背骨が曲がる病気を越えて スノーボードで世界の空を跳ぶ
愛知県のアスリート、スキー(スノーボード/スロープスタイル・ビッグエア)の森井姫明麗(きあら)選手(中京大中京高校3年)は、ユースの世界大会ビッグエアで4位入賞の実績を持ちます。背骨が曲がる病気に悩まされ、思うように練習できなかった時期を乗り越え、2026年に開かれる世界最高峰の大会をめざし、トレーニングを続けています。
最年少2冠達成の後、みつかった病気
森井選手は6人家族、両親がともにスノーボードが大好きな家庭で育ちました。冬は毎月のように家族でスノーボードに行っていました。2歳でスノーボードをはじめ、小学3年で本格的に競技をスタート。5歳上の兄で現在プロスノーボーダーとして活躍する海琉樹(みるき)さんの影響でした。
そして小学6年のとき、史上最年少で全日本スノーボード選手権のビッグエアとスロープスタイルで優勝します。プロの資格を得るほどの成績を残しましたが、この大会後に選手生命を脅かすほどの病気が見つかります。
「病院へ行ったところ、背骨がS字に曲がる特発性側弯(そくわん)症と診断されました。お医者さんから、競技を諦めて手術をした方が良い、と言われるほど重い症状でした。私は世界大会で優勝して金メダルを取ることが夢であり目標だったので、やめるということは考えられませんでした。そこでお医者さんと相談し、手術ではなくコルセットを装着して矯正治療をすることにしました」
練習できず苦しんだ中学時代、支えてくれたのは
医師から言われた条件は、一日中コルセットを装着すること。入浴時や練習時など限られた時間しか外すのが許されなかったため、練習時間は1日3時間ほどしかとれませんでした。腹筋を鍛えたくても、背骨が固まってしまうため医師から止められました。休日にスキー場で練習をしても同年代の選手が一日中練習するのを横目に、3時間で練習を切り上げなければなりませんでした。
「コルセットをつけ続けた中学の3年間は本当に苦しい時間でした。焦りや不安で反抗的な態度をとったこともあります。それでも家族や友達が励ましてくれ、みんなからもらった言葉にとても救われました。『姫明麗は主人公になれるのだから頑張れ』という兄の言葉を今も覚えています」
高校入学後に骨が安定してからは、3年間を取り戻すように練習に集中し、国際大会にも出場しました。着々と順位を上げ、23年9月のジュニア世界選手権大会で3位表彰台を獲得。翌24年1月、ユース世界大会で4位入賞を果たしました。
海外で練習して私だけのジャンプを身につける
現在の目標は、26年に開かれる世界最高峰の大会で優勝すること。勝つための道筋も見えています。「日本と外国との違いのひとつに練習環境の差があります。海外のスキー場はジャンプ台も大きく、より創造的な技への挑戦ができます。そのような環境で練習をして私ならではのジャンプを創り上げたい」
日本はスノーボードの選手層が厚く、代表になるには24-25シーズンのワールドカップやアジアカップのシリーズで総合優勝を果たすほどの結果が求められます。圧倒的な成績を残すためにも、海外遠征で練習を重ねていきたいと考えていました。そのようなときに、明治安田「地元アスリート応援プログラム」を知りました。
「生まれてからずっと名古屋に住んでおり、私にとって名古屋はかけがえのない街です。自分が活躍することで、大切な地元に貢献できるというプログラムの主旨にも賛同して参加しています。支援金は遠征に使わせていただき、技術を磨いて26年の大会に勝つ、というかたちでお返ししたいと思います」
海外遠征の前は必ず家族で「名古屋メシ」
遠征前には必ず「名古屋めし」を食べてパワーを補給しているという森井選手。特に「手羽先」が好きで、家族そろって楽しい時間を共有してから遠征に向かうことにしています。これからが大事なシーズンとなる森井選手。海外での大会や練習が多くなる予定ですが、名古屋から遠く離れても故郷を忘れることはありません。「試合が終わると、こちらから報告をする前にすぐに学校の先生や友達から連絡がきます。私の試合結果を調べてくれていて、一緒に喜んだり、動画を探して試合を見てくれたりしています。海外にいても応援されていることを感じると、心が落ち着きますし、もっと喜んでもらいたいと力が湧いてきます」
地元の友人や家族との大切な時間が、厳しい戦いの中での支えになり、森井選手の励みになっています。あたたかい地元の声援を背に、今日も世界の空に羽ばたきます。
(取材・制作:4years.)
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