。その点は、自分の心の弱さが出てしまったし、相手が上手だったのだと思います」と、悔しい敗戦ながらも冷静に試合を分析してくれました。
井上選手とのスパークリングで得た手応え
夢舞台での試合を終え、24年11月からは名だたるプロボクサーたちが在籍する大橋ジムと契約をすることになった原田選手。アマチュアボクサーとしては異例の契約なのだそう。そんな中、同ジムに所属する世界チャンピオン・井上尚弥選手とのスパーリングという大きな経験もしました。
「井上選手の次の試合相手のスタイルが自分に似ていたということで、スパーリング相手に指名していただきました。スパーリングでもけがをする選手がいると聞いていたため、最初はすごく怖かったのですが、とても良い経験になりました」と話す原田選手。世界トップレベルの選手と渡り合えたことで確かな手応えを感じたことに加え、井上選手から「自分の距離感で戦った方がいいよ」というアドバイスをもらったことで、自分の感覚は間違っていなかったんだなと再認識することができました。
自分だけではなく、子ども達の夢も背負う覚悟
競技活動を続ける上で、「自分の人生を支えてくれている仲間や恩師がいる地元に、ボクシングを通じて何か恩返しがしたい」と考えるようになった原田選手。21年の全日本選手権で優勝した後、実家に帰省したときに、恩師の一人であるHKスポーツボクシングジムの桑原秀彦会長から、明治安田「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらいました。世界に出て結果を残すことで北九州を盛り上げていけたらと思い、プログラムへの参加を決めました。
「生まれ育った地元とのつながりは切っても切り離せません。北九州には、僕の人生のほぼすべてが詰まっています」と原田選手。また、最近では地元の子ども達から声をかけられることも多く、その声援が力になっています。「応援してくれるキッズの子達に対して、かっこいい姿でありたいと思います。自分の姿を見てボクシングをはじめてくれるなど競技に興味をもってくれたらうれしいですし、その子たちの夢も自分が背負っていかなければという自覚を持つようになりました」と、心境の変化を語ってくれました。
ボクシングで行き詰まったときには、仲間たちと自転車で40分ほど走り、カルスト台地が広がる平尾台でよく星空を眺めているそうです。北九州市内を一望できるポイントがあり、そこから見る夜景はすごくきれいで、いつでも行きたくなる場所だといいます。
新たな階級に適応し、日本選手権で返り咲く
新たなステージに向かう原田選手ですが、25年4月に行なわれた日本代表決定戦では若手選手にまさかの敗北を喫しました。
「今年からの新階級に合わせて2kgの減量が必要でしたが、うまくアジャストできませんでした。階級の変更はアマチュアボクシングではよくあることなので、今後はしっかり対応していきたいですし、相手が強く実力も出せませんでした」と原田選手。チャレンジャーから、“追われる身”になった難しさもあるといいます。
25年の目標は、11月の日本選手権で王座に返り咲くこと。もちろん、28年に開催予定の“夢舞台”では、今回果たせなかった金メダルを再びめざします。
地道な努力を重ねてたどり着いた夢舞台のその先へ。地元のサポートに感謝の気持ちを抱きながら、原田選手はこれからも世界のリングに立ち続けます。
(編集:4years.)