第2の故郷・旭川から、世界へ 陸上・中距離にかける
北海道のアスリート、陸上(中距離)の木田美緒莉選手(順天堂大学1年)は、千歳市で育ち、高校進学を機に旭川市へ。環境の変化やけがによる挫折を乗り越え、U20日本陸上競技選手権大会1500mで優勝しました。「第2の故郷」旭川への思いとともに、世界を見据える挑戦について聞きました。
兄の背中を追って始まった競技人生
木田選手が陸上競技をはじめたきっかけは、5歳年上の兄の存在でした。兄が参加していたスポーツ少年団の練習についていくうちに、自然と自分も走るようになり、小学1年生から「気がついたら陸上をやっていました」と振り返ります。
最初はマラソン大会などのロードレースに出場し、勝つことが「楽しくて、うれしくて仕方なかった」といいます。小学3年以降はトラック競技にも取組み、道内各地の大会を経験。勝つ喜びも、負ける悔しさも味わいながら、「もっと走りたい」という気持ちが次第に強くなっていきました。
小学生の高学年まで短距離と長距離の両方を経験する中で、中距離、特に800mに強く引かれるようになります。
800mは陸上競技のなかでも「最も過酷な種目」と言われます。ほぼ全力疾走に近いペースで2分~2分半走るからです。それでも木田選手は「短距離よりも勝てていたし、何より走っていて楽しかったんです」といいます。スピードと持久力の両方が求められる中距離が、自分に合っていると感じた瞬間でした。
環境の変化と停滞を乗り越えて
中学卒業後、木田選手は競技環境を求めて旭川龍谷高校へ進学します。生まれ育った千歳市を離れ、1年目は寮生活を送りました。環境の変化の影響もあり、原因不明の高熱が続くなど体調不良に悩まされます。
さらに体調不良に加えて、足首を負傷してしまいます。全国高校駅伝を走ることができず、大きな挫折を味わいました。「中学時代に結果を出せていた分、焦りはありました」。それでも監督から「焦らなくていい」と声をかけられ、信じて待ってもらえたことで、安心して競技に向き合うことができたといいます。
苦しい時期を支えてくれたのは、寮の先輩や家族の存在でした。「先輩や同期に話を聞いてもらいながら、なんとか乗り越えました」。また、治療やリハビリでは、旭川市内の整骨院に通いながら、できるトレーニングを積み重ねました。
この経験から、故障を防ぐための自己管理の重要性を強く意識し、「食事・睡眠・ケアを徹底する」ことを日常の基本にしています。
第2の故郷・旭川と、世界への挑戦
高校2年目以降は、両親が転勤で旭川に移り住み、生活面・精神面の安定を取り戻していきました。1500mに取組みはじめたのも、高校2年生からです。
同種目の北海道高校記録を更新し、インターハイに挑みましたが、結果は予選落ち。「来年は必ず入賞してみせる」。この悔しさが、1500mへの本格的な挑戦を後押ししました。
環境が落ち着き、少しずつ調子を上げる中で、旭川市は木田選手にとって「第2の故郷」になっていきます。
朝や午後のジョギング中、河川敷や競技場周辺で「頑張って」と声をかけられることも多く、「すごく励まされました」と振り返ります。高校で目標としていた記録を出せたのも、この街の環境と声援があったからこそだと感じています。
今回の明治安田「地元アスリート応援プログラム」への応募も、「旭川の皆さんに恩返しがしたい」という思いが原点でした。「自分の挑戦が旭川市への貢献につながるのであれば」と応募しました。
木田選手の強みは、レース終盤のスプリント力です。「ラスト100メートルの勝負には自信があります」。ペースを抑え、最後で一気に勝負をかける走りが持ち味です。
一方で持久力は課題と捉えています。「故障をして練習ができないのが一番やってはいけないこと」と、けがをしないことを最優先に、着実な積み上げを続けています。
順天堂大学へ進学し、今後はインカレや日本選手権での上位入賞、U20日本代表選出を目標に掲げています。その先に見据えるのは、学生の国際大会、そして4年に1度ある世界最高峰の舞台です。旭川への感謝を胸に、木田選手はさらなる高みをめざし、走り続けます。
(編集:4years.)
アスリート情報
北海道
陸上(中距離)
木田 美緒莉
きだ みおり
貢献したい地元:北海道旭川市
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