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明治安田 地元アスリート応援プログラム

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愛知県

障害馬術

岡田 華穂

おかだ かほ

愛馬との出会いと別れ、自身の病を乗り越えて夢の舞台へ

愛知県のアスリート、障害馬術の岡田華穂選手(Star Horses所属)は大学に通いながら日々スキルアップと愛馬のケアにいそしみ、2023年にはヤングライダー障害飛越選手権優勝など数々の実績を残してきました。その中で、主戦馬の出会いと別れや、自身に起きたアクシデントも乗り越えてきました。

小学生の頃から際立っていた天性の才能

コースに配置された複数の障害物を飛び越え、ミスの少なさと走行タイムで競うのが障害馬術です。2024年に大学3年となった岡田選手の才能は、小学生の頃から際立っていました。小学6年のときには、全日本障害馬術大会で大人たちを押しのけて8位入賞。「馬の力に助けてもらいました」と謙遜しますが、そのスキルには天性の才能が備わっているといっても過言ではありません。

▲岡田選手は馬術競技の選手としては異例の若さで実績を残してきました

21年11月には、同じ全日本障害馬術大会part1中障害Bクラスという、年齢制限のない日本でも最高レベルの競技者たちが競う試合にはじめてエントリーし、4位に入賞。障害馬術の世界に、改めてその名を轟(とどろ)かせました。そんな大舞台での4位入賞という結果に、岡田選手も「大きな自信につながりました」と言います。

辛い別れの後に待っていた新たな出会い

ところが22年、長年のパートナーである主戦馬「シブル」が病気に。試合に出られなくなってしまい、新しいオーナーに引き取られていくことになりました。シブルとの別れは辛く寂しいものでしたが、23年にはドイツからやって来た「ラノーソ」と新たにパートナーを組むことになりました。

「基本的にはおとなしいし、おしとやかでとても賢い馬」と岡田選手は新たなパートナーのことをこう評しています。

馬は主従関係が強い動物なので、関係構築をしていく上では馬に嫌がられないように乗ることが大切で、岡田選手もラノーソの癖や好みを察知し、また手入れをじっくりとしていくことで信頼関係を構築するようにしてきたといいます。

人が暖かい町、岡崎市の人々の応援に感謝

馬とはじめて出会ったのは、5歳のときでした。ハワイで馬に乗って海沿いや山をゆっくり散策し、すっかり虜(とりこ)になったのです。自宅のある愛知県岡崎市に戻ると、両親に頼んで乗馬クラブを探してもらいました。ただ、規定で身長120cmに満たない子どもは、ほとんどのところで受け入れてもらえません。その中で、特例として認めてくれたのが、かつての所属だった「エルミオーレ豊田」でした。

「いまでも感謝しています」と語る岡田選手。岡崎から豊田までは車で約30分。母親に送迎してもらい、毎日のように通いました。そして、馬術競技の中でも、着実に自分が上達する手応えが感じられた障害馬術を小学3年のときからはじめ、楽しみつつも、もっと上をめざす気持ちが強くなっていきました。

岡田選手にとって、地元の愛知県は馬とともに育ってきた場所。頭に浮かぶのは馬との思い出ばかりです。ただ現在は自身のレベルアップのために、コーチのいる千葉の乗馬クラブに所属し、大学に通いながら大会に出場したり、技術を磨いたりする毎日を送っているので、なかなか帰る時間をつくれないことが悩みのタネです。

それでも、地元の皆さんは岡田選手をしっかり応援してくれています。

「愛知県馬術連盟に自分が小学校低学年の頃からお世話になっている方がいて、その方から定期的にメッセージをいただいたり、『エルミオーレ豊田』の方とも、いまも普通に連絡を取り合ったりの交流もあります。また、会いに行ったときは温かく迎えてくださるので、それはやはり愛知県ならではだなと思います」

▲小学3年のときから障害馬術をはじめた。地元・愛知県森林公園の試合にて

自身の療養中に届いた熱いメッセージ

新たなパートナーとともに挑むことになった23年。岡田選手は8月に行なわれた第47回日本ジュニア障害馬術大会に出場。その中のヤングライダー障害飛越選手権ではラノーソとともに見事に優勝しました。

新たなパートナーとタイトルを獲得した喜びもつかの間、今度は岡田選手の体にアクシデントが起きてしまいます。

「大会後、体調を崩してしまって入院することになったんです。競技だけでなく、馬から離れることになってしまって、結果的に半年ほどのブランクができてしまいました」

優勝したばかりとはいえ、まだまだラノーソとは関係性を構築しないといけない時期。その中で半年のブランクというのは厳しいものでした。しかし、岡田選手はめげずに療養に努めました。

「『できるだけ早くラノーソ(馬)に会いたい』という気持ちはありましたが、私がいないときにクラブの関係者やコーチが馬の管理や体調面をサポートしてくれるという安心感は大きかったです。それと家族や友達の言葉も支えになりました」

入院中は面会禁止だったそうです。寂しい気持ちで日々を過ごしていましたが、友人たちが送ってくれた、馬たちの動画を撮ったビデオメッセージを見て、自身を奮い立たせました。

そして24年5月、都内の馬事公苑で行なわれた「第46回JRAホースショー2024」。馬術ファンから一般客まで多くの観客が来場するこの大会で、岡田選手は「ヤングスタージャンピングカップファイナル」にラノーソと出場します。

「この試合に出る直前までは不安でいっぱいでしたが、馬術競技の世界では誰もが夢見る舞台なので、自分に自信がなくても支えてくれているコーチや家族、メンバーや馬のためにも悔いが残らない走行、精いっぱいの力を出し切りたいと考えていました」

岡田選手はこれまでのような華麗な飛越を見せ、見事に優勝を飾りました。

憧れのライダーをめざし、世界最高峰の舞台をめざす

岡田選手の夢は、「馬を支えるようなライダーになること」。社会的に影響力のあるライダーとなり、馬術競技を取り巻く環境を変えていくという大きな夢があります。

しかし、夢の実現に向けて着実に成長を遂げている一方で、冷静に自分自身を見つめています。「現在馬術競技の日本代表として世界大会に出ている方たちは、年齢で40代後半以上。馬術は競技年齢が平均的にとても高く、世界レベルの方と比べると、私は国内大会で実績は残していても、海外で通用するかどうかは分かりません」

当面の目標は26年、地元の愛知県名古屋市で開かれるアジア大会への出場です。「その上で、20代後半に世界最高峰の舞台に出ることができれば……」。それでも馬術競技では十分に若い年齢ですが、それだけの時間があれば決して不可能ではないと思えるほどに、岡田選手の馬術競技への思いは強く、確かなものが感じられます。

▲ヤングライダー障害飛越選手権で華麗な飛越を見せる岡田選手

「私は18年過ごしてきた愛知県岡崎市に、馬術の普及を通じて貢献していきたいと思っています。馬術競技は敷居が高いと思われることが多く、なかなか馬と触れ合ってもらうことができませんが、馬は本当に優しく愛にあふれた動物です。私も助けてもらったことがたくさんあります。私の競技活動を通じてたくさんの人に馬のすばらしさを伝え、馬術競技を普及させていきたいです」

馬術競技の世界では異例の若さで躍進する岡田選手。「地元で馬と触れ合う機会を増やすためのイベントを開きたい」と言う希望はもとより、その活躍は必ず「馬術競技の普及」につながるはずです。

(取材・制作:4years.)

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貢献したい地元:愛知県岡崎市

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