スポーツクライミングの奥深さを追求し、世界で活躍して魅力を広めたい
埼玉県のアスリート、スポーツクライミングの小池はな選手(日本大学1年)は5歳で競技に魅了されて以来、人工壁を登ることに打ち込んできました。小学6年のときに日本選手権のリードで8位に入り、高校2年でワールドカップに初参戦。世界での活躍を見据えるとともに、育ててくれた地元への恩返しの気持ちを大切にしています。
小学生の頃は週5で地元・川口市のジムへ
幼い頃から体を動かすことが大好きだった小池選手は、2歳のときにはジャングルジムで遊んでいました。競技との出合いは5歳の夏休み。「両親が何か運動をさせたいと、スポーツクライミングができるジムを探してくれました」と振り返ります。
すぐにスポーツクライミングに夢中になり、小学生の頃は母親に送迎してもらう形で、週に5回はジムに通っていたそうです。小学6年のときは年齢別のカテゴリーがない日本選手権で決勝に進出。「自信になりましたし、ますますスポーツクライミングが好きになりました」と競技にのめり込みました。
スポーツクライミングには「リード」「ボルダー」「スピード」の3種目があります。小池選手は12m以上の壁のどの地点まで登れるかを競う「リード」と、高さ5m以上の壁をいくつ登れるかを競う「ボルダー」を行なっています。
小学生の頃から大事な大会でも、緊張して力を発揮できなかったことはありませんでした。「父から『緊張しなければはじまらない』と教わってきました。緊張は決してマイナスではなく、それだけ気持ちが試合に向いていることだととらえています」
祖母のギョーザを力に 地元川口に恩返しを
中学2年で世界ユース選手権に初出場し、高校2年のときにはじめてワールドカップの舞台に立ちました。その大舞台の経験で、もっと世界で積極的に戦っていかなくてはと思ったそうです。世界で戦うには、多額の遠征費用が必要になります。また国内遠征でも、旅費や宿泊費が発生します。
そこで、日本山岳・スポーツクライミング協会から紹介を受けた明治安田「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。小池選手は「金銭的な負担をサポートしていただきたいという思いと、自分の愛着のある地元・川口に恩返しをしたい気持ちがあります」と語ります。
地元の埼玉県川口市ですぐに思い浮かぶのは、5歳の頃から通うクライミングジム「PUMP1 KAWAGUCHI」です。「幅広い年齢層の方がいるジムの仲間は家族のような存在でした。大会に出るようになってからは『応援しているよ』と温かい言葉をかけてもらい、それが力になっていました」と表情を緩めます。
家族の支えもありました。小池選手は祖母がつくってくれるギョーザが大好きで、大会前日や海外遠征の出発前に必ず食べるそうです。「祖母は具をたくさん詰めてくれて、一つが大きいのですが、毎回10個は平らげます」と大会に向けて気持ちを高めています。
けがから復帰したときは、以前より心技体で強く
スポーツクライミングは全身を使うスポーツです。ダイナミックに登る小池選手のスタイルは体への負荷が大きく、どうしてもけがが増えてしまいます。
2022年のワールドカップシーズンでは、2大会目を1週間後に控えたときに足首を捻挫してしまいました。「腱(けん)や筋が伸びきってしまい、そのシーズンを棒に振ってしまいました」と無念そうに振り返ります。高校3年の冬には肩を脱臼し、その後の大会に出場することができませんでした。それでも「けがから復帰したときは、けがをする前よりも心技体で強くなっていたいです」と前向きです。
将来的にはワールドカップや、28年にアメリカで行なわれる世界大会などで好成績を残し、年間チャンピオンになることが目標です。「やるほどに奥の深さを感じるスポーツクライミングを追求し続けていきます」と小池選手は前だけを見据えます。めざす選手は野中生萌選手。「クライミングスタイルや人柄、全てが憧れです。野中さんのような世界的な選手になりたいです」
競技の魅力をもっと多くの人に広めたい
スポーツクライミングは、21年に東京で開催された世界最高峰の大会で正式種目に採用され、これを機に競技人口が増えてきました。小池選手には、自分が世界で活躍することで、競技の魅力をもっと多くの人に広めたい、そして、お世話になった地元・川口市の人たちに笑顔を届けたいという強い思いがあります。
現在、課題としているのはフィジカル面です。けがに負けない体をつくりつつ、競技に対する視野を広げながら、日々成長していきます。
(取材・制作:4years.)
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