初の海外遠征を経験 学生日本一からプロの高みをめざす
大阪府のアスリート、男子ゴルフの小林匠選手(大阪学院大学3年)は、大学入学初年度の2023年には早くも学生日本一に輝きました。24年はナショナルチームに所属、初の海外遠征を経験するなど順調なキャリアのようにみえますが、実は平坦(へいたん)な歩みではありませんでした。その物語は「時間との戦い」のように映ります。
負けず嫌いの心に火 できないからこそ熱中
クラブをはじめて握ったのは小学4年の頃。決して早いとはいえないスタートでした。
「スポーツは得意で、野球やサッカーも全般的にできた」と言う少年を魅了したのは、さらに小さなボール。父と行ったゴルフ練習場で試してみたものの、“ヒット”できなかったのです。
「負けず嫌いなので、止まっているボールに当たらないなんて悔しいという思いが先に立ち、『やってやるぞ』とゴルフをはじめました」
中学校ではゴルフの体力づくりのため陸上部に入り、放課後2時間ほど陸上部の練習に取り組み、終わった足でゴルフ練習場へ。努力のおかげで全国大会は身近になりましたが、「上位で戦えるレベルではありませんでした」。そこで、強豪である大阪学院大学高校を志しました。
「親は『行きたかったら実績を積んで特待生として行ってくれ』と」。鍛錬に明け暮れた当時の日々を「友達と遊んだことは数えるほどしかない」と振り返ります。その結果、地域の大会で上位に進出できるようになり、名門への入学がかないました。
リハビリ中より強く感じた、地元の愛情に感謝
期待に満ちた高校生活のはずでしたが、1年の冬にアクシデントに襲われます。「飛距離を伸ばそうとトレーニングをしていたら、腰がパキッと」。診断は腰椎(ようつい)の疲労骨折。京都府内の実家からの通学は片道2時間弱、睡眠は3、4時間という日々に、体が悲鳴をあげたのかもしれません。半年ほど、ゴルフから離れる日々を強いられました。
つらい時間でしたが、学校がある吹田市内のスポーツ医療専門の病院で、“地元”の愛情に触れました。週3回通うリハビリで、「同じけがをしている方とは『お互い頑張ろう』と話し、先生からは『しっかり治して、試合に出られたらいいね』と応援をいただくなど、すごく力になりました」
地元の支援を得られる明治安田「地元アスリート応援プログラム」は、大学の監督に教えてもらって参加したそうです。同じ近畿でも地域ごとに気質は違い、京都府出身の小林選手ですが「京都の人とテンションも違うし、(吹田の人は)話しやすい気がします」と、吹田の特長と温かさを語ります。
24年には明治安田大阪北支社が開催するゴルフ会に参加。「イベントに参加するのははじめてでしたが、ゴルフ好きの方ばかりで楽しく、応援の声も多く励みになりました」と小林選手。イベント参加者に自身の目標を聞かれ、より目標が明確なものになったとも教えてくれました。
学生日本一から更なる高みへ!プロへ挑む
高校2年となりドクターストップが解けた1週間後、コルセットを巻きながら出た関西ジュニアゴルフ選手権で、全国大会出場をつかみとりました。さらに翌年の関西ジュニアでは優勝。その延長線上に学生日本一が待っていました。24年はナショナルチームに所属していたこともあり、多くの遠征も経験。1月と3月に訪れた初の海外となるオーストラリアは環境の違いに戸惑うことも多かったのだそう。
「芝の質の違いに慣れるまでかなり時間がかかりましたね。冬の時期に、30度前後という暑い気候にアジャストするのも時間がかかりましたけど、こういう経験を多く積んでいきたいです」と語ります。
一方、高みをめざす上で行なったスイング改造が裏目にでてしまいシーズン前半は成績を落としてしまう場面もありました。
「元々弾道が低いタイプだったので、スイング改造を試みました。しかし自分に合ったスイングにならず、元に戻そうとしてもなかなかできませんでした」と小林選手。
自らの基盤とルーティンを取り戻すことに注力した結果、11月に開催された日本学生ゴルフ王座決定戦では見事優勝を果たしました。「自分の大事にしていたスイングを見つめ直す時間ができたことで、調子が上向きました」とスランプを乗り越えての優勝に、喜びを語ってくれました。
25年の目標は7月に開催される日本アマチュアゴルフ選手権で優勝すること。そしてプロ試験に合格し、プロとして活躍することです。
「応援されるゴルファーになりたいのはもちろんですが、見ていて釘付けになるような魅力的な選手になりたいです」と語る小林選手。京都始発、吹田経由、未来行き。小林選手の線路は、大きな夢へとつながっています。
(編集:4years.)