埼玉・加須からグランドスラムへ フォアとボレーを武器に挑む
埼玉県のアスリート、女子テニスの光崎楓奈選手は、世界四大大会(グランドスラム)での活躍をめざしています。練習拠点の加須市は、出身地の愛知県一宮市と「のどかな雰囲気が似ていて、落ち着きます」と感じています。期待のホープは、周囲の人たちの支えに感謝しながら、夢を追い求めています。
テニス1本で戦っていく決意
光崎選手は5歳のとき、友達に誘われて地元のテニススクールに通いはじめました。小学2年の秋にはじめて全日本選手権をテレビで見て、「私もこの舞台で戦いたいと感じて、本格的にテニスに打ち込むようになった」そうです。それからの練習はほぼ毎日。6年になると、全国大会で2度、準優勝に輝くなど結果を残しました。
全国区で活躍した中学時代を経て、通信制の高校に進んだのも「テニス1本で頑張りたかったから」です。16歳で全日本ジュニア選手権シングルスを制し、17歳で世界スーパージュニア選手権ダブルス優勝。「タイトルも取れて、少しずつ上のレベルに上がっていけた気がします」と、自身の成長に確かな手応えがありました。
2年前から練習拠点を加須市へ
2024年12月から明治安田の補強選手として日本リーグに出場した光崎選手は、テニス部の田元龍馬監督から「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらいました。
「地元を盛り上げるというプログラムの目的がすごくいいなと。心機一転と考えて2年ほど前に引っ越してきた埼玉で、テニスを好きになってもらえるようなイベントができたら、という思いもあります」
練習拠点である加須市の「むさしの村ローンテニスクラブ」へ通うようになった当初、光崎選手は「田んぼが多くてのどかな雰囲気が、自分の生まれ育った町に似ているのが印象的でした」と言います。今では、長い遠征から帰ったときに落ち着ける場所になっています。
おすすめグルメは肉汁うどん
加須市は、コシが強くのど越しが良い加須うどんが有名です。光崎選手も「練習後にみんなでよく行くお店があって、私は肉汁うどんがお気に入りです。つけそばのように食べるうどんがあることをはじめて知りました」と笑顔で話します。
また、加須市はかつて生産量日本一だったことから「こいのぼりのまち」で有名です。光崎選手は24年5月、利根川河川敷をトレーニングで走っていたとき、「全長100メートルぐらいのジャンボこいのぼりが空を泳いでいるのを見て驚いた」そうです。それは加須市民平和祭で、「屋台などもたくさん出ていて楽しそうだった。来年また時間があれば見に行きたいです」とのこと。さらに、むさしの村ローンテニスクラブの隣にある遊園地では、春になると桜がきれいに咲き誇ります。25年も満開の桜を見られたことに大満足の光崎選手でした。
前向きなメンタリティーで乗り越えた挫折
25年3月の試合中にひざを痛め、5月に手術を受けました。19年にプロに転向した後も厳しい世界で一歩ずつ前進を続けてきた光崎選手にとって、はじめての挫折だったかもしれません。しかし、武正真一コーチたちからは「無理しないように」と励まされ、家族からは「今までできなかったことやこの時期にしかできないことをやればいい」と温かい声をかけてもらいました。
それに何より、物事を前向きに捉えられるメンタリティーが自身を支える力になっています。「高校生の頃までは試合で負けると、すぐに落ち込んでネガティブな考えばかりしていました。でも、拠点を埼玉に移してからは楽しくテニスができるようになって、うまくいかなくても『次にどうするか』とポジティブに考えられるようになりました」
本格復帰目前の光崎選手は、心身ともにさらに強くなってコートに戻ってくるはずです。
夢はウィンブルドン優勝
小学3年から描く「ウィンブルドンで優勝する」という夢は今も変わりません。「グランドスラムで活躍できる選手になりたい」とも語り、その実現のためには、現在594位(4月14日時点)の世界ランキングをさらに上げていく必要があります。
周囲の人や「地元アスリート応援プログラム」で支援してくれる人たちのためにも、これまで以上に真摯にテニスに向き合うつもりです。
「テニスクラブやスポンサーのみなさま、家族には感謝してもしきれないぐらいお世話になっているので、もっともっと活躍できるように頑張りたいです。また、こういう機会をくださった明治安田のみなさんにも恩返しの意味を込めて良いニュースを届けたいですし、テニスのイベントなどにも参加させていただきたいです」
自らの強みを「毎日少しずつコツコツ努力できるところ」という光崎選手は、フォアハンドとボレーを武器にした攻撃的なテニスが魅力です。いつの日か緑鮮やかなウィンブルドンのコートに立てる日を心待ちにしています。
(編集:4years.)