箱根の王者が世界へ フルマラソンで頂点めざす
福岡県のアスリート、陸上(長距離)の太田蒼生(あおい)選手(GMOインターネットグループ陸上部)は、2025年の箱根駅伝で総合優勝、4区で区間1位に輝くなど大学アスリートのトップランナーとして走り続け、初マラソンにもチャレンジしました。25年からは社会人として世界の頂点をめざし、日々練習に励みます。
「世界で金」を掲げ中学2年で陸上の世界へ
もともとサッカーをしていた太田選手は、中学2年のときに陸上部に転部しました。「小さい頃から『一番上の景色を見たい』とずっと思っていました。それができるのは陸上競技、マラソンなんじゃないかと思ったんです」。そのときに目標を「世界最高峰の大会で金メダル」。そして「青山学院大学で箱根駅伝総合優勝」と定めました。
高校は地元屈指の強豪校、大牟田高校に進学。1年からレギュラーになり全国高校駅伝を走りますが、けがの多さに悩んでいました。試合では100%の力を発揮できると感じていた太田選手は、練習のときにも試合中のイメージを明確に描いて取り組んでいました。もっとしっかりとイメージをつくるため、2年のときに競技の「5年計画」を立てました。
高校時代の最初の2年は故障しない体づくり。大学1年ではトレーニングを強化して継続する。4、5年目となる大学2年、3年で新たな課題を見つけ、克服する計画を立てる――と考え、順調に進めてきました。
「やるからには一番強いチームでやりたい」という揺るがない気持ちから、青山学院大学には駅伝部の先生を通して自らアプローチ。1年から箱根駅伝を走り、4年連続の出走となった25年は4区で区間賞を獲得。総合優勝の原動力となり、名実ともにチームのエースとして活躍しました。
遠く離れても感じる、篠栗町からのアツい声援
明治安田「地元アスリート応援プログラム」は、知人を通じて篠栗町の町長が推薦してくれていると知りました。「アスリートが地元に還元できる機会を提供してくれることが、すごく良いと思いました」と応募の理由を語ります。
なかなか帰省する機会がありませんが、地元の応援はいつも感じています。3月に明治安田主催で開催された陸上教室では、地元の子ども達と触れ合い勇気をもらいました。「自分が幼かった頃のことを思い出しました。『頑張って』という声がけが非常に励みになりましたね。また、僕の存在が励みになっているという声もいただき、自分1人のアスリート人生じゃないんだなと再確認させられました」
関東の大学に進学したことで、篠栗町は自然豊かで、走るところも多く、とても恵まれた環境だったと気付いたそうです。地元のお気に入りポイントは米ノ山展望台。「好きな友人や妻に見せたいと思える、大好きな景色です」と話すように、晴れると韓国まで見えるほどの眺望で、練習で駆け上がったり、夜景を見るために家族と一緒に車で行ったりしていました。
初のフルマラソンは途中棄権も「楽しかった」
まさに順風満帆といった競技生活に見えますが、全てが思いどおりにいったわけではありません。24年10月に開催された出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝は、ともに3位で優勝には届きませんでした。
「三冠を目標に挑んだシーズンでしたが、出雲と全日本で思うような結果が出ませんでした。特に出雲は調子を合わせられず、3位で襷(たすき)を受けて焦りがあったからか、最初の1〜2kmを早く入りすぎて中盤で失速してしまったという反省があります」
しかし、全日本大学駅伝が終わってからの2ヵ月後、悔しさを晴らそうと臨んだ箱根駅伝では見事優勝。個人としても区間賞と日本人最高記録樹立と、学生生活最後に有終の美を飾りました。「自分たちの代として最後の大会。絶対に優勝で終わりたかったので結果に満足しています」と太田選手は振り返りました。
トライアンドエラーを繰り返し、徐々に進化してきた太田選手が社会人として新たに挑むのがフルマラソンです。初の挑戦となった25年の東京マラソンは途中棄権となりましたが「東京のど真ん中を走るのはとても楽しかったです。ペースなども考えつつ、徐々にマラソンにアジャストしていきたい」と語ります。
「やるからには頂点をめざす」というモチベーションを持ち続ける太田選手。最終的な目標は、もちろん4年に1度の大舞台で金メダルを獲ることです。「メジャーなマラソン大会で結果を出して、世界最高峰の大会で最高の結果を出したいと思います」と力強く語ります。
今後なりたい姿を聞くと、「エンターテイナー、アーティスト」との答え。自分の走りで見る人を楽しませ、将来的には自分で競技場をつくりたいとも考えています。目標は高く、大きく。太田選手の挑戦はこれからも続きます。
(編集:4years.)
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太田 蒼生
おおた あおい
貢献したい地元:福岡県糟屋郡篠栗町
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