活躍で故郷・駒ケ根に恩返しを チーム、個人で高みをめざすラストイヤー
長野県のアスリート陸上(長距離)の伊藤大志(たいし)選手(早稲田大学4年)は、トラッレースや駅伝で活躍しています。2024年は早稲田大学競走部の駅伝主将にも就任。「世代トップ」と言われながら、思いどおりに走れない苦しみも味わったと言います。乗り越えた今は、個人としても、チームとしても高みをめざす日々が続きます。
「楽しい」からはじめた陸上 一躍注目選手に
木曽駒ケ岳のふもと、駒ケ根市で生まれ育った伊藤選手。小学校2年のときに入ったのが地域の陸上少年団でした。「走るのはすごく楽しかったです。単純な動きの中でもいろんな発見がありました」
中学は赤穂中学校へ。クロスカントリーのようなコースや坂での練習も行ない、仲間とともに切磋琢磨。入学した年は「県内で20位以内」をめざしており、3年では全国中学校駅伝大会出場まであと一歩というところまで迫りました。
卒業後は、陸上の名門・佐久長聖高校に進学。高校2年の5000mで13分59秒76を出し、全国から注目されました。ひと学年先輩の鈴木芽吹選手(現・トヨタ自動車)も13分台をマーク。全国でも、13分台の記録を持つ選手が2人いる高校は限られており、「自分と芽吹さんがいれば、都大路(全国高校駅伝競走大会)で優勝できるかもしれない!」と思っていました。
悔しさ、苦しさが自分を成長させてくれた
しかし、都大路で3区を走った伊藤選手は、区間18位でチームの順位を落としてしまいます。「自分の力を過信していました。13分台を持っているから、自分のペースを守れば勝てるだろうと……」。チーム3位という結果に大泣きしました。
「陸上であんなに悔しい経験は最初で最後だと思います。そこから、『どの試合でも勝ちたい』と思うようになりました」。さらに走りを磨き、高3では5000mで13分36秒57の当時高校歴代2位の記録をマーク。「世代トップ」の看板を背負って早稲田大学に入学しました。
「すごい新入生が来た」とチーム内外で「別格扱い」された伊藤選手。ですが、環境とともに練習も変わり、思うように走れないことに苦しみました。「今思うと、環境が変わったから自分の走りができないのは当たり前なのに、一番よかったときと比較して、『前はこう走れたのに……』と足かせにしていました。大学で一番苦しい時期でした」
そんなとき、一緒に練習をしていた先輩から「今の自分ができる一番のパフォーマンスをするだけでいいんじゃないの?」と言われ、ハッとしたといいます。大学2年の箱根駅伝では、「自分のベストパフォーマンスをすればいい」と5区を走ったところ、区間6位の好走。「そのときから道筋が見えはじめました。先輩の言葉は今でも大事にしています」と話します。
自然がいっぱいの駒ケ根をもっと知ってほしい
明治安田「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけは、長年、取材してくれている地元紙の記者からの紹介でした。「大学で競技をしていると、帰省するのも年1、2回になってしまうんですが、地元に恩返しをしたいとずっと考えていました。僕が活躍することで、駒ケ根市をもっと知ってもらえるようアピールしたいと考えて応募を決めました」
駒ケ根市の魅力は、自然の豊かさ。空気もきれいで、帰省の度に伊藤選手もリフレッシュしています。「自然に触れたい方はぜひ来ていただきたいです」
地元の名物はソースカツ丼で、市内にはソースやカツの揚げ方などで独自に工夫を凝らした店が点在。帰省したときには、幼なじみの家が営むお店に行くそうです。
コツコツと結果を出し、物おじしない自分に
駅伝主将を務める伊藤選手。チームとしては「出雲駅伝5位、全日本大学駅伝3位、箱根駅伝3位」をめざしています。個人では、6月の全日本大学駅伝対校選手権大会選考会で10000mに、日本陸上競技選手権大会でも5000mにそれぞれ出場しました。
ただ、中長期的な目標は「ちょっとぼやけてきてしまったんです」と明かします。ニューヨークシティハーフマラソンで11位に終わり世界のレベルを実感。それゆえに「軽はずみな気持ちで『世界をめざす』と言えなくなってきました」と口にします。
世界最高峰の大会をめざす気持ちはあります。ただ、今は、目の前のことを大事にしようと考えています。「結果を出せば出すほど、世界も近づくと思うので。今できることをただひたすらやって、物おじしない自分をつくりたいです」。レースで勝ち切ることをテーマに、大学ラストイヤーに臨みます。
故郷への思い胸に、さらに大きく成長しようとする伊藤選手。「この活動を通して、地元に寄り添い、多くの人と関わりたいです」。たくさんの応援が彼のパワーになってくれます。
(取材・制作:4years.)