ゴルフ界注目の新星 リベンジと新たな挑戦の2026年
福井県のアスリート、男子ゴルフの松山茉生選手は、現在、福井工業大学附属福井高校3年生ですが、すでにアマチュア日本一のタイトルも手にしています。日本ゴルフ協会のナショナルチームメンバーであり、プロトーナメントへの出場も経験しています。松山選手にとって2026年はさらにプロに近づくための1年となるはずです。
3歳からはじめたゴルフが楽しくなって
松山選手がゴルフにはじめて触れたのは、彼が3歳のときでした。父の練習についていき、「ゴルフをやったらお菓子をあげるよ」とか、「ゲームセンターに連れていってあげるよ」と言われてクラブを握るようになったそうです。うまく当たるとボールが飛んでいくのが楽しくて、小学2年で試合に出るようになりました。
やがて県予選、中部決勝を勝ち進み、はじめて全国大会出場を果たしました。この大舞台が、大きな転機になりました。
「本当に緊張しました。すごくフワフワして、試合をしたという実感すらないままに終わりました。100打に近い散々なスコアだったのですが、それよりも何もできなかったことが悔しかったんです」
父の前で号泣しましたが、「ただ楽しいだけじゃなくて、ゴルフの深いところまで学ぶようになりました。ただ練習場でいいショットを打つだけじゃなく、試合に向けてのゴルフに変わっていきました」と、現在に続く勝負の道がはじまりました。
第二の地元、福井のためにも成長したい
中学を卒業すると、生まれ育った愛知県を離れて、3歳年上の兄・怜生さんも通った福井工大附属福井高校へ進学しました。同校がある福井市では平日からラウンドできるなど、ゴルファーにとっては成長のための最適な環境が整っています。
また、「中学2年の夏から飛距離は出ていたんですけど、距離も方向も安定させて、さらに大会4日間を戦い続ける体力が必要だと思って」と、部活動が終わった後にはジムにも通うようになりました。
大会で好結果を出した後、ジム帰りにホテルの大浴場に寄ると、お風呂場で声をかけられることがあります。
「福井の方は本当に皆さん優しくて温かいです」と、地元の人たちに支えられ、福井県スポーツ協会の強化指定選手に選ばれるようにもなりました。明治安田「地元アスリート応援プログラム」に応募したのも、同協会からの勧めがきっかけでした。
福井に来て、ゴルフも成長し、考え方や姿勢もすごく変わったといいます。明治安田のイベントに参加した際も「飛距離も出るし、もうツアーを戦えると思う。活躍するのをすごい楽しみにしているよ」といった、応援の言葉をたくさんかけてもらったそうです。松山選手は、そんな福井の地元アスリートとして「これからも、さらに自分を成長させて、福井を宣伝していけたらなと思っています」と、恩返しを思い描いています。
2024年の栄冠から、一転した25年
24年には、松山英樹選手、石川遼選手というトッププロと一緒にラウンドする機会もありました。その夢のような時間のなかで、「何かミスをしても、すべてが完成しているので、ほかの何かでカバーできるんです。技術を出し切るメンタルまで、すべてが完成しているので、ミスをするイメージさえ出てこないくらい。そういう差をすごく感じました」と、うれしい刺激と新たな課題を見つけ、思いも新たにしました。
そして、24年の6月に行なわれた、日本の男子アマチュアゴルファー日本一を決めるトーナメントである日本アマチュアゴルフ選手権では、松山選手はなんと優勝を果たしました。15歳344日という史上最年少での優勝は、キャディを務めた父親との親子二人三脚でつかんだ栄光でした。
そして、25年に入ると、はじめて海外の試合にも出場しました。ですが、「やはり日本とは芝もそうだし、雰囲気が全然違いました。はじめて全国大会に出たときのような感じで、フワフワして、何もできずに終わってしまいました」。続く、3月の全国高校ゴルフ選手権春季大会では、最終日に首位で入りながら、タイトルを逃しました。「24年の日本ジュニアなど、いろいろな試合でトップで最終日を迎えては負けるということも多くて……。そういうのもメンタルから来るもので、自分の足りないところが出ていたのだと思います」。流した涙が、また成長の必要性を感じさせました。
25年の1年を振り返ってみると、松山選手にとって、すごく苦労した年だったといいます。「25年に再び日本アマチュアゴルフ選手権に出場したのですが、予選落ちとなってしまいました。始まる前からずっと調子が悪くて……、プレッシャーを感じたり、悩むようになって、構えてから打つまで時間が長くなってしまいました。そのせいでいろいろ気にし過ぎるようになって今度は技術面にも影響が出てしまいました」。それまでは思い切りがよく、ボールに向かったらスッと打つ、あまり迷いなくスイングができるタイプだったとのことで、こういう状態ははじめてだったようでした。
25年のリベンジとQTを見据えて
26年に入り調子が上向いているといいます。25年のスランプから抜け出すことができたのは、やはり家族のサポートだったそうです。「小さいころからずっと父にゴルフを習ってきて、今もずっとコーチをしてもらっています。スランプのときも父と向き合うことが多く、そんなとき、父は技術面のアドバイスより、『切り替えていこう!』とか、自分が前向きになれるような言葉をたくさんかけてくれました」。いまも名古屋と福井で分れて生活していますが、よく電話で話をして、家族の、父親の存在をひしひしと感じているそうです。
26年の目標は、まずは25年のリベンジで、再び日本アマチュアゴルフ選手権での優勝です。そして、冬には、JGTO(日本ゴルフツアー機構)のQT(クォリファイングトーナメント=プロ、アマチュア問わず、プロトーナメントをめざす選手たちのための大会。成績上位者は翌年度のツアートーナメントの出場資格が獲得できる)にも挑戦する予定です。
「24年からプロのトーナメントにも何回か出場して、自分もその世界に少しは慣れたと思います。25年からは日本ゴルフ協会のナショナルチームに入ることができて、ゴルフの視野が広がり、モチベーションも大きくなりました。少しずつ自信もついてきていますので、プロテストではなくQTに挑戦したい気持ちが大きくなりました」
25年の経験を糧に、松山選手の飛躍の曲線は大きく跳ね上がっているように感じられます。テレビで松山選手の活躍を頻繁に目にするようになるまで、それほど時間はかからないに違いありません。
(編集:4years.)